第百三話 空に眠る古き巡航艦
翌朝。
リリスたちは。
王都北西部へ向かう馬車に乗っていた。
目的地は。
王立魔導艦船管理港。
昨夜届いた資料に記されていた。
退役予定の超大型魔導巡航艦。
《王国第三魔導巡航艦エルディオン》。
「四百八十二メートル……」
フィオナが。
借りてきた資料を読み返す。
「数字だけでは、あまり想像できませんね」
「かなり大きい」
シグレが答える。
「昨日の幻想機を、縦に二十六機くらい並べた長さ」
「その例え、分かりやすい!」
リゼットが。
馬車の座席から身を乗り出す。
「格納庫は二つ! 幻想機は通常十二機、最大十八機! しかも、まだ航行可能!」
「落ち着いてください」
「落ち着いてるよ!」
『朝食の時から同じ資料を読んでいる者の言葉ではないな』
クロは。
馬車の隣を歩いている。
王都の大通りは。
神狼が通れるだけの幅がある。
それでも。
《王国守護神狼》の称号を得たクロを見た人々は。
驚きながら道を空けていた。
「クロ、少し有名になったね」
『望んではいない』
「勲章、似合ってるよ」
『首輪ではない』
「まだ何も言ってない」
『言おうとしただろう』
黒金色の装飾環が。
朝日を受けて淡く輝く。
リリスは。
笑いながら窓の外へ視線を戻した。
◇◇◇
王都の市街地を抜けると。
巨大な石造防壁が見えてきた。
その上空には。
何隻もの魔導飛空船が浮かんでいる。
物資を運ぶ輸送船。
細長い哨戒艇。
船体下部へ大型の荷箱を吊り下げた作業船。
王国紋章を刻んだ軍用艦。
地上から空へ向かって。
何本もの係留塔が伸びていた。
「すごい……!」
リゼットが。
馬車の窓へ張りつく。
「幻想機だけじゃない! 飛空艦の整備工房もある!」
「危ないですよ」
フィオナが。
リゼットの服を後ろから掴む。
「窓から落ちます」
「落ちないって!」
『前にも似た会話を聞いた気がするな』
正門で許可証を確認され。
馬車は。
王立魔導艦船管理港の内部へ入った。
広大な敷地。
船体部品を運ぶ大型魔導牽引車。
空中足場へ乗って作業する技師たち。
積み上げられた装甲板。
魔導帆。
巨大な推進器。
そのすべてが。
一般的な工房とは桁違いの大きさだった。
そして。
管理港の奥。
六本の係留塔に囲まれた空間へ。
一隻の巨大な船が浮かんでいた。
「……あれ?」
リリスが。
窓の向こうを見上げる。
灰青色の艦体。
長く伸びた艦首。
左右へ広がる翼状安定板。
船体上部には。
城塞を思わせる艦橋。
武装は既に取り外されているらしく。
甲板には。
砲座を撤去した跡が残されている。
艦体のあちこちには。
長い年月を物語る傷と補修痕。
それでも。
空へ浮かぶ姿は。
老いた巨竜のように堂々としていた。
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《王国第三魔導巡航艦エルディオン》
分類
大型魔導巡航艦
全長
四百八十二メートル
最大幅
百三十四メートル
全高
九十六メートル
就役期間
三十一年
現在状態
航行可能
退役予定
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「大きい」
フィオナが。
素直な感想を口にする。
「屋敷より大きいね」
「比べる対象がおかしい」
シグレが言う。
「でも」
リゼットは。
巨大な艦体から目を離さない。
「《アストラル・ノア》は、これより三倍以上大きくなるんだよね」
「長さはね」
『この艦を見た直後に、さらに三倍の物を想像するな』
「でも、土台にはできそう」
リリスの頭の中では。
既に。
古い巡航艦の周囲へ。
新しい装甲。
巨大な翼。
幻想機発進甲板。
格納庫。
居住区。
工房。
農園。
王城のような艦橋が。
次々と組み上がっている。
『考えるな』
「何も言ってないよ」
『顔を見れば分かる』
「仮面をつけてるのに?」
『分かる』
◇◇◇
浮遊桟橋の入口では。
王立幻想機兵団第三機装大隊長。
クラリス・ヴァンデルが待っていた。
その隣には。
