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39.悪意の度量

39. Measure of Wickedness


供述としては、そんなところだ。

この地方の人間をいくらか殺すことが出来れば、それだけで戦況は大きく傾くと聞いた。



それだけだ。



悪人が孕んだ強運の使い道さ。そうするだけで、勝手にその国は滅びだす。

逆だな、世界が自分に味方するんだ。

何の意志も込めずにやったことを、頼んでも無いのに挙って手伝ってくれる。

自分のそれが世界の意志になる。

ああ、聞こえがいいね。


どのみち敗戦国の売品として、奴隷のように喰い殺される定めなのだ。

それは、もう変えられることじゃない。俺なんかの力ではね。

それにこれは、時間の問題である以上のことなんだ。

遅かれ早かれ迎える結末を見守るより、被害もずっと少なくて済む。

ただ、ほんの数人が先に犠牲になって貰うだけで、国は修復することもままならないほどに疲弊する前に、その門を開いて、王の首を差し出すことが出来るのだ。

大勢の命を救うための、少数の犠牲を選ぶことを、躊躇さえしなければ、これは大義ある任務だと言っても良いんだよ。


人間をそのように導く罪悪感はあるのかだって?

そうだね、その話もしてあげよう。


始めは、死ぬ覚悟のある人間を殺めることで、自分の目的を果たしてた。

戦場で相対する兵士を屠ったところで、誰も俺を咎めないだろう?

それで大波が背後から押し寄せるのを確認したら、頃合いを見計らってそっと死体の原野から姿を消す。


それが嫌になった理由は聞かないでくれ、自分でもはっきりしないのだから。

ただ、それの代わりになるような生き方があるのなら、喜んでそちらを選びたかった。


俺は、自分がだれかを殺したような感覚を伴わないことを望んだんだ。

貴族や王侯の類になりたかったんだね。とにかく戦争に距離を置きたかった。

違うのは、権力を駆使して誰かの命を奪うんじゃなくて、殺すのはあくまで自分自身だと言うこと。


それは矛盾と言うには幼稚過ぎるほど実現し難い要請だった。

それ故先人はこういうものを考えてきたんだろう。まあ、流石に動機までもが一緒であってはたまらないが。

けれどもしかしこれは名案だ、と思う。



俺は、毒を盛ることにしたんだ。



この毒がどういったものかは知らない。

それこそ用意された薬包紙の中身を、言われた通りの量仕込んだだけだ。

いや、結局のところ、仕込む動機と隙を与えたと言った方が正しいのかな。


身を窶した商人の荷積みのどこかに、それが入っている。

そのことしか俺は知らない。


でもそれは、ひょっとすると俺の思い過ごしかもしれないだろ?

それにこっちも、生活が懸かっているんだ。憶測で商品を売らない選択をして丸損する商人なんて残念ながらいない。


このやり方が素晴らしいのは、主体的に売っているのは他でもない俺自身でありながら、誰を殺したのか、俺自身は知る由もないってことだと思う。

どれだけ気が楽なことか。殺したかもしれない買い手に笑顔を振り蒔きながら愛想よくわかれるのは。

だって、もう会うことも無いのだから、死ぬ間際の苦しみを見届けずに済む。

役者の才能があるな。何の躊躇いもなく商人と言う仕事を純粋に楽しめた。

そのまま人間でいてやろうかと考えるぐらいに。



ああ、構わない。とんだ下種野郎だと蔑んでくれ。

罪悪感を薄れさせるためにこうしたんだ。

そのように言われて後ろめたさを感じるようでは、肯定しきれないだろう?


思うに、こんな非人道的行為に走ることのできる前提として俺は人間じゃない。

或いは少なくとも、殺している相手を、自分と同じ存在だと思ってない。

そりゃあ、神様の地位も堕ちるだろうな。



何も感じてなんかないさ。


ただ代わりに、俺はこうして泣き叫んでいるだけ。







ベッドに横たわる彼女の額にかかった髪をそっと除け、恐る恐る水で濡らした白布を乗せる。

これで、少しは楽になるだろうか。

固唾を飲んでその様子を見守り、膝に置いた拳を爪が喰いこむほど強く握る。


酷い熱だ。凍えるような寒さの夜だと言うのに、汗が噴き出して止まらない。

外の雪を両手に救って乗せたほうが、遥かに効果があるように思えるほどだけど、実行する余裕が無い。

彼女の容態はみるみるうちに悪化していった。

触れることすら反射的に嫌がった、先の不気味な痙攣が治まると、彼女は途端に身体が焼けるように熱いと訴えだした。

どのような症状が現れるのかを聞かされていなかった俺は、それが死に至るまでのどの工程に差し掛かっているのか見当もつかなかったが、心の準備ができる最後の段階であることだけを感じ取った。

