第百話 世界地図の向こう側
王城を出た頃には。
太陽が。
空の頂点を少し過ぎていた。
正門前には。
屋敷から迎えの馬車が来ている。
黒塗りの大型馬車。
扉には。
ルクスヴィア家の紋章ではなく。
屋敷で使用している簡素な月の意匠が刻まれていた。
「お帰りなさいませ」
馬車の前で待っていたセバスが。
深々と頭を下げる。
「国王陛下との謁見、お疲れさまでございました」
「ただいま」
リリスが答える。
その胸元には。
黒金色の勲章。
隣に立つフィオナたちも。
それぞれ新しい勲章を身につけている。
セバスの視線が。
四人と一匹を静かに巡った。
「そして――」
普段はほとんど表情を崩さない老執事が。
僅かに微笑む。
「ご叙爵、誠におめでとうございます」
「ありがとう」
「名誉侯爵ですか」
リゼットが。
リリスの勲章を覗き込む。
「師匠、侯爵なんだよね」
「一代限りの名誉爵位だけどね」
「それでも侯爵です」
フィオナが言う。
「お屋敷の皆さんにも、正式に伝わっていると思います」
「大げさになってないといいけど」
『既に手遅れではないか』
クロが。
馬車へ乗りながら念話を送る。
「どういう意味?」
『屋敷へ戻れば分かる』
◇◇◇
屋敷の正門を潜る。
馬車が。
玄関前へ到着する。
扉が開いた瞬間。
「お帰りなさいませ!」
二百人近い声が。
一斉に響いた。
「……大げさになってる」
使用人。
護衛。
料理人。
工房職員。
庭師。
屋敷で働く者たちが。
玄関前の広場へ並んでいた。
中央には。
エレナ。
マルタ。
ディアナ。
その背後には。
大きな横断幕まで掲げられている。
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祝
S級パーティー《黒月》
救国功労者認定
ならびに叙爵
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「誰が作ったの?」
「私ども全員でございます」
エレナが。
満足そうに答えた。
「皆、今朝から知らせを待っておりました」
「仕事は?」
「必要な業務は終えております」
「早い」
「お祝いの日ですから」
マルタが。
太い腕を組み。
にやりと笑った。
「今日は昼から宴会だよ。侯爵様が止めても、もう料理は完成してるからね」
「侯爵様はやめて」
「じゃあ、いつもどおりリリス様だね」
「うん」
「ノクス様ではないのですか?」
フィオナが尋ねる。
「屋敷ではリリス様で統一しております」
エレナが答える。
「承知している者も、この屋敷の外で口にすることはございません」
屋敷の者たちは。
リリスがノクスとして活動していることを知っている。
だが。
その秘密は。
今まで一度も外へ漏れていない。
「みんな、ありがとう」
リリスは。
並んでいる者たちを見渡した。
「爵位が増えても、今までと何も変わらないから」
「はい」
「普通に働いて、普通に食べて、普通に暮らしてね」
「承知しております」
「あと、今日はたくさん食べて」
「それは命令ですか?」
セバスが尋ねる。
「お願い」
「では、皆様。リリス様からのお願いです」
その言葉に。
広場へ笑い声が広がった。
◇◇◇
昼食会は。
屋敷の大食堂だけでは収まらなかった。
中庭にも。
長い机が並べられている。
炊きたての白米。
香草を使った牛肉の炙り焼き。
鶏肉の照り焼き。
大鍋で煮込んだ魚介と野菜のスープ。
焼きたてのパン。
色鮮やかなサラダ。
果物。
菓子。
屋敷で働く全員が。
交代で食事を楽しんでいる。
「お肉、おかわり」
『私もだ』
リリスとクロの声が重なった。
「よく食べるねえ」
マルタが。
大皿へ肉を山盛りにして運んでくる。
「クロの分は味付けを少し変えてあるよ」
『感謝する』
「リリス様は?」
「同じのでいい」