白髪の混じった男性軍人と。
王国軍務省の文官が立っている。
「お待ちしておりました、ノクス殿」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらは、エルディオンの元艦長。ベルナール・グレイス大佐です」
紹介された男性が。
静かに敬礼した。
「現在は艦船技術監督官を務めております。エルディオンには、就役時から二十七年間乗っていました」
「二十七年……」
フィオナが。
驚いたように艦を見る。
「ずっと同じ船に?」
「最初は見習い航海士でした」
ベルナールが。
少し懐かしそうに笑う。
「その後、副長となり、最後の十一年間は艦長を務めました」
「大切な船なんですね」
「はい」
短い返答。
だが。
それだけで十分だった。
「退役する理由は?」
シグレが尋ねる。
「規格の旧式化です」
ベルナールは。
空へ浮かぶ艦を見上げた。
「今も飛べます。しかし、燃料消費が大きい。交換部品も減り、現役を続けるには費用が掛かりすぎるようになりました」
「壊れたからじゃないんだ」
リゼットが言う。
「まだ使えます」
ベルナールは。
力強く答えた。
「だからこそ、解体されるのではなく、新しい役目を得られることを願っています」
◇◇◇
艦内へ入る。
主通路は。
五人が並んでも余裕のある広さだった。
金属製の床。
壁面を走る魔力導管。
一定間隔で埋め込まれた照明用魔石。
長年使われた痕跡はある。
だが。
掃除と整備は行き届いていた。
「綺麗ですね」
フィオナが。
通路の壁へ目を向ける。
「退役する船とは思えません」
「最後まで現役艦として扱う。それが艦員たちの方針でした」
ベルナールが答える。
「昨日まで、整備担当者が内部を確認していました」
『愛されている船なのだな』
クロの念話に。
ベルナールが足を止める。
「ありがとうございます」
『聞こえたか』
「神狼殿の念話を受けるのは初めてですが、意味は理解できました」
『そうか』
「クロ、少し嬉しそう」
『余計なことを言うな』
◇◇◇
最初に案内されたのは。
第一幻想機格納庫だった。
広い空間。
左右へ六基ずつ。
幻想機用の整備架台が並んでいる。
今は。
すべて空だった。
床には。
機体の足を固定していた金具や。
搬送用魔法陣が残されている。
「十二機……」
リゼットが。
格納庫の中央へ走っていく。
「天井も高い! 十五メートル級なら余裕! 二十メートル級でも改修すれば入る!」
「走らないでください」
フィオナの声が。
広い格納庫へ響く。
「もう外じゃなくて艦内だから駄目?」
「場所の問題ではありません!」
「後部貨物区画と第二格納庫を繋げれば、三十機くらい入るかも」
「足りない」
リリスが言う。
案内役の文官が。
僅かに目を見開いた。
「三十機でも足りないのですか?」
「《アストラル・ノア》は通常百二十機。異空間格納庫を使えば五百機以上の予定だから」
「五百……」
「予定です」
フィオナが。
慌てて補足する。
「まだ構想段階です」
『構想だけなら、既に大国の軍事力を超えているがな』
「戦争には使わないよ」
リリスは答えた。
「探索。救援。災害対応。大迷宮の管理。それと領地の防衛」
「領地は、まだありませんよね?」
文官が尋ねる。
「これから探す」
「左様でございますか……」
文官は。
それ以上聞かなかった。
◇◇◇
艦橋。
正面には。
厚い防護術式を施された大型窓。
その下へ。
航行管制盤。
索敵席。
通信席。
動力管理席が並んでいる。
最も高い位置には。
艦長席。
人の姿はない。
それでも。
過去の艦員たちが。
今もそこへ座っているような気配が残っていた。
「ここから戦場を見ていたのですか?」
フィオナが尋ねる。
「戦場だけではありません」
ベルナールは。
正面の窓から空を見る。
「輸送船の護衛。魔物災害からの避難。遭難船の捜索。嵐に巻き込まれた開拓村への物資輸送」
「戦うためだけの船じゃなかったんですね」
「ええ」
リリスは。
艦長席へ近づいた。
座ることはしない。
ただ。
肘掛けへ。
