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33.落ち葉拾い 3

33. Gleaning 3


“俺の方へ、追い立てられるか? 彼奴らの一頭で良い。”

僕は目配せで承知しましたと答えた。

“指示は任せたぞ、なるべくその通りに動くよう、努力する。”

では、後でまた会おうぞ。そう言い残すとFenrirさんは僕と袂を分かって所定の位置へと向かって行った。

それを見送ってから、僕は一度走るのを止めて深呼吸をすると、小走りで標的までの距離を縮めて行くことにした。

彼の計画はこうだ。この先には僕らがこれから狩る鹿の群れが潜む密林があるが、そこから彼らを上手くFenrirさんの待つ風下へ誘い出すためにはちょっとした工夫がいる。

きっと僕が群れの中に単調に突っ込んでいくだけでは、群れ仲間は離散して、方々がばらばらに逃げ出すだろう。それでは目的の場所へ追い立てることにはならないのだが、必ず一頭だけ、こちらの思惑通りに動いてくれる獲物がいる。

それは、子連れの親鹿だ。

親鹿は良くも悪くも、子鹿の身を守ることを念頭に置いて行動せざるを得ない。それが足枷となっているのならば、利用しない手はない。少し子供の方へ狙いを付けただけで過剰に反応して庇おうとするのだから。

僕が右後方から追ってくると知れば、子供を左傍らに寄せて走りたくなる。だから一度子供より前に出て、自分がやや右寄りに進みながら速度を子供に合わせて落とすのだ。そうしてできた親の盾を、本命が裏から喰い破ってしまえば、上手く行けば両方とも仕留められる。

Fenrirさんの情報に間違いがなければ、まだ生まれて数か月と立たない鹿が2頭、あの中にいる。普通は鹿の群れは雄だけか雌だけのどちらかだから、つまりは雌の群れだ。目の付け所は正しく、これは僕らの格好の餌食になる。

具体的には、僕がまず群れの探知から外れたぎりぎりまで近づく。そしてあちらが突発的に走り出すかどうかのところで襲い掛かり、必ず母親の後ろを着いて走る子鹿を執拗に追いかける。おそらくはあちらの方が初速は上回るだろうけど、やがて回り込めるはずだ。あとは子供を親から引き離す意識を強く示して立ち回りながら、大口を開けて待つ彼のもとへ追い立ててやれば良い。

時折僕は、熱り立って吠えて見せたり、立ち塞がって低く唸ったりする。それと周囲の足音を指示として、Fenrirさんも上手く待ち伏せの手はずを整えてくれるに違いない。


僕らの感覚で言うと、こうやって獲物を追い立てて回り込み、足止めと退路を断つところまでは下っ端の役目になる。とどめを刺すのは、最も力のある群れのリーダーだ。

いつもはそれが僕で、今回はFenrirさんということになる。

別に不満はない。この森の知恵の多くを彼は身に着けているだろうから、僕の役割を担うのには適役であるようにも思えるが、相手を仕留める確実性を考えれば、それは問題にならない。間違いなく、この狩りの陣形の最適は僕が追い立て、Fenrirさんが喰い殺す。これが正しい。

もちろん僕が先に追いついて噛みつくことが出来ればそれで良いし、そうして傷を負わせて少し減速させただけでもお手柄と言うことになる。つまりはどの役割も狩りを成功させるには欠かせないと言うことなのだ。

頭の中でもう一度流れを反芻すると、僕は小さく頷く。

よし…大丈夫、いける。


頭を仰け反り、大きく息を吸い込んだ。

“ゥオオオオオオーン…!”

狩りの始まりを、友と敵に知らせて。




落葉に彩られた景色に毛皮を馴染ませながら、僕は頭を低く下げてゆっくりとそいつらに近づいて行く。

恐ろしい獣の遠吠えに、獲物たちはそちらを怯えながら注視し続ける他無かったようだ。

相手には、辛うじてその存在を窺い知ることが出来ているのだろう。

どう見えているだろうか。彼の大狼が、やがて枯れ木の群れから姿を現すと想像するだろうか。

獲物の気持ちなんて殆ど考えたことが無かった。今まで狩りの間は、一緒に走る仲間のことしか頭になかったから。

当然だろう、僕らが獲物になるような日なんて、未来永劫来るはずがない。

しかし相手の立場に翻ったとして、僕じゃあやっぱり見劣りするのかな。人間の皆は僕の自慢の体格の良さに驚いてくれるのに、Fenrirさんが標準サイズとなると、鹿たちもちっぽけな狼だと安堵すら覚えるかも知れない。

でもそれは好都合だ、Fenrirさんの伏兵としての価値が高まる。花形を譲って引き立てる立場も悪くない。

まだだ、まだ近づける。もう少し…。


…今だっ!

僕はあちらが突発的に走り出す限界を見定め、頃合いを見計らって茂みから飛び出した。

先手は取れた、踵を返して走り出す鹿の群れに対して大きく距離を詰める。

同時に僕は全体の頭数と、標的とすべき獲物の位置を把握する。Fenrirさんの報告通り、全部で9頭いるうち、特に小さな鹿が2頭いた。そのうちの一頭を予め目を付けていたが、もう一頭は僕より遠い位置にある。標的を変更する必要はないな。

予想通り、哀れな小鹿は母親の逃げる後をついて駆け出す。その方向が彼の待つ密度の薄い白樺の林に繋がっているのは、僕が仕掛けた奇襲が完璧であることを物語っていた。

いいぞ。そうだ、それで良い。

息切れをするほど全力で追いかける必要はないから、あちらがスピードを緩めることを許さない程度の脅威を与えるべく、距離を詰めていく。

Fenrirさんよりも木の幹には精神をすり減らす必要が無いのは良かったが、こんもりと積もった枯れ葉や枝木が、視線の低い僕には厄介だった。まだここら一帯の地形を良く知らないのも向かい風でもある。視界の端で弾けるそれらの破片に気を取られないよう、今までよりも集中して走り続けた。


よしよし、良い感じだな。

相手側のトップスピードもだいぶ落ち、互いの実力差が徐々に現れてきた。

正直なところ、このまま追いかけ続けても直に触れられそうだ。僕がやっても良いんだけど、いよいよ主役の出番だ。

相手は、あの小丘の伏兵に全く気が付いていない。僕には耳で彼の位置が分かっているけれど、決死の逃亡を繰り広げているこの親子には、周囲を探る余裕なんてもう微塵も残されていないのだ。

“バゥッ!!”

ここぞとばかりに僕は威嚇のひと吠えを鋭く投げつけると、大きく親鹿に近づいた。

仕留めにかかっていると判断した獲物は、小鹿を庇いながら僕との距離を空けようとする。

そうかい、そのつもりなら遠慮なくっ!

僕は後ろ足に力を込めて飛び掛かると、思いきり尻の肉に噛みつき、深々と牙を突き立てた。

ぶすりと皮膚を貫き、鮮血がはじける。

“ヒギィィィィッ!”

耳障りな悲鳴を上げ、走り続けながらも後ろ足を大きく動かして恐ろしい形相をした追っ手を振り落とそうとする。

僕は両前脚の爪を喰いこませて抵抗するが、あちらも流石に必死だ。ものすごい勢いで振り回され、ほんの一瞬で尻肉から牙が離れてしまう。

粘ることはせず、あっさりと両前脚も離して追撃を諦める。右前脚を踏み外して地面に軽く叩きつけられるが、すぐにそのまま走り出せる姿勢になれた。

これで良い、足止めができれば十分だ。

手傷を負わされた親鹿は、この機会を生かしてできるだけ僕を突き放そうとするだろう。

この狼から逃れることさえできれば命は助かる、一縷の望みを力に変えながら。


“Fenrirさん、よろしくお願いしますっ!!”

僕は自分の襷を渡したことを叫び、後はその行く末を見守った。

忽然と姿を現した絶望。恐らくは、森の中で鹿たちはこの狼を何よりも恐れただろう。

それが、最も遭遇してはならないこの局面で目の前にいるのだ。最早逃れる術はない。

彼らは、軌道を変えることも出来ぬまま、その大口へと突っ込んでいった。

あとは、ほんの一噛みで命を奪うだけ…。




そう安堵した直後だった。

狼は、僕の予想だにしない行動に出た。

“えっ…?”

脇に軸をずらし、進路を譲ったのだ。

小鹿もそれに倣って活路を駆け抜ける。

思わず僕はその場に立ち止まり、困惑した表情で彼の方を見た。

“どうして…?”

“…?お前がやるのではないのか…?”

はい…?

そんな、どうしてそうなるんだ?

“だっておびき出せって言ったのは…!?”

それでようやく、Fenrirさんもしまったという表情を見せた。

“すまん、お前が噛みついたから、もう仕留めてしまうのかと…。”

“そんな…!”

力が抜けそうになるのを堪えるも、僕はそう呻かずにはいられなかった。

どうやら僕と彼の間には大きな齟齬があったらしい。確かにファーストアタックを仕掛けたのは僕だけれど、Fenrirさんはそれをお膳立てとは捉えなかったようなのだ。

しかも出しゃばったと思うどころか、僕に美味しいところを譲ろうとしてくれただなんて。

その結果、互いにあと一歩のところでとどめを刺さず、獲物が走り抜けるのを指を咥えて見逃す羽目になってしまった。

殆ど袋の鼠だったと筈だ、こんな間抜けなことがあって良いのか。

上手く行っていると思っていたその実、全く連携が取れていなかっただなんて。

普段と勝手こそ違うものの、仲間の狼たちとそうするように自然な流れで協力できると思っていただけに、それは酷く応えた。

僕なら息ぴったりで、Fenrirさんのお役に立てると思っていたのに…。

“…追わなきゃ!!”

思わず目的を見失いそうになり、僕はもう一度Fenrirさんに向かって叫ぶ。

まだだ、まだ狩りは終わっていない。

本来ならば、こちらもかなり消耗した以上、一度手を引いて身体を休めるべきではある。

見逃したところでまだ近くに獲物はいるだろうし、また機会を窺って、今度こそ確実に仕留められるよう、作戦を立て直すのだ。

でも僕は、この狩りが失敗に終わったことを認めたくなくて、そしてFenrirさんに自分のことを失望して貰いたくなくて、流石に息の上がった身体に鞭打ち、このまま無謀にも追跡を続けたがった。

嫌だ、折角期待されていたはずなのに。

またあの疑心が頭を擡げた。

僕は狩りも碌にできない‘飼い犬’なんかじゃない。



“わかった、任せろ。”

その言葉に頷いた彼は、まだ姿がそう遠くない標的に向かって走り出した。

“…!?”



一瞬の出来事に絶句する。

その場に彼の姿が見えなくなったかと思えば、

後を吹き上げる落ち葉が舞い降りるよりも速く、決着はついてしまっていたのだ。


次の瞬間には、彼の牙は親鹿の首元を貫通し、右前脚の爪の下には小鹿が叩きつけられて頭を潰されていた。




怖い、と思ったのは、僕が絶命した獲物の気分を味わっていたからではない。

恐らくそれは、この大狼の動きが、凡そ狼のそれを凌駕していたからだった。


でも、それ以上に僕の心を深い闇の中へと突き落したのは、

自分がいなくたって、彼一匹で容易く狩りは成し遂げられていた、という子供騙しの事実だった。



…そうか、Fenrirさんは、僕が狼に足る存在であるかどうかを、試してたんだね。

だから、僕があそこで鹿を仕留めきることが出来るかどうかを、見守っていたんだ。

そんな。そうだと分かっていれば、僕もあの場で殺せるように立ち回ったのに。

でも、そんな僕の独り舞台も、彼からしてみればきっとお遊びに過ぎないんだ。あれだけ狼離れした動きを見せられてしまっては、どんなに狩りの得意さを自慢してみても、途端にそれが真似事の如く思えてくる。


狩りは、失敗だ…。


僕は視線を落とし、きつく目を瞑って涙を奥へ引っ込めた。

悔しい、けど、僕じゃあんなことできない。

Fenrirさんみたいな狼には、僕はなれない。

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