「さっきも二皿食べたでしょう」
「今日はお祝いだから」
「いつも食べてる気がするけどね」
マルタの言葉を聞きながら。
リリスは三杯目の白米を受け取った。
少し離れた席では。
リゼットが。
幻想機譲渡証明書を机へ広げている。
「全高十八・六メートル。重量百八十二トン。単座式。訓練用に出力制限された《魔晶燃焼炉》……」
「食事中ですよ」
フィオナが。
証明書の端を押さえる。
「汚れます」
「大丈夫。複製だから」
「そういう問題ではありません」
シグレは。
炙り焼きを食べながら。
書類へ目を向ける。
「その機体は、いつ届く?」
「早ければ明日!」
リゼットの目が。
青い宝石のように輝く。
「格納庫へ入るかな」
「屋敷の工房だと、天井が少し低いですね」
「外に置けばいいよ」
「雨が降る」
「格納用の建物を作る?」
リリスが口を挟む。
「作る!」
「即答だね」
「幻想機用工房! 大型鍛造炉! 部品倉庫! 武装試験場!」
「武装は許可を取ってからです」
「分かってるって!」
『言葉ほど信用できぬものもないな』
「クロは私を何だと思ってるの?」
『機械を前にすると周囲が見えなくなる技師だ』
「よく分かってる」
シグレが。
静かに頷いた。
◇◇◇
宴が一段落した。
午後三時。
リリスたちは。
屋敷の書庫へ集まっていた。
中央の大机には。
王城から受け取った褒賞の一つ。
特別製の世界地図が広げられている。
紙ではない。
薄い魔導布へ。
地形情報が立体的に投影される。
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《王国高精度世界地図》
閲覧権限
《王国特別探索権》保有者
登録者
ノクス
表示情報
・既知大陸
・国家領域
・主要都市
・主要街道
・危険地域
・古代遺跡
・未帰属地域
・未踏査地域
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「大きい……」
フィオナが呟く。
世界地図には。
五大陸が映し出されている。
中央大陸。
アルセリア大陸。
西大陸。
ユグドラ大陸。
南大陸。
レオニス大陸。
東大陸。
リュウガ大陸。
北大陸。
フロスト大陸。
その周囲には。
大小無数の大陸。
巨大な島。
群島。
まだ名称すら付けられていない土地が。
数え切れないほど存在している。
「地球の三百倍の面積……」
リリスが。
指先で地図を動かす。
「全部見るには、どれくらい掛かるんだろう」
『普通なら一生では足りぬ』
「私は時間があるよ」
『そうだったな』
不老不死。
何百年。
何千年掛かっても。
世界を巡ることができる。
それでも。
この世界すべてを見るには。
気が遠くなるほどの時間が必要だろう。
「ここ」
リゼットが。
地図の一角を指差す。
アルセリア大陸から。
遥か南西。
複数の小大陸を越えた先。
海へ大きく突き出した。
広大な半島状の土地が表示されている。
中央には。
深い森。
複数の河川。
広い平原。
海岸線。
しかし。
国家を示す色は付いていない。
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未帰属地域
暫定識別名称
《南西外縁未踏領域・第七区》
推定面積
約十八万平方キロメートル
地形
・沿岸平原
・原生森林
・河川
・湿原
・丘陵地
国家領有
なし
定住国家
確認されず
最終調査
百八十七年前
危険度
不明
主な調査中断理由
・遠距離
・飛行魔物の多発
・高濃度魔力嵐
・大型魔物の生息
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「広い」
フィオナが。
表示された数字を見つめる。
「小さな国より、ずっと大きいですね」
「海に面してる」