そっと指先を触れる。
微かな魔力。
人々が。
何度も触れた痕跡。
不安。
緊張。
安堵。
喜び。
「この船」
リリスが呟く。
「たくさんの人を帰してきたんだね」
ベルナールは。
静かに頷いた。
「エルディオンの乗員が最も誇りとする艦歴です」
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《エルディオン》主要任務記録
戦闘任務
四十三回
大型魔物迎撃
百十二回
輸送船団護衛
二百七十一回
災害救援
八十九回
遭難者救助
五千八百七十六名
艦内死亡者
十一名
帰還不能任務
なし
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「帰還不能任務、なし」
シグレが。
最後の項目を見る。
「必ず帰ってきた」
「艦体が半壊したことはあります」
ベルナールが。
少しだけ笑う。
「それでも、最後には帰ってきました」
『良い船だ』
クロが。
短く告げた。
◇◇◇
最後に向かったのは。
艦の最深部。
主動力区画。
巨大な円筒形の《魔晶燃焼炉》が。
二基並んでいた。
その周囲を。
太い魔力導管。
冷却管。
整備足場が取り囲んでいる。
一基は停止中。
もう一基は。
艦を浮遊させる最低出力で稼働していた。
青白い光が。
防護壁の向こうで脈動している。
「大きい……」
リゼットが。
観測窓へ近づく。
「幻想機の炉とは全然違う」
「仕組みは同じだよ」
リリスは。
内部の魔力流を観察する。
魔晶を燃やし。
生み出した魔力を。
浮遊術式。
推進器。
艦内設備へ送る。
使われた魔力の大部分は。
熱と残留魔力となって。
外部へ排出されている。
「やっぱり、もったいない」
『幻想機の時と同じ感想だな』
「《星脈循環魔導炉》へ換えれば、ずっと長く飛べる」
「二基とも交換する?」
リゼットが尋ねる。
「うん」
「補助炉も?」
「全部」
ベルナールが。
リリスへ目を向ける。
「主炉の完全換装は、大規模な艦体切開が必要になります」
「切らなくてもできるよ」
「どのように?」
「一度、材料へ戻す」
動力区画が。
静まり返った。
「……材料へ?」
「必要な部分だけ完全分解して、新しい炉と一緒に再構築する」
『普通の技師へ説明する方法ではないな』
「壊さないよ」
「構造を保ったまま、別の素材へ置き換えるの?」
リゼットだけは。
すぐに理解していた。
「それなら艦の根幹を傷つけずに、新しい炉へ換装できる!」
「うん」
リリスは。
艦体の奥深くへ。
意識を伸ばす。
《神域鑑定》。
《万象解析》。
《魔力透視》。
金属。
魔導回路。
艦歴記録核。
三十一年分の魔力波形。
数え切れないほどの記録。
その中に。
僅かだが。
意思に似た反応が存在していた。
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《王国第三魔導巡航艦エルディオン》
艦歴記録核
蓄積魔力反応
極めて高い
疑似精神形成率
二十三・八パーセント
主要根幹衝動
・航行継続
・乗員保護
・救助活動
・帰還
改修受容性
高
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「まだ飛びたいみたい」
リリスが言った。
「分かるのですか?」
ベルナールが尋ねる。
「はっきり話しているわけじゃない。でも、ここに記憶が残ってる」
リリスは。
古い動力炉へ手を向ける。
「人を守って、帰ってくる。それを、まだ続けたいみたい」
ベルナールは。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
観測窓へ手を触れる。
「そうか」
その声は。
僅かに震えていた。
「お前は、まだ飛びたいのか」
稼働中の魔導炉が。
一度だけ。
強く光った。
偶然かもしれない。
けれど。
その場にいた誰も。
偶然だとは口にしなかった。
◇◇◇
視察を終え。
一行は。
浮遊桟橋へ戻った。
軍務省の文官が。
購入申請書を開く。
