街が燃える
翌朝から、アメリカは変わり始めた。
10月11日。
最初に来たのは、年配の夫婦だった。
テレビを消したあと、何も言わずに家を出てきた。
その後ろに、別の誰かが立った。
理由は違った。
怒りでもなく、正義でもない。
ただ——
家にいられなくなっただけだった。
自然発生的な集会だった。誰かが呼びかけたわけではない。ただ、テレビを見ていた市民が家を出て、議事堂の方向へ歩き始めた。
午前中は、穏やかだった。
プラカードを持つ者、ろうそくを持つ者、ただ立っている者。「チェルノブイリの真実を」「政府は答えよ」「我が国は何をしたのか」——さまざまな言葉が手書きの紙に書かれていた。
警察は静観した。
しかし午後から、空気が変わった。
CNNが速報を出した——「CIA内部告発者、テープの信憑性を認める発言」。
それは正確な情報ではなかった。CIA内部の人間が、記者に「テープを否定できる根拠がない」と話した、という程度のものだった。しかしその「速報」の言葉が、モールに集まった数千人の心を、別のものに変えた。
「認めた!」誰かが叫んだ。
「やっぱり本物だ!」
「政府は嘘をついていた!」
誰が最初に叫んだのかは、後から分からなかった。
ただ、その声を聞いた瞬間に、
何人かが、同じことを考えた。
——もう止まらない、と。
1人の声が、群衆の中の何かを点火する。
ナショナル・モールの東端で、最初の火が上がった。
それが何だったのかは後の検証でも判然としなかったが——炎は広がった。
ごみ箱が燃え、それが木の枝に移り、警察の車両に移った。
警察が催涙ガスを使った。
群衆が散り、逃げながら、別の場所に集まり直した。
夕方には、ワシントンの複数の地点で火が上がっていた。
報道ヘリが空から撮影した映像は、夜の全米のテレビで放送された。ワシントンD.C.の空に、煙が立ち昇っていた。
ニューヨーク。
翌12日の朝、マンハッタンでも集会が始まった。
タイムズスクエアに集まった人々は、最初は静かだった。しかしワシントンの映像をスマートフォンで見ながら——当時、携帯電話の普及は限定的だったが、ナイラの証言はラジオと口伝でも急速に広まっていた——次第に声が上がり始めた。
「チェルノブイリで死んだのは誰のせいだ」
「アメリカは何人殺した」
「政府に謝罪を要求する」
ロサンゼルス、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、アトランタ——全米の主要都市で、同様の動きが起き始めた。
10月13日。
国家警備隊がワシントンに展開した。
しかし暴動の鎮圧よりも先に、別の問題が起きていた。
若い兵士が、出撃リストを見たまま、サインをしなかった。
ペンを持ったまま、手だけが止まっていた。
上官は何も言わなかった。
——なぜ止まっているのか、自分もわかっていたからだ。




