25.道探し 1
25. Wayfind
彼の証言をもとに頭の中で周囲の地理をぼんやりと把握し、まず初めに赴くことに決めたのはFenrirが最初にVesuvaを見つけたという場所だった。
狼にはより鮮明な地図が描けているのだろうが、今の自分に分かっていることは、北から南へヴァンと呼ばれる大河が突き抜けており、その果てにOdinの住まうヴァルハラ、東にヴァナヘイム、西に彼の支配する森があるということだけで、どこまでも続くその地形の特徴など分かりはしないのだった。
砂丘の上に放り出されたようだ。Fenrirのように走れたとしても、帰路すら見当がつかない。
今彼の走る方向は南東にあたり、それは俺たちの旅の出発点であるヴァナヘイムと、彼に初めて出会った洞穴がある方角であった。断崖の住処から北上した後に、およそ丸二日かけて西へ向かって走り続けていたので、進路としては大回りをして帰るような形になる。
最も、今から家に帰るなんて到底無理だ。彼が休みなく走り続けて何日かかることか。
初めの一歩としてこの選択をした理由は単純だ。移動後のVesuvaはなんら痕跡を残さなかったものの、初めにあった場所を調べておくことは意味があるだろうと踏んだからだ。
もしかすると、次に向かうべき場所の手がかりが得られるかもしれない。
どれくらいで着きそうかと彼に尋ねると、小一時間でこの山を越え切ると言う。それまでに思考を整理しておこうと思った。
「まあ、雨は降っても日没後であろう、気楽に探索してくれ。」
滅多にない機会だ、好きな景色へ連れて行ってやるぞ、と彼は突如として与えられた責務の重圧を和らげようとしてくれるが、俺は固い表情を崩せずにいた。
これを冒険の醍醐味だ、と思えなくもなかった。もし俺がこの旅の序章でこのような目に遭っていたなら、それを宝探しか何かのように楽しんだはずだった。わくわくしながら、Vesuvaの在り処を目指して森中を駆けただろう。
けれども今思うのは、残念ながら自分はそんな主人公ではなくて、目にしてきた恐怖を乗り越え、Fenrirと共に生き抜くことでしか笑えそうにないと言うことだった。
折角の狼との旅なのに、それを楽しむ余裕が無いなんて、勇ましいと崇められた神Teusはどこへ行ったのだろう。
だが、胸は高鳴っている。Fenrirが自分のことを頼ってくれているのだ、必ず期待に応えて見せる。
しかしそんな決意とは裏腹に、今自分が頼ろうとしているのは己が武力でも、知力でも、勇気でもない。
自分が持っているかもしれない運だけを頼りにその宝を探し出そうというのだから、冒険者が聞いて呆れると我ながら思った。
さて、行く先を運に委ねると言っても、当てもなくふらふらしているのではすぐに日が暮れてしまう。俺の思うところの、この場合の旅運とは、それなりに自分の意思を以て進んだその先に、自ずと目的地は現れるという意味だと思っている。
だから俺は、あらゆる選択肢を熟慮したうえで判断を下すことを繰り返さなければいけない。最後には運が良かったと笑うにしても、はなから運任せではいけないのだ。
やることなすことが成就しやすいというだけで、Vesuvaが向こうからやってくるわけではない、行動は必要なのだ。
それで、運が味方してくれないかなと思ったときに必ず自分がとるようにする行動と言うのは、'追体験'だった。
どうすれば良いか迷って何もせずにいるよりは、何か行動に移した方が良い方向に物事が進むし、その際の選択肢に事欠かないからだ。そうでなくとも、単に情報の収集に役立つし、事態の把握につながるのは良いことだと思っている。
長年の信条にしている、と言ってもそのようにすると上手く行くことが多いような気がするだけで、特に明確な理由があるわけではない。