「購入希望を提出される場合、価格だけでなく、修復能力と管理計画の提出が必要です」
「修復できます」
リゼットが即答する。
「管理計画も作ります」
フィオナが続けた。
「乗員は?」
「これから集める」
リリスが答える。
「停泊場所は?」
「最初は王都近郊。将来は自分たちの領地」
「領地は、これから探されるのですね」
「うん」
文官は。
もう驚かなかった。
「購入後の用途は?」
「世界探索」
リリスは。
迷わず答えた。
「救援活動。幻想機の運用。素材採取。古代遺跡の調査。それから、私たちが暮らす家」
「軍用艦を、家に?」
「移動する家」
『戦艦でもあるがな』
「必要な時だけ」
申請書へ。
リリスとリゼットが署名する。
━━━━━━━━━━
退役魔導巡航艦購入申請
対象艦
《王国第三魔導巡航艦エルディオン》
購入希望者
ノクス
共同管理責任者
リゼット・ヴァルカン
主な用途
・長距離世界探索
・災害救援
・幻想機母艦
・移動工房
・居住艦
・古代遺跡調査
改修後の新艦名候補
《星海魔導戦艦
《アストラル・ノア》》
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「審査には、通常二週間ほど掛かります」
文官が告げる。
「二週間……」
リゼットの狐耳はないが。
もしあれば。
確実に垂れていただろう。
「ただし」
文官が続ける。
「今回は国王陛下と軍務卿から、優先審査の命令が出ています。書類に不備がなければ、数日以内に結果が出るでしょう」
「数日!」
リゼットの顔が。
すぐに明るくなる。
『単純だな』
「楽しみなんだから仕方ないよ」
「リリスも同じ顔をしてる」
シグレが言う。
「仮面があるのに?」
「分かる」
『私と同じことを言ったな』
◇◇◇
管理港を出る前。
ベルナールが。
リリスを呼び止めた。
「ノクス殿」
「はい」
「一つ、見ていただきたい記録があります」
差し出されたのは。
古い航行記録板。
王国西方を示す地図と。
複数の任務記録が刻まれている。
「十五年前。エルディオンは、西方国境付近で発生した大規模な魔力異常を調査しました」
「魔力異常?」
「空間が歪み、周辺の魔物が一斉に逃げ出しました。現地へ到着した時には、異常は消えていましたが……」
記録板へ。
一つの魔法陣が表示される。
欠けた円環。
複数の星形術式。
外側へ伸びる。
太い空間固定線。
リリスの目が。
僅かに細くなる。
ベモを召喚した場所に残っていた。
超大型召喚術式。
完全に同じではない。
だが。
構造の一部が。
よく似ていた。
━━━━━━━━━━
航行記録照合
対象
十五年前の西方魔力異常
現在の王国保管資料
《陸皇亀》召喚痕跡
術式構造類似率
六十一・四パーセント
推定関連性
高
━━━━━━━━━━
「これ」
リリスが。
記録板を見つめる。
「ベヘモスの召喚術式と繋がってるかもしれない」
フィオナたちの表情が。
一斉に変わった。
『偶然、この艦を見に来ただけではなかったようだな』
クロが。
西方を示す地図へ目を向ける。
十五年前。
誰かが。
同じ系統の術式を。
既に使用していた。
そして。
当時の調査地点は。
今回ベヘモスが現れた場所から。
さらに西へ。
千二百キロメートル。
王国が管理する地図の端。
ほとんど調査されていない。
山岳森林地帯の奥だった。
━━━━━━━━━━
新規調査候補
《西方封鎖遺跡群》
王都からの距離
約二千六百キロメートル
現在の管理区分
高危険度封鎖区域
推定危険度
A級以上
確認情報
・古代空間術式
・異常魔力嵐
・魔物大量逃走記録
・地下人工構造物反応
・召喚術式との関連可能性
━━━━━━━━━━
「《王国特別探索権》の対象地域です」
フィオナが言う。
「うん」
リリスは。
古い記録板を受け取った。
空に眠る退役巡航艦。
その中で見つかった。
十五年前の異常記録。
《アストラル・ノア》となるかもしれない船は。
購入される前から。
既に。
リリスたちを。
新しい冒険へ導き始めていた。




