33.落ち葉拾い 2
33. Gleaning 2
“今日は天気は良いのに、だいぶ冷え込みましたね。”
“ん、そうだな…。”
駆け足に切り替えるかぎりぎりの速さではあったが、Fenrirさんは如何にも森の王様らしくゆったりと闊歩する。
“Teus様、とっても寒いのが嫌みたいでした。此方に来てもFenrirさんは冷たいし、って…。”
“ふん、良い気味だ。”
“そ、そうですか…?”
“…。”
だ、だめだ。全然会話が続かないぞ…。
先ほどから頑張ってFenrirさんに話題を振って、話をしてみようと試みているのだが、どれも二言三言の返答で終わってしまい、一分と持たない。
遊びに来たのは僕のほうだし、それではあまりにも気まずいので、何か話すことは無いかと頭をひねっている次第である。
ほんとはもっとお話ししたいんだけどなあ…。
お互いが黙りこくっているときの間が、居心地が悪くてとてもつらい。ともするとFenrirさんは怒っているのではないかと言う気さえしてくる。何か気に障ることでもしでかしてしまっただろうか、胃に悪い心配に気をもみながら、何でも良いからとにかく話しかけてみる。
ええと、そうだ。どうやったら人間の言葉をしゃべれるようになるのか、知りたかったんだ…。
“あれ、喰うか?”
唐突に声を掛けられ、驚いて彼の方を見上げる。
“えっ…?”
思わず声を上げて身体が小さく跳び上がる。
Fenrirさんは上体をふわりと浮かせて後ろ足で立ち上がり、なにやら頭上の木の傘に向かって前脚の爪を伸ばしていたのだ。
す、すごい。あんなに高いところに手が届いちゃうなんて…。いや、手じゃないんだけど。
一挙手一投足が豪快で見とれていると、飛び立つ鴉の影とともに、彼がちょいと触れた枝先から何かが落ちてきた。
わわ…僕の方に向かって落ちてくるぞ!
その場で身構えて、迫りくる未知の物体を確かめようとする。
何だろうこれ、しかもこれまたけっこうでかいなあ!
どうしたら良いんだろう、食べれるものをFenrirさんは僕のために落としてくれたんだよね?
これは、ぼーっと落ちるのを見守っていてはいけないと気付き、慌てて僕も尾をぴんと立てて備える。
結局何なのかも良く分からないまま、僕は落下点に素早く移動した。
…よし、今だ!
僕は一歩だけ下がると、後ろ足に力を込めて宙に向かって大きくジャンプする。
そして身体を上手に捻って、タイミングよく獲物に向かって齧り付いた。
“ばぅっ…!”
口の中に、貫いた牙を伝って汁が流れ込む。
“ナイスキャッチ。”
Fenrirさんが朗らかな声で称賛の言葉を贈る。
うまく行って良かった、僕は尻尾をぷいぷいと振って喜びを表現する。
そして、大きく開けた口の中に捕らえられた果実を見て、僕は更に喜びの声を上げた。
“リンゴだっ!!”
それは僕の大好きな果物だった。長老様がよく、僕に切り分けた欠片を手のひらに乗せて食べさせてくれたっけ。
“良い季節になったものだ。食べるには頃合いだろう。”
“ありがとうございます、Fenrirさんっ!”
“まあ、腹の足しにはなるまいが…。”
そう言って自分自身も、もう1個の果実を牙と牙の間に挟み込む。
ちょっと力を加えただけで、それはくしゃりと子気味の良い音を立てて砕けてしまった。
そっか、Fenrirさんは口も大きいから、こんなのも一口で平らげちゃうのか。僕にはこんなに大きいリンゴなのに。
“これだけ食べたら、僕もFenrirさんみたいに大きくなれますかね?”
僕は両前脚で逃がさぬよう最初のご褒美を抑えつけながら、牙で果肉を齧り取る。
“大きくなったって、良いことなんて一つも無いぞ。”
“そうなんですか?僕、Fenrirさんみたいに大きくてかっこいい狼になりたいなあ…。”
“幸せなことに、お前がどれだけ努力してもそれは無理だ。”
Fenrirさんは恥じらいを表に出すどころか、冷たく笑って何も言わなかった。
“まあ、ゆっくり喰え。…腹ごしらえが済んだら、行くとしようか。”
“はい、いただきます。”
Fenrirさんは僕がリンゴをむしゃむしゃするのをのんびりと眺めながら、今度はあちらから話しかけて来てくれた。ちょっとは会話をする心を開くきっかけになったとか思うと、僕も精一杯話かけて良かったと感じる。
“済まないな、あいつの気まぐれに巻き込んでしまって。”
“いえいえ、とんでもないです。”
Fenrirさんの方を向くと、ゆっくりと顔を逸らした。
“お前は、あれだったな…あの村で暮らしているのだったな。”
ええ、その通りです。僕は口の周りの果汁を舌で舐めながら答えた。
“それは、つまり人間と、一緒に暮らしているということ、なのか…?”
“そうですね、僕らは人間の皆さんに囲まれて暮らしてます。”
そう明るく声を返した。仲間の狼や長老様のことを思い浮かべるだけで、もう嬉しい気分になる。
“…ではそれは、お前が人間の家で、人間のように生きている、と言うことなのか?”
いえいえ、そんなんじゃないです!
“僕は優秀なので、他の仲間と違って人間の言葉が分かりますが、Fenrirさんみたいに喋ることはできません。だから、そんなことできないです。”
“そ、そうか…。そう、だな…。”
この森で僕がまだ見ていないだけかも知れないですが、人間の家がちゃんとあります。
“なので、僕らはご主人様の元で伸び伸び生きてます。僕らには狼の群れとしての暮らしがちゃんとあって、その中に今回みたいなTeus様のお手伝いとか、人間の皆様との接点がある感じです。”
“ふうん…。”
そこで押し黙ったFenrirさんに、僕も上目遣いに同じ質問を投げかけてみる。
“Fenrirさんは、此処でTeus様と一緒に暮らしてるんですか?”
“んな訳ないだろ。あいつが勝手に、土足で入り込んで来やがるのだ。”
“そ、そうですか…。”
過剰なまでの嫌悪感に一応笑っては見るものの、予感はやはり的中していたと知る。
しまったな、あまり嬉しそうに喋った自分のことを後悔してしまい、尾の動きが鈍る。
“まあ、あれか。‘飼い犬’のようなものか。”
え…?
その言葉は、あまり聞き捨てならないものだった。
僕らに対する蔑視のようにも取れたからだ。何もそんな言い方をしなくても良いのに。
僕らは、立派な狼の群れで、僕はそのリーダーなのに。
どこか、Fenrirさんの中で狼がそのような生きかたを送ることを認めていないような節がある気がする。
狼が人間に尻尾振って、言うこと聞いてご褒美を貰うのに、犬と何の違いがあるのか、と。
“そうかも、知れないです…。”
憤りとまでは行かなかったが、流石にむっとして声音と視線を落とす。
それからは口を黙って動かすことに専念した。
“…野暮なことを聞いたな、そろそろ行くとするか。”
居心地悪そうにしている僕をFenrirさんは意に介さずと言った様子で立ち上がる。
“お前、狩りはできるか?”
“え?ええ…。”
唐突な問いかけに、僕はどちらとも取れないような仕方で頷いた。
“喰わせると言っても、その場で捕まえるしかないのでな。何か狩ろうと思うのだが、手伝ってはくれぬか?”
そうか、今度は僕にお肉を食べさせてくれようとしているんだ。
先ほどの言葉が耳元で疼いていた僕は、それが自分が犬ではなく立派な一匹の狼であるかを試されているのだと受け取った。小馬鹿にされては溜まったものではない、答えは一つしかなかった。
“もちろんですっ!!”