でも、初めてFenrirに会いに行くときには、彼が姿を消したとされる森の入り口から、未だ傷も癒えぬまま、初めて訪れる世界に震えながらとぼとぼと歩く彼の姿を想像して、進む道を決めていた。その通りに彼が歩いたとは勿論言わないが、Fenrirに出会えたのは偶然ではないと思っている。
彼の子供部屋を見つけた時だって、公園で遊ぶ子供たちを窓から寂しそうに眺める姿が浮かんできたからこそだった。持っていく本を選ぶ時だって、彼の目線に立って、お気に入りの寓話を見つけられたんだ。
そう言う訳で、今回の場合は、Fenrirが初めてVesuvaを目撃した時のことを、彼の力を借りて実際に体験してみようと思い立ったわけだ。
それが俺にとって運を意識せずにとる、一番自然な選択だと思えた。次の一手は、そこで決めようと思う。
勿論、そうした根拠は彼には伝えず、けれども手始めには理に適っているなと頷いて、目的地へ案内してくれたのだった。
「それにしても、Fenrirってこんなに走って疲れないの?」
馬車馬のように走らせてしまって申し訳ないと詫びたが、存外彼は思いきり力を発揮できて嬉しいとのことだ。それで、頂上に向けて険しい坂道を寧ろ平地よりも速く駆け抜けて見せるFenrirの無尽蔵な体力に、俺は今更そんなことを聞いていたのだった。恐らくではあるが、彼は相当な余力を残している。いつもより沢山水分補給をしている気はするものの、犬が良くやるような舌を出してはっはっとする仕草を未だ見ない。
「ああ、余裕を持って走れている。」
案の定そんな答えが返って来るので、何か秘訣があるのか教えて貰うことにした。
人間にも通用するかは知らないが、きっと現し身で役に立つ。Fenrirの家まで遊びに行くの遠いんだから。
彼に言わせれば、走り方として、そのペースでいつまでも走り続けられるそれがあるのだという。
「そ、そんなのないよ…。」
疲れるんだから、落ちていくに決まっているじゃないか。体力には自信があるほうだが絶対走り続けられる自信なんてなかった。
「気持ち良く走れるスピードより少し速いが、苦しくもない、という動きがあるのだぞ。
今はそのペースで走っている。それが最も集中力が続くのだ。足の接地から離地、尻尾の先の動きまで気を使うことが出来るし、地形にも気を配って最善の動作を選べる。それでいて思考を別の何処かに置いておくこともできるから、鬱屈としたときは夜なかでもよく駆け出したものだ。それから、俺は坂道のほうが好きだ。出力し続けるのは疲れるし、苦しいと思うかもしれないが、元来そのほうが好みでな。ぐいぐいと押せる感覚が、平地での走りに繋がると思っているぞ。」
そうなの…理解の範疇を超える持論を展開され、まるで説法を聞いているようだった。その感覚は正しいのかもしれない。何せ狼は長距離走のプロフェッショナルなのだから。
けれどもFenrirが自慢げに話すのを聞いて、そんな話題を持ち出して良かったかもしれないなと思った。
きっと彼なりに努力した結果培われた、彼だけが有する感覚なのだろうから。
「そうだな、お前に助言してやるとするなら、まずは全力で走る方法を会得することだ。お前の走りをじっくりと見たことはないが、とてもその走りままスピードを上げられるとは思えん。先に最も速い走りを実現できる動きがあって、それを力を抜くことによって、続けられる出力まで落とすのだ。」
「うーん…“本気の走りで力を抜く“ってこと…?」
「その通りだ。まあ、今度じっくり教えてやる。」
彼の走りに関する職人的な考え方が未だよくわからないまでも、多分どんなスピードでも対応できる一貫した走りがあって、それをまずは身に着けろということなのだろう。そしてそれは最大出力の中で学ぶってこと、なのかな?
彼が隣でスピードを合わせてどこまでも続く平原を俺と一緒に並走する姿を想像した。
多分、ペースが少しでも落ちようものなら的確な助言をして、きっと最後まで止めさせてくれないのだろう、鬼だ。これではまるで何かの猛特訓を受けているようだなと思った。