恐らくは、毒が十分に全身を巡って、身体がそれに対して反応を示しだしたところなのだろう。

そしてその次の段階には、きっと毒が好き勝手に蝕み回って身体が壊れだす。

か弱い命は踏み躙られ、やがて千の悲鳴を上げるのだ。



致死毒であるとだけは聞いている、もう助からないだろう。

逃れる術なんて知らない。

知る必要も無かった。だって、助ける必要もないと思っていたから。

今の今までは。


よりにもよって、どうして彼女なんだ。

重傷を負わされたあの蛮族どもが奪っていった中に、その全てが入っていても良いじゃないか。

なんで、命からがら掴み取った数個の中に、残っているなんて事があるんだ。



思わず彼女を置いて家から逃げ出したい衝動に駆られた。

何をどうしたら良いか分からない上に、これから加速する苦しみにのたうち回る彼女の姿を見守ることが出来る筈も無かったからだ。

自分も殺人鬼じゃない。死に逝く様をにやにやといやらしい笑みを浮かべて満足げに眺めるような趣味は無かった。


全部投げ出して、逃げ果せられるだろうか?

腹部の刺し傷を抱えながら、凍てつく雪道を走って、走って、走って。

俺が神様であることなんて誰も知らないし、気にもしないような場所へ。辿り着けるだろうか?

やり直したいなんて、そんな甘いことは言わない。一生引き摺ってでも良いから。

なんて。






こんなことになるなんて、思ってもみなかった。



束の間の峠を越えたのか、彼女は落ち着いた表情を見せる。

気の持ち様だろう。ここから快方に向かって行くのだ、もう怖いものなど何もないと俺に同意を求めるように微笑むこともあれば。再び始まる拷問に、お願いやめてと咽び泣きながら俺に助けを求めることだってできる。

どちらであっても、俺に出来ることなんて、笑って頷いてやるよりも酷いことしかできない。

だって、彼女が苦しんでいるのは間違いなく、自分のせいなのだから。




看取る、と言う行為がどれだけ償う意味に変わるのだろうか。




許されることしか考えていない、それだけでもう何の意味も無いのだけはわかる。

でも、逃げる意気地も、気力だってない。



…できるだろうか。

俺に、彼女の最愛の夫を演じ切ることが。




また、彼女の呼吸が乱れ始める。

ゆっくりと目を開いてこちらを向いた。楽になって遠のいた意識が戻りだしたらしい。

「リフィア…さん…?」

俺が、まだ分かるだろうか。掠れる声で確かめる。


彼女は、安心したように微笑んでくれた。

いつもそうだ。看取られる側と言うのはそうやって、自分は元気なんですよと、ここぞとばかりに健気に振舞って見せる。


疲れ切った俺は、笑い返す余裕がなかった。

眠気にも似た靄に頭を包まれ、考えることを放棄したがる。そんな呆けた顔を、笑った顔と取れなくもないだろうか。

それで、虚ろな目のまま、彼女を見守っていたんだ。




「…!?」

それがどれだけ愚かなことだったか、俺は顧みることもしなかった。

全く気が付かなかったんだ。

彼女が手を伸ばして、俺の手を握りたがっていることに。


相も変わらず強く握りしめるだけの拳に触れた手に驚き、はっと顔を上げる。

そ、そうか。そうだよなあ…。


自分が死に逝くと、彼女の中ではっきりしているのだろうか。

いいや、きっとまだ理解できていないんだ。

それで、寂しいから、唯一確かだと思える、側にいる俺と繋がりたかったんだ。


…どうして想像できなかった?

病床の妻の手を両手で握り、最期まで看取ろうと振舞う夫の姿が。

できるだろう…それぐらい。




「…どうして?」

彼女の右手を両手で包み込んだ俺は、それを額に寄せて、声を押し殺して泣いていた。

そうすれば、彼女の顔を見ずに済むから。

「テュールさん…?」


どうして、泣いているかだって?