リリスは。
地図を拡大する。
長大な海岸。
天然の湾。
大型船が入れそうな深い入り江。
内陸へ続く大河。
農地に適した平原。
森林資源。
複数の創石反応推定地点。
しかし。
地形の中央部には。
少し不自然な空白がある。
「山がない」
シグレが言った。
「丘はあるが、大きな山脈がない」
「なら、作ればいい」
リリスが答える。
室内が。
静かになった。
「師匠?」
「山」
「作れるのですか?」
「たぶん」
『お前の“たぶん”は当てにならぬ』
「大地魔法と錬金術と物質変換を組み合わせれば、鉱脈を持つ山も作れると思う」
リゼットが。
勢いよく立ち上がった。
「鉱山を作るの!?」
「いろんな鉱石が採れる山」
「作ろう!」
「まだ行ってもいませんよ」
フィオナが。
二人を交互に見る。
「それに、国家が管理していないからといって、勝手に所有できるとは限りません」
「先住民や集落が存在する可能性もある」
シグレも続ける。
「まず調査が必要」
「うん」
リリスは。
素直に頷いた。
「誰かが暮らしていたら、その人たちの土地だからね」
『珍しく冷静だな』
「いつも冷静だよ」
地図上では。
国家も都市も確認されていない。
だが。
百八十七年前の情報である。
新しい村や。
未知の種族。
隠された集落が存在してもおかしくない。
「まずは現地調査」
リリスが言う。
「誰も管理していなくて、誰も暮らしていない土地なら、正式に領有手続きを調べる」
「領地にするのですか?」
「まだ決めてない」
フィオナの問いへ。
そう答えながら。
リリスは。
広い平原を見る。
海沿いの都市。
巨大な工房。
錬金術研究所。
幻想機格納庫。
人工大迷宮。
そして。
自分たちの王城。
想像が。
次々と広がっていく。
「師匠、楽しそうです」
「そう?」
「はい」
「もし領地にできたら」
リリスは。
地図を指でなぞった。
「ここに都市を作って」
沿岸の平原。
「ここに大きな迷宮を作る」
森林と丘陵の境界。
「迷宮も作るの?」
「素材と魔物と宝箱が出る迷宮」
『お前自身が管理者になるつもりか』
「安全管理はちゃんとするよ」
「山は?」
リゼットが尋ねる。
「この辺り」
土地の北側。
広い空白地帯へ。
リリスが指を置く。
「いろんな鉱石と金属が採れる巨大な山を作る」
「名前は?」
「まだない」
少し考える。
鉄。
銀。
金。
ミスリル。
アダマンタイト。
ヒヒイロカネ。
オリハルコン。
創石。
世界中の鉱物を内包する。
神造の鉱山。
「《万鉱神山》」
リリスが言った。
「万の鉱石を生み出す山」
「いい!」
リゼットが。
机へ両手をつく。
「山の中に巨大工房も作ろう! 幻想機の部品工場と、魔導炉の研究所と――」
「まだ土地を手に入れていません」
「予定は立ててもいいでしょ?」
「予定だけで終わる気がしません」
◇◇◇
「問題は移動手段だな」
シグレが。
地図上の距離を確認する。
王都から。
目的地まで。
直線距離でも。
数万キロメートル。
途中には。
複数の危険空域が存在する。
「転移できる?」
「一度行った場所なら」
リリスが答える。
「座標が分からない場所へ直接転移するのは危険」
『世界の裏側へ放り出される可能性もあるな』
「飛空船が必要ですね」
フィオナが言う。
「普通の飛空船だと、航続距離が足りないかもしれない」
「それなら」
リゼットが。
訓練用幻想機の証明書と。
地図を見比べる。
「大きな船を作ろう」
「作るの?」
「幻想機を運べる船」
リゼットの声が。
少しずつ熱を帯びる。
「工房があって、格納庫があって、長期間暮らせて、魔力嵐の中でも飛べる船!」
「普通の飛空船ではありませんね」
「戦艦」
リリスが呟く。
「え?」
「魔導飛空船じゃなくて、魔導戦艦」
未知の大地を目指し。
世界を巡り。
仲間たちと暮らし。
巨大な幻想機を運ぶ。
空飛ぶ要塞。
同時に。
移動する家。
「買える船を探して、大きく改造する」
「一から作らないの?」
「一からだと時間が掛かるから」
『十分に成長した判断だ』
「褒められた?」
『僅かにな』
既存の大型魔導飛空船を購入し。
船体。
動力炉。
防御結界。
居住区。
格納庫。
すべてを。
リリスとリゼットたちで作り直す。
「名前は?」
フィオナが尋ねる。
リリスは。
世界地図を見た。
五大陸。
その外側へ広がる。
果ての見えない世界。
星々の海を進むように。
この世界を旅する船。
「《星海魔導戦艦》」
「アストラル・ノア……」
「私たちを、世界のどこへでも運んでくれる船」
リゼットは。
地図を見つめ。
次に。
訓練用幻想機の書類を見た。
「だったら、幻想機も作らないと」
「貰った訓練機があるよ」
「訓練機を研究して、新しい機体を作る」
「私たちの専用機?」
「もちろん!」
フィオナの狐耳が。
少し揺れる。
「私も乗るのですか?」
「フィオナ専用機は魔法と支援型!」
「もう決まっているのですか?」
「今、決めた!」
シグレが。
自分の刀へ触れる。
「刀を使えるなら乗る」
「大きな刀も作る!」
『私は乗らぬぞ』
「クロは外に装甲を付ける?」
『なぜ私まで機械化されるのだ』
「格好いいと思う」
『その言葉だけで承諾すると思うな』
否定しながらも。
クロは。
完全には嫌そうではなかった。
◇◇◇
その日の夕方。
屋敷の工房区画。
広い空き地へ。
リリスが魔法陣を展開する。
「まずは格納庫」
「今日作るのですか?」
フィオナが尋ねる。
「明日、訓練機が届くから」
「普通は設計から始めます」
「設計は頭の中にあるよ」
『それが一番危険だ』
大地が。
静かに振動する。
地面から。
創石を混ぜた柱が立ち上がる。
壁。
天井。
大型扉。
整備床。
天井走行式の搬送装置。
幻想機一機を余裕で収容できる。
巨大格納庫が。
僅か数分で完成した。
「……これで仮設なの?」
リゼットが呟く。
「うん」
「本設は?」
「もっと大きい」
「最高!」
リゼットは。
新しい格納庫の中へ走っていった。
「師匠」
フィオナが。
少し困ったように笑う。
「謁見が終わったばかりですよ」
「うん」
「今日は休む予定では?」
「少しだけ作る」
『その言葉は昨夜も聞いた気がするな』
リリスは。
聞こえなかったことにした。
完成した格納庫。
明日届く。
一機の古い訓練用幻想機。
それは。
これから始まる新たな時代の。
最初の一歩だった。
━━━━━━━━━━
新規長期計画
《新世代幻想機開発計画》
参考機体
《汎用幻想機》
主要開発者
・リリス・ルクスヴィア
・リゼット・ヴァルカン
協力者
・フィオナ・ルーヴェル
・シグレ・ヤルク
・クロ
最終目標
新型幻想機の開発
専用幻想機の建造
大型幻想機母艦の取得・改修
━━━━━━━━━━
「明日から忙しくなるね」
『お前はいつも忙しい』
「自分で増やしていますから」
「楽しいからいいよ」
リリスは。
夕焼けの空を見上げた。
まだ見たことのない土地。
海へ面した広大な平原。
自分たちの都市。
人工の大迷宮。
万の鉱石を抱く神山。
王城。
そして。
世界を巡る。
巨大な魔導戦艦。
やりたいことが。
また増えた。
「まずは世界地図をもっと見る」
『夕食後にしろ』
「分かってる」
「今日はお祝いのデザートもありますよ」
フィオナが言う。
「何?」
「甘露南瓜の焼き菓子です」
リリスの動きが。
一瞬だけ止まった。
「……南瓜」
『どうした』
「何でもない」
今夜。
秘密の《神獣楽園》へも。
新しい甘露南瓜を植えなければならない。
ただし。
今度は百個では足りない。
リリスは。
誰にも気づかれないよう。
甘露南瓜の種を千個。
インベントリの購入予定へ追加した。




