第九十八話 白耀謁見の間
翌朝。
王都第一地区。
旧ヴァレンティナ侯爵邸では。
日の出前から慌ただしく人が動いていた。
「ノクス様、右腕を少し上げてください」
「こう?」
「はい。そのままでお願いいたします」
《月織衣装工房》。
大きな姿見の前に。
リリスは立っていた。
普段の黒いローブとは異なる。
王宮謁見用の正礼装。
漆黒を基調とした長衣には。
銀糸で月と星の紋様が刺繍されている。
肩から腰へ流れる細い装飾帯。
袖口と裾には。
黒金色の魔導刺繍。
過度に華美ではない。
それでも。
S級冒険者として王の前へ立つに相応しい品格を備えていた。
顔には。
いつもの《黒王仮面》。
仮面も礼装に合わせ。
表面の魔力紋様が僅かに調整されている。
「完成いたしました」
工房長が。
一歩下がって頭を下げる。
「動きにくくない」
リリスは。
腕を回し。
軽く身体を捻った。
「戦えそう」
「謁見の場で戦わないでくださいね」
後ろから。
フィオナの声が聞こえた。
振り返る。
フィオナも。
白銀と淡い青を基調とした礼装を身につけていた。
長い上衣には。
月と狐を表す刺繍。
大きな狐尾を圧迫しないよう。
腰回りは特別な構造になっている。
シグレは。
白と濃紺の礼装。
形は。
彼女が普段着ている東方風の衣装に近い。
腰には。
儀礼用の紐で封じられた《天月神刀》。
リゼットは。
青と白の正装に身を包んでいた。
いつもの作業帽はない。
代わりに。
小さな青銀色の髪飾りが付けられている。
「装甲がない」
リゼットが。
少し不満そうに袖をつまむ。
「礼装ですから」
「薄い魔導装甲なら入れられたのに」
「必要ない」
シグレが即座に答える。
「でも、王城が襲撃されたら――」
「その時は、私たちがいる」
「それもそうか」
納得が早かった。
『私には何もないのか』
足元から。
クロの声が聞こえる。
クロの首には。
《冥獄神狼王首環》が装着されている。
さらに。
今日は首環へ。
王宮用の黒銀色の飾り布が結ばれていた。
「似合ってるよ」
『私は飾り物ではない』
「首輪じゃないから大丈夫」
『首輪ではない。首環だ』
いつもの訂正だった。
◇◇◇
午前九時。
王家から迎えの馬車が到着した。
黒塗りの大型馬車。
扉には。
金色の双翼獅子。
グランゼル王家の紋章が刻まれている。
御者台には。
王宮騎士。
前後を。
八騎の近衛騎士が護衛していた。
「随分と大げさですね」
フィオナが。
窓の外を見つめる。
「S級パーティーへの正式な迎えだからだろう」
シグレは落ち着いている。
リゼットは。
馬車の内装を観察していた。
「座席の下に防御結界がある。車軸にも衝撃吸収術式。窓は魔法硝子で――」
「外さないでね」
「外さないよ」
『先に釘を刺される時点で信用がない』
リリスは。
馬車の座席へ深く座る。
王城へ近づくにつれ。
窓の外にいる人々の数が増えていった。
「あれが《黒月》の馬車だ!」
「ベヘモスを倒した人たちだぞ!」
「ノクス様!」
通りの両側から。
歓声が上がる。
手を振る人。
花を掲げる子供。
黒い布を仮面のように顔へ巻いた冒険者までいた。
「仮面、流行ってる?」
「昨日から王都の衣装店で、黒い仮面が売れているそうです」
フィオナが答える。
「困る」
『お前が原因だ』
「顔を隠したかっただけなのに」
「隠した結果、仮面の方が有名になった」
シグレの言葉に。
リリスは。
窓から少し離れた。
◇◇◇
王城。
幾重もの城壁と。
白い尖塔に囲まれた巨大な城。
馬車は。
正門からではなく。
功績者や高位貴族が使用する西門を通過した。
門の内側には。
整列した近衛騎士。
王宮使用人。
儀礼官たちが待機している。
「S級パーティー《黒月》の皆様」
白髪の儀礼官が。
深く頭を下げた。
「これより、白耀謁見の間へご案内いたします」
長い回廊。
白い大理石の床。
壁には。
王国の歴史を描いた絵画。
魔王軍との戦い。
五大陸との外交。
初代国王の戴冠。
古代魔導文明の遺跡発見。
その中には。
巨大な人型兵器を描いた古い壁画もあった。
「幻想機……?」
リリスの足が。
僅かに遅くなる。
現在の幻想機とは。
形が異なる。
全高は。
描かれた城壁と比較して。
三十メートル以上。
背中には。
六枚の翼。
手には。
巨大な剣。
「師匠」
「見て。古代型の幻想機かも」
「今は謁見が先です」
「後で見に来てもいいかな」
『許可を取れ』
「分かってる」
儀礼官は。
聞こえていたようだが。
何も言わなかった。
ただ。
少しだけ口元が笑っていた。
◇◇◇
白耀謁見の間。
高さ三十メートルを超える大広間。
床は。
磨き上げられた白金色の石材。
左右には。
王国旗と騎士団旗。
中央を進む。
深紅の絨毯。
その先。
数段高い壇上に。
黄金と白銀で作られた玉座がある。
玉座には。
国王が座っていた。
年齢は。
五十歳前後。
濃い金髪へ白いものが混じり。
青い瞳には。
穏やかさと鋭さが同居している。
右側には。
王妃。
王太子。
宰相。
軍務卿。
宮廷魔導師団長。
左側には。
冒険者ギルド本部長。
軍団長バルガス。
幻想機兵団大隊長クラリス。
そして。
五人の勇者たち。
さらに。
左右の壁際へ。
数十名の上級貴族が並んでいた。
「S級パーティー《黒月》、御前へ」
儀礼官の声が響く。
リリスたちは。
指定された位置まで進む。
「跪礼」
フィオナ。
シグレ。
リゼットが。
片膝をつく。
リリスも。
同じ姿勢を取った。
クロは。
頭だけを僅かに下げる。
「面を上げよ」
国王の声は。
広い謁見の間へ。
不思議なほどよく通った。
「よく来てくれた。《黒月》の諸君」
「お招きいただき、光栄に存じます」
リリスは。
事前に教えられた言葉で答える。
国王は。
僅かに笑った。
「そう固くならずともよい。諸君は我が国を救った功労者だ」
宰相が。
一枚の書状を広げる。
「これより、《陸皇亀》討伐作戦における功績を読み上げる」
王国西方への進行阻止。
前線拠点の防衛。
大規模攻撃の迎撃。
幻想機部隊の救助。
負傷者への広域治療。
戦死者を一人も出さなかったこと。
最後に。
災害級神獣を完全消滅させた。
国家戦略級極大魔法。
「以上の功績により、王国はパーティー《黒月》を、救国功労者として認定する」
広間に。
ざわめきが起こる。
救国功労者。
冒険者へ与えられる名誉としては。
極めて高い。
王国史上でも。
数えるほどしか存在しない称号だった。
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王国功績認定
対象
S級パーティー《黒月》
認定
《救国功労者》
付随権利
・王城への優先入城申請
・王国軍施設への限定立入申請
・災害級事件に関する独立行動権
・国王への緊急上奏権
・王国内での身分保護
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「さらに」
国王が。
自ら言葉を続ける。
「此度の戦いにおいて、我が国は一人の民も失わずに済んだ」
その視線が。
《黒月》全員へ向けられる。
「勝利とは、敵を倒すことだけではない。帰るべき者を、生きて家族のもとへ帰すことだ」
軍団長バルガスが。
静かに頭を下げる。
「その奇跡を成し遂げた諸君へ、国王として、そして一人の国民として礼を言う」
国王が。
玉座から立ち上がった。
王が。
冒険者へ頭を下げる。
謁見の間にいた貴族たちが。
驚きに息を呑んだ。
「陛下」
リリスは。
僅かに戸惑う。
「私たちだけの力ではありません」
「分かっている」
国王が答える。
「騎士団。魔導師団。勇者。冒険者。幻想機兵団。すべての者が役割を果たした」
穏やかな青い瞳が。
リリスを見る。
「だが、その者たちが生きて帰れたのは、諸君の働きがあったからだ」
リリスは。
何も言わず。
静かに頭を下げた。
胸の奥へ。
ほんの少し。
重たいものが残る。
ベヘモスは。
消滅していない。
今頃。
《神獣楽園》の南瓜畑で。
丸い身体を揺らしながら食事をしている。
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《神獣盟約》
契約神獣
生命状態:良好
精神状態:満足
現在の行動
睡眠中
現在地
甘露南瓜畑の中央
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今。
見てはいけない。
「……可愛い」
小さく漏れた。
「ノクス殿?」
国王が首を傾げる。
「申し訳ありません。何でもありません」
謁見の間の端で。
クロが。
僅かにリリスを見上げた。
『またか』
念話が届く。
「気のせい」
『まだ何も聞いていない』
「……」
リリスは。
静かに前を向いた。
◇◇◇
「ベヘモスの出現についても、報告しておくべきことがある」
国王の言葉で。
広間の空気が変わった。
宮廷魔導師団長が。
巨大な記録晶を起動する。
空中へ。
ベヘモスの初期出現地点が映し出された。
大地へ焼き付いた。
巨大召喚陣の残骸。
「昨日の追加調査により、ベヘモスは自然に王国領へ現れたのではないと判明した」
貴族たちの間から。
ざわめきが広がる。
「何者かが、超大規模召喚によって送り込んだ」
王太子が。
険しい表情で召喚陣を見る。
「召喚者の痕跡は?」
「ありません」
魔導師団長が答える。