耳の奥で、轟々と吹雪が回る音がする。

自分も、酔いが回り始めたみたいだ。

「お、俺があっ…貴女を…」


声が震える。

貴方の前に突然訪れた、見ず知らずの男が。

それっぽい思いだけを握らせて。


彼女に一番苦しい夢を抱かせたまま、

その夢の中から一生目覚めさせないまま、

殺してしまうだなんて。




「俺のせいだっ!…俺が貴方に毒を盛って殺したんだ…!」




はっきりとした理由もなく、誰でも良かったと抜かすにも拘らず。

そう告白することに、一体何の意味があっただろうか。

許されるとでも思っているのか。

或いは自分が自分を少しでもそうしたいのか。


少なくとも、彼女が勘違いをしたまま、幸せに目を閉じて欲しくないと思ったのだ。

騙されたままであれば、死から逃れられぬ彼女からどれだけ苦痛を取り除けたか。

それなのに、俺は彼女が自分のことを激しく憎んだまま、この世を去って欲しかったのだ。

とんだ嘘つきの神だ、殺してやるぞってね。

蔑んで、詰って欲しかった。

そうしてくれたなら、どれだけ楽だったか。




俺はその言葉を心から待ち望んだ。

彼女が本当に言葉を綴ることが出来なくなってしまう前に。

みるみるうちに彼女の表情が絶望に打ちひしがれ、やがて憎悪のそれへと変わり…。



「うふふっ…本当におかしな人。」




…嘘だ。

「もしも、その言葉が正しかったら、それはいつですか?」



「私と一緒に、貴方は同じものを食べた。そうでしょ?」



「ええ、とっても幸せな時間だった…。」




「……。」




俺は、誰かの命を意味もなく奪うために、

自分自身を、同じ土俵に乗せた。


俺も賭けたんだ。自分の命を。



毒入りの瓶が混ざった中から、皆が手に取ったように。

俺も一つを選んだ。

それで、少しでも罪の意識を減らしたかった。




ああ。俺は、運が良いからね、

きっと当たりを引くと思ってた。

驚いたよ、まさか本当に引き当てるとはね。



それは俺の周りをまわりつづけるだろう。

ただ、そうと知っていて飲むにはあまりにも怖すぎたんだ。





でも、どうなるかはこうして予見できたし、少しは恐怖も薄れてくれるだろうか。

もうすぐ自分も歩む道だと覚悟はできた。

できれば、何も知らないふりをして一緒に苦しみたかったのだけれど。


どうしてだろう。嫌だよ、恐い。一人取り残されて、それから死ぬのは。

殆ど同時に飲み込んだ毒なのに、どうして彼女は先に旅立ってしまう?




「…だから私は、貴方が毒を入れただなんて、そんな言葉信じません。」

「で、でも…。」

そんな隙はいくらでもあったかもしれないでしょう?

俺にどんな面影を見ているのかは知らないが、それは人を信じすぎと言うものだ。

お人好しにも程があるだろう。




「そうかしら?…もしかしたら、そんなことができたのは、料理を作っていた、私の方かも知れませんよ?」

「…っ!?」




間違いなく、貴女はこれから死ぬ。

俺だってその筈なんだ。個人差があるのか、神様には少々周りが悪いのかは知らないが。

もしそうだとしても、残りの一本の瓶を、俺は丸々飲み干してでも、致死量を稼いでやるぞ。

彼女が何を言っているのかは理解しかねたが、そうでなきゃ意味が無い。


俺は机に置いてあったはずのラム酒入り瓶を今すぐ開けようと、震える両手を離そうとする。


でも、そうさせてくれなかった。

彼女の頬を伝う涙に、目が釘付けになったからだ。




「…嘘、だ。」

譫言のようにそう呟き、もう一度彼女の名前を呼ぼうとしてみる。

が、それができない。

君は、リフィアじゃない、のか…?



「フ、Freya…?」

どうして、どうしてそんなことが?

あり得ない、そんなこと、ある筈がない。

そんな馬鹿なことがあってたまるか。


…彼女がこの世界に来ている筈がない。

ないんだ、そんなこと。



ぽたり、ぽたりと、握った手の上に涙の痕が滴る。



俺の曖昧な呼びかけをどのように受け取ったのかは分からない。

でも、何らかの形で、彼女は俺から死ぬ望みを奪ったんだ。


もう手を離すことが出来ない。

だんだんと、彼女が苦しみに囚われだしたから。


時折唸り、苦痛にゆがめた顔を見られたくないばっかりに、また笑顔に戻そうと戦うのを、俺は狼狽えながら、一緒に乗り越えるつもりになって泣いていた。

「いやだ…やめてくれ…もうやめてくれ…!!」


「もうしないから!!もうこんなことしないから!!お願いだから!!」


「お願い…だから…。」







「ああ、シリキ!!…帰ってきてくれたのね!?」

「…っ!?」



唐突に、彼女の意識が明瞭になった。

終わりが、近づいているのだと悟った。もう、俺のことは見えていないらしい。


やった、と思わず心が嗤った。親切なことに、これ以上彼女のことを苦しめるつもりはないようだ。

酷い熱が見せる幻覚が、その名が、俺に重ね合わせていた最愛の人であることを理解するのに時間はかからなかった。


それは幻とすら呼べなかったかもしれない。

俺が彼女のことを、そのように思えなくなっているのと同じだとしたら、自分に盛られた毒は、きっと同じ類のものなのだろう。



弱々しく頷くと、俺は彼女が上体を起こすのを手伝い、片腕で背中を支えてやる。

目を瞑り、揺らぐ像を振り切ると、しっかりと笑顔を作り直した。



それは、俺の周りをまわり続けるだろう。





「…ただいま。リフィア。」




俺は、最愛の妻に自分の唇を合わせると、

彼女から流れた涙を口の端に含ませ、

その柔らかな舌へと潜り込ませたのだった。


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