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46.解毒 3

46. Antidote


“あいつ、が…?”


嘘だ、と頭ごなしに否定するでもなければ、Fenrirさんはやはり喜びを露わにすることもしない。

この際、Fenrirさんはそういう方なのだからそれはもう良しとしよう。黙れと言わんばかりに牙を剥かれなくて良かった。

それでも、言葉を交わすことでだいぶ固まっていた感情というものがはっきりしてきた気がするし。


“あ、でも正確に何時頃になるかはちょっと分からないです。先に行ってFenrirさんに会っておいてくれ、とのことでしたので、一緒に来たわけでは無いんです。後から遅れて行くから…と。

病み上がりも良いところですので、僕心配で、本当はご一緒したかったのですが、どうしてもと言うことでしたので…”

僕は先にそう弁明をしておくと、彼の気を使わぬ足音がもう捉えられないかと耳を左右に広げたりしてみる。

“如何でしょう、Fenrirさんには、こちらに来る気配、聞こえていたりしません…か?”


饒舌に喋っていたせいで、僕はFenrirさんが、怒りとは程遠いものの、何やら訝し気な表情で僕の目を覗き込んでいるのに気がつかなかった。

“ど、どうしたんですか…?”

“……。”


答えぬ代わりに、彼はゆっくりと、礼儀正しく僕の左へと目を逸らす。

そして、その方向を、凝視したのだ。



僕もそれに導かれ、彼が睨むその先へ視線を移す。


“……?”

群れた鴉だった。

僕が彼に呼び掛ける前までそうしていたように、相変わらず狼が授けた思わぬご馳走を啄むのに忙しそうだ。

流石にFenrirさんが近づいたなら、一時は彼らを追い払うことが出来るだろうけれど、十分安全な距離が確保できていると踏んでいるのか、埋め込まれた瞳はこちらへ向けられる様子が無い。


何か、気になるところがありますでしょうか?

あ。それとも、お腹空きました?

僕もまだ、今日は何も…。



もう一度彼へと視線を戻そうと、目を瞬いた刹那だった。

少し強く吹き付けた風に舞った落ち葉が、僕に幻覚の類を見せた。



「お前よりも先に、来ていやがるさ。」

“え…?”



景色が変わったのだ。

視界に認めていた黒の野禽たちは、たった一羽を除いて、変わらず屍の上で翼を折っていた。


そいつらを従えるようにして、一人の男が立っている。

余程寒さが身に応えるのだろう。足元まで伸びた黒いマントに、上から半分ほどの丈の長さのを羽織って、首元にマフラーまで巻き付けてあった。

あまりお似合いではなかったけれど、或いはこの鳥に扮する意味合いの一つでもあったのだろうか。


まるで彼がたった今実体を授かりその場に降り立ったかのように、鴉たちは人間の存在にほとんど同時に気が付くと、吹きあがった風とともに一斉に飛び立った。

外套の裾が揺れるも、それに動じる様子は無い。



後には、屍を無感情に見下ろす彼だけが残された。



“Teus…様…?”

その現し身が、牝馬と同じ主であると悟るのに時間はかからなかったものの、別の一面を偶然目にしてしまったかのように、僕は戸惑いを隠せない。

いつもだったら、尾をぴんと立てて、足早に彼の元へ駆けよっていただろうが、装いも相俟ってかそれを躊躇うぐらいには、僕が最後に見た彼の面影を引き摺っていたのだ。





Fenrirさんの落ち着き払った様子からして、彼には疾うの昔にその正体が見破られていたらしい。

ひょっとすると、これもまた見慣れた登場の仕方だったのかも知れないが、纏う雰囲気までもが違って見えるのに、違和感を覚えてはいないのだろうか。

「ふん…」

いつものように空かして鼻を鳴らすと、それで興味を失ったと示した。

“彼奴のことなど、今はどうでも良い。そんなことよりだ…”

そう言って僕の方へ視線を戻すと、彼は先ほどよりも鼻を近づけて僕の顔を覗き込んだ。


“なんだ、その眼は。”

“えっ…?”

完全に虚を突かれて、くしゃみが混じったような声を出す。

“な、なんのことですか…”

“その右眼はどうしたと聞いているのだ。”

嘘は吐けませんとばかりにしらばっくれ、おろおろとTeus様の方へと視線を逸らす。

僕の眼から、隠したい記憶の一切を読み取ろうとするのを感じ、もう一度彼の顔を見ることが出来ない。

今朝の川で見た限りだと、僕の眉から瞼にかけて、大きく裂いたような傷跡が出来てしまっているみたいだった。毛皮が禿げて剥き出したねっとりのぶつぶつが気持ち悪くて、目立つことこの上ない。

勿論仲間たちにも、どうしたのだとたくさんの心配の声をかけられたけれど、変わらず群れの長として強く振る舞うため、寧ろこれは勲章なのだと受け取らせるような武勇伝を僕はでっちあげていた。

これは村の平和を脅かす刺客と組み合ったときに、手にしていた凶刃に貰い受けた傷だ。僕はあいつの喉を、代わりに噛み切ってやったんだぞ、と。

ちょうど僕がヴァン川での遠吠えを聞きつけた数匹の仲間の勝手な噂も相俟って、謎の暗躍に尾ひれがつき、今じゃ僕は、村に潜む危険な人間の匂いが分かることになっているらしい。

何を言っているのかと思うかもしれないが、ちょっと誰かの前で神妙な面持ちで鼻をひくつかせてやるだけで、皆不安げに僕の顔色を窺うので、それはそれで面白いと、今は異能の狼のふりを楽しんでいるところなのだ。


だが、Fenrirさんの質問は、少しずれていた。

その傷はどうした、とは聞かなかったのだ。

眼に、何かがあったと、本能的に気が付いている。


やがて余りにも短い思考で、彼はあっさりと結論に辿り着いてしまった。

“あいつかっ!? あいつがやったのだなっ!?”

“ち、違います。これはTeus様とはっ…”



言い終わるが早いか、それからFenrirさんは、Teus様の方を憎らし気に見つめると、彼を口ぎたなく罵りながら、大股で詰め寄っていく。

“ま、待って…”


普段のFenrirさんであれば、まあそうしただろう。

けれども、僕が見た彼の怒りは、常軌を逸していたのだ。


歩みの覚束なさからは想像もつかない、どこにそんな力が残っていたのだろう。

弱り切っているなどという、僕の描写は全くの的はずれだったらしい。獲物の射程圏内など、この狼にとってはこの森全土であると言われても、驚かない。

一瞬で彼の目の前まで移動すると、牙を剥いて唸ることすらしなかったのだ。

「おい、どの面を下げてやってきたのだ?」



「許さんぞ、貴様…」




耳元に自分の口を寄せ、怒鳴りつけるよりも恐ろしく、彼に再会の辞を告げる。

「Skaに何をした、Teus。」






僕があれだけ望んだFenrirさんとTeus様の邂逅は、皮肉にもこうして実現したのだった。

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