「術者の魔力波長。使用した触媒。召喚元の座標。いずれも意図的に消されています」
「ノクス殿」
国王の視線が。
再びリリスへ向けられる。
「この術式について、何か分かることはあるか」
リリスは。
空中の召喚陣を解析する。
既に前線で一度見ている。
今回は。
より鮮明な記録だった。
幾重にも重ねられた。
空間接続術式。
対象捕捉。
神獣拘束。
座標強制指定。
召喚後の術式自壊。
「かなり古い基礎術式が使われています」
「古代魔法か?」
「基礎部分は。でも、上から新しい術式が何層も追加されてる」
リリスは。
黒い杖を軽く動かす。
召喚陣の一部が拡大された。
「一人で発動したとは考えにくいです」
「術者集団か」
「その可能性もあります。ただ――」
リリスは。
召喚陣の中心を見る。
「召喚したというより、どこかにいたベヘモスを無理やり引っ張ってきた術式に近いです」
「では、ベヘモスも被害者だった可能性があると?」
王妃の問いに。
リリスは頷いた。
「高いと思います」
ベヘモスは。
召喚直後から王国を攻撃していたわけではない。
最初は。
ただ進んでいた。
王国軍が立ちはだかり。
攻撃を加えたことで敵意を持った。
もし。
知らない場所へ突然呼び出され。
帰る手段もなく。
ただ歩いていただけなら。
「目的地が王都だったのかも、まだ分かりません」
「どういう意味だ?」
軍務卿が尋ねる。
「召喚場所が少しずれていた可能性があります。あるいは、ベヘモスを召喚すること自体が目的で、進行方向までは指定されていなかった」
国王は。
しばらく召喚陣を見つめた。
「何にせよ、これは偶然の災害ではない」
「はい」
「何者かが、災害級神獣を動かした」
謁見の間へ。
重い沈黙が落ちる。
「この件は、王国最高機密に指定する」
国王が命じる。
「召喚地点の調査を継続。国境周辺の大規模魔力反応を監視せよ。友好国へも、秘匿回線を通じて同様の事例がないか確認を取る」
「御意」
宰相と軍務卿が。
同時に頭を下げた。
◇◇◇
調査報告が終わる。
謁見の間の中央へ。
五つの箱が運ばれてきた。
白金。
金。
黒銀。
それぞれ異なる装飾が施されている。
「ここからは、諸君への褒賞について話そう」
国王が。
再び玉座へ座る。
「王国は、既定の討伐報奨金に加え、救国功労者として相応の褒賞を用意する」
宰相が。
最初の箱を開く。
中には。
王家の紋章が刻まれた勲章。
次の箱には。
白金貨と聖金貨の証書。
さらに。
希少な魔導素材。
王城宝物庫への入庫許可証。
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《黒月》への基本褒賞
・救国白耀勲章
・特別功労報奨金
・王城宝物庫素材選択権
・王国管理地の優先取得権
・国家研究施設利用許可
・機装要塞正式招待状
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「宝物庫……」
リリスが。
小さく反応する。
『目の色が変わったぞ』
「仮面で見えないよ」
『気配で分かる』
「素材選択権……」
リゼットも。
同じ場所を見ていた。
「二人とも、まだ説明の途中です」
フィオナが小声で注意する。
国王は。
そんな《黒月》を見て。
楽しそうに笑った。
「用意した物だけでは、諸君の功績に十分とは思っていない」
王が。
一人ずつを見る。
「ゆえに、余は諸君それぞれの望みを聞きたい」
「私たちの望み、ですか?」
フィオナが尋ねる。
「金銭。領地。爵位。武具。素材。研究施設。王国が叶えられる範囲であれば、可能な限り応えよう」
リゼットの視線が。
一瞬。
クラリスの方へ向いた。
幻想機。
分かりやすかった。
シグレは。
特に欲しい物が思い浮かばないのか。
静かに考えている。
フィオナも。
困ったように狐耳を揺らした。
クロは。
興味がなさそうに伏せている。
そして。
リリス。
素材。
宝物庫。
古代幻想機の壁画。
召喚陣の調査。
王国未踏地の探索許可。
欲しいものは。
幾つもあった。
その胸の奥へ。
盟約を通じて。
小さな神獣の感覚が届く。
━━━━━━━━━━
《ベモ》
睡眠終了。
現在の行動
甘露南瓜を探索中。
甘露南瓜畑
残存数
0。
推定要求
追加の甘露南瓜。
━━━━━━━━━━
「南瓜畑」
リリスが呟いた。
国王が。
僅かに目を瞬く。
「南瓜畑が欲しいのか?」
「違います」
即座に否定する。
謁見の間に。
小さな笑いが広がった。
仮面の下で。
リリスは少しだけ困る。
王国を救った英雄たちへ。
国王が直接尋ねる。
特別な褒賞。
その答えを。
《黒月》の四人と一匹は。
それぞれ静かに考え始めた。