やるしかないぞ、Fenrirさんに認めて貰わなくては。息巻いた僕は身体をぶるぶるっと震わせて、そして大きくふしゅんとくしゃみをしたのだった。
“止まれ…。”
僕は声を出さずにスピードを落とし、彼に倣って頭を低く下げて先の茂みを窺った。
“良くついて来れたな、流石だ。”
“…いえ。”
褒められたのに、あまり尻尾に響かず、僕はこれからのことに集中している様を見せた。
ほんの少し彼と並走した道中だけで、Fenrirさんのほうが、僕より遥かに速く走れるのだと思い知らされた。
動きこそゆったりとして一歩の大きさに頼るようではあったが、それは僕にスピードを合わせてくれていたからであって、本気になれば僕と同じぐらい素早く脚を回すことが出来るのだろう。
余裕のある動きとは、見た目には奇麗でも、当の本人は案外それで苦しかったりするものだ。
それは余裕があるせいで不用意に脚が宙に泳いだり、身体の細部に気を配ってしまうからであり、逆に余裕をつくろうと地を蹴りだすのに肝心な時点で力を込め切らなかったり、ふやけた体幹で起伏に富んだ道に抗えなくなってしまうからだったりする。
端的に言えばあるべき走りとの差に食い潰されるのだ。
そうした隙が微塵も感じられないのは、僕の眼から見てそう断言できる。本気の走りから力を抜いているからできるのだと思う。
標的は、洞穴から西の方に小一時間ほど走った先の、林中に潜む鹿の群れだった。
“そう、あれだ…。あいつらを狩りたいと思う。”
此処まで迷わず先導してくれたFenrirさんの耳には、遥か遠くからでも予め存在が知らされていたに違いなかったが、立ち止まって意識を傾けると、やがて僕もその足どりと息遣いを捉えることができた。
そのことを話すと、Fenrirさんは笑って種明かしをしてくれた。
“買いかぶりすぎだ。ただ単に、俺には見当がついていただけのことよ。”
“どういうことですか…?”
始めはあのようにして群れているところを狩るのは容易かったのだが、彼奴ら知恵を付けおってな。
図体ばかりでかい俺が入り込むのが難しい、こういう細木の密集した林や茂みに身を隠すようになったのだ。
今では彼らの安息地となっているわけだな。その一つがここら一帯のか細い雑木林ということだ。
“そうだったんですか…。確かにFenrirさんにはちょっと動きずらそうかも。”
僕は、頭上を覆いつくす枝傘の網目から覗く空を仰いでそう呟いた。
この林の合間を縫って巨体の彼が標的へ迫るのは、中々に骨が折れそうだ。
ぶつかることは無いだろうにしても、注意は必要以上に迫られ本来の力はだいぶ削がれてしまうに違いない。
“しかしSka、お前は違う。”
お前ならこの忌々しい楽園を、自在に駆け回ることが出来る筈だ。
その上、お前は足音が俺よりも遥かに小さい、隠密に長けることが獲物との距離を詰めるのにどれだけ大事か、お前なら良く知っているだろう。
“これはお前にしかできぬ役割なのだ…俺に力を貸してはくれぬか?”
Fenrirさんが自分をここまで連れてきた理由がようやくわかり、今までの疑念が嘘のように尾を振った。
そうか、これは僕にしか任せられない仕事なんだ。
自分なら、Fenrirさんのことを手伝ってあげられる、力になれる。その言葉が全身を震わせた。
“僕に任せてください!”
今まで仲間の狼たちや、人間の狩人と協力して獲物を襲った経験は数知れなかった。
その中心で活躍してきたこの僕がついてるんです。きっと成功させて見せますよ。
“よし、その息だ。頼んだぞ、Ska”
“はいっ…!”
僕が前脚で少し跳ね上がるくらい意気込むと、彼は頷いて優しく微笑んでくれた。




