32.星界の翼 2
32. Wigs of the Cosmos 2
翌日、Teus様は早速僕のもとを訪れると、一緒に来て欲しいと声をかけた。
“それじゃあ、行ってくるね。”
妻と子供たちに別れの挨拶をすると、皆口元へ顔をすり寄せてくれた。
“どうかご無事で戻って下さいね。”
“うん、ありがとう。それじゃあ、良い子にしてるんだぞ。”
“いってらっしゃーい!”
向かった先は、ヴァン川の向こう側の森だった。
普段は狩りをするとなると、北側の森の中に少しばかり入っていくだけだったので、これには驚いた。自分はおろか、村の人達でも立ち入らないような場所に、僕はこの人と踏み込んでいくと言うことになる。
そもそも狩りの手伝いであれば、もっと大所帯で赴くことになるだろうから、何か違う頼み事なのだろうとは思っていたが、これは面白くなりそうだ。
極秘任務を仰せつかっているのだという特別感と、突如として始まった、村では到底味わえない冒険の高揚感に、僕は胸が躍った。家族には、さぞ良い土産話ができるだろう。これは勇敢に振舞わなくては。
「流石だね…!!こんな森の中も楽々走り抜けちゃうなんて。やっぱり君には、ついて行くだけじゃあ退屈だったかな?」
まあ、これくらいなんてことないです。
僕は息も切らさずに片道二時間ほどの山道を駆け抜けると、尾をゆったりと揺らして得意げにその余裕を主張する。
Teus様が雄馬に姿を変えて走り出したことには心底びっくりしたけれど、持久が試されるならば、僕よりも速く走れるやつなんていないのだった。
「もうすぐ着く、ここからは徒歩にしようか。」
再び人に姿を戻して僕を手招くと、落ち葉がこんもり積もった地面を踏みしだいて一緒に歩き出した。
この人、何者なんだろう。どうやら村の人では無いみたいだし、こんなところにいるぐらいだから、きっと只者じゃあないんだろうな。
「今日はね、君に会って欲しいやつがいるんだ。」
こんなところに、誰か住んでいるのですか?
Teus様のお友達かな、だとしたらこの間言っていた人のことかも。
確か、名前は…。
「Fenrirっていうんだ。君にそっくりな狼でね。」
そう、って、狼?
これは予想外だ、人間ではなかったのか。
「ちょっと図体がでかくて、無愛想で、難しいやつだけど、根はとっても優しいから、ぜひ一度話してみてくれないかな。あいつも退屈してるだろうから、友達ができるとすごく喜ぶと思う…。」
なるほど、そう言うことだったんですね。
理由は分からないが、この方も長老様と同じように狼の群れを従えていたという訳だ。その狼を僕に引き合わせて見てみようと思い立った、と言うことは、こちらの村へその狼を迎え入れる算段を立てているのかもしれない。
まあ、それだったら自分が適任であることは疑いようもなかった。あの群れを統べているのは、他でもない僕なのだから。
何にせよ新しい仲間は大歓迎だ。皆喜ぶだろうし、気弱そうでなければ、僕の子分にしてやっても良いな。
でもあんまり威圧的に振舞って委縮させてしまうと、それはそれでTeus様が困るだろうし、ちょっとばかり睨みつけてやるくらいで良いか。
へえ、どんなやつなんだろう。そのFenrirという狼の姿を想像しながら、僕は殊更に尾を高く保って威風堂々と振舞うのだった。
「着いたよ、ここがFenrirの家。」
家、と言われても…。
林を抜け、僕とTeus様は少し開けた空き地へと出たのだが、辺りを見渡しても予想に反して家屋の類は見当たらず、どうもあの村のように人が住んでいるという訳ではなさそうだった。
代わりに見たこともないほど大きな洞穴がぽっかりと口を開けて闇を飲み込んでいる。
もしかして、これがFenrirという狼の住んでいる家、なのかな?
Teus様もここで普段は暮らしていたのだろうか。長老様との接点と言い、謎は深まるばかりだ。
それで、当の本人はどこにいるのだろう?
「いっつもそこで寝てるんだけど、出かけてるのかな…?」
Teus様も辺りを見渡すが、見当はついていないようだ。けっこう放し飼いに近い状態なのか。
「あ、いたいた…!」
僕の耳には、その足音は既に捉えられていて、Teus様も遅れて気づく。
その狼は、僕とTeus様の来訪を認めると、洞穴からのそのそと這い出てきたのだ。
よし、まずはご挨拶と言ったところかな。
互いに匂いを嗅げるぐらいに近づいてくれたなら、もう半分面談は成功したようなものだ。相手の反応次第だけれど、どうだろうか。
「おお、来たか…。」
…え?
この時は、まだ知らなかったんだ。まさかFenrirという狼が、僕の想像を遥かに超える友達になるだなんて。
僕の目の前を、巨大な柱のような四肢が立ち塞がる。
恐る恐る見上げると、強面な狼が、無感情に僕のことを見降ろしていたのだ。
僕はけっこう体格も良くて、群れの中でも一番大きな狼だった。兄弟たちにはよく羨ましがられたし、今でも雌狼の視線を釘付けにしてしまう。
それだけでも狼同士の上下関係を決めるには十分で、僕が首回りの毛皮を逆立て、牙を剥いて唸るだけで大抵は向こう側が服従の姿勢をとったものだったのだ。
だから今回の邂逅が、僕の地位を揺るがすようなものにはなるまいと、高を括って悠々としていたのだ。
“あ、あ…”
しかしこれは、いくら何でもひどすぎる。逆の立場を味わっているとか、体格差なんてものじゃない、これじゃあもう、違う生き物だ。
無理無理無理!僕じゃ絶対太刀打ちできない!
なんて鋭い牙をしてるんだ、こんなの、ぱくっと一口じゃないか。いや、その前に踏みつぶされてお終いかも…。とにかくこんなの絶対無理だ!
眼には涙がたまり、先まで王者のものだった尻尾は、情けなく股の間に逃げ隠れてしまう。
もう、今にもごろんと横になって、腹を相手に見せてしまいそうだ。
どうも寝起きらしいFenrir狼は、口を半開きにして、ぼーっとした表情のまま、僕をから視線を外さない。それが自覚なく威圧的で、苦しくなったこちらは礼儀正しく目を逸らして自分を晒す。
すると彼はとんでもない言葉をぼそっと呟いたのだ。
「犬は…喰ったことなかったな…。」
“Teus様こいつ僕のこと食べようとしてますっ!!!”
なんてことだ、Teus様お願い早く止めて!
許してもらえるなら、どんなに屈辱的であろうと、服従の姿勢をとる覚悟だったが、喰われるのだけは絶対にごめんだ。
僕がTeus様を見上げてそう訴えかけるのを、彼は少し目を見開いて反応する。
「よく言うよ、あんな体験しといて。」
Teus様は、そんな脅し文句も慣れた様子で軽く受け流している様子だ。
「ふん…。」
彼はゆっくりと目を逸らすと、Teus様に視線を移した。
「それで、こいつはどうしたのだ。ただの犬コロではなさそうだが。」
「お、やっぱりわかる?」
Teus様はしゃがんで僕の胴に手を置くと、嬉しそうに声を掛けた。
「ほら、Ska。挨拶して!」
え…?そんな…。
すっかり足の竦んでしまった僕は、背中を押す手を半ば恨んで恨めし気にTeus様の顔を見る。
「スカ…?何だその名は。」
「この仔、”Skyline”って名前なんだ!だから縮めてSka。」
「…。」
Fenrir狼は、もう一度僕の方をへ興味を示すと、今度はゆっくりと相手の力量を測るような目つきで僕を見た。きっと、僕の怯えはありありと相手に伝わっているだろう。情けないが、それだけでもう、あちらはいかようにも傲慢に振舞うことが出来るのだ。
震えが止まらない、もう怖くて怖くて仕方が無かった。
帰りたいよう…なんで僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだ。
そしてぐっと顔を近づけて、鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐ。その所作にも過剰に驚いてびくっとしてしまう。
「ほう…。」
も、もう限界…。お腹見せるから、見逃して…。
しかし、次の瞬間、彼はゆっくりと腹這いになると、僕の鼻面に自分のそれをちょんと合わせたのだ。
驚いて、きつく閉じていた眼を開く。
「Fenrirだ。」
無愛想に、ぼそりとそう告げたのだった。
“よろしく…Ska。”




