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宣戦布告、あるいは演算される復讐

リミニス・ベースの廊下には、築数10年の湿気と、どこか金属的な冷たさが沈殿している。

守屋忍は、2階の自室で兄の馨と向き合っていた。

モニターの光が彼の退廃的な横顔を青白く縁取り、サイバー空間を流れる膨大な情報の濁流が、網膜に反射している。

それは、数千億のビットレートで構成された、世界を塗り替えるための静かな暴力だった。


かつて、父である司を裏切り、憤死へと追いやった巨大企業、フロイド・エレクトリック社。

その巨大な牙城を崩すための演算は、すでに最終局面を迎えている。


「準備はいいか、忍。これはただの買収じゃない。僕たちが、あの場所を消去するための手続きだ」


兄の声は、IT長者らしい冷徹な響きを持っていた。

忍は、キーボードを叩く指を止めずに、低体温な標準語で答える。


「分かってるよ。資本主義なんて、結局は数字の並び替えに過ぎない。父さんがこだわった技術の価値も、あいつらの傲慢も、すべてこのサイバー空間のノイズに溶かしてやる」


彼の目に宿る光は、かつてないほど冷酷だった。

その演算の中には、地下で無音の打鍵を続ける律さんへの情愛すらも、変数の一つとして組み込まれている。

彼女を自由にするためには、この世界の構造そのものを一度解体しなければならない。

忍は、自分の感情をSNS的な道化で隠蔽しながら、静かにエンターキーを押し込んだ。


日常の足元が崩れるような違和感は、もう始まっている。

モニターの中で、フロイド・エレクトリック社の株価が、不自然な曲線を描いて下降を始めた。

それは目に見えない軍隊が、巨大な城壁を内側から食い破っていくような光景だった。


1階の共同キッチンでは、海くんがメイプルシロップのボトルを手に取っているかもしれない。

志摩さんは、理花さんの過去という名のアーカイブを、今も執拗に修復しているだろう。

そんな彼らの緩やかな日常の裏側で、忍は世界の経済バランスを、まるでおもちゃを壊す子供のような残酷さで弄んでいた。


「海、その飯のメイプルシロップが足りねえよ」


いつか投げかけたあの傲慢な言葉さえ、今では遠い記号のように思える。

復讐という名のロジックが、彼を人間的な実在から切り離し、純粋な意志の塊へと変質させていた。


「忍。お前は、この後に何が残ると信じているんだ」


兄の問いに、忍は答えなかった。

残るのは、解体された企業の残骸と、使い道のない莫大な富。

そして、何ひとつ満たされない自分自身の空虚だけだ。

けれど、彼は止まらない。

父を死に追いやった者たちへの宣戦布告は、もはや彼にとって、呼吸をするのと同じくらい必然的な生存戦略だった。


モニターに表示された赤いグリッドが、激しく明滅する。

情報の真空地帯である地下防音室には届かない、音のない絶叫が、電子の海を駆け巡っていた。

忍は、乱暴に髪を掻き上げ、歪んだ笑みを浮かべる。


「さあ、始めよう。世界を正しい絶望で塗りつぶすための、最初の一歩だ」


その瞬間、巨大企業の命運を決める最終的なパケットが送信された。

静謐な論理の果てに、日常は音を立てて崩落し始める。

守屋忍という怪人が仕掛けた復讐のビットレートは、もう誰にも、彼自身にさえも止めることはできなかった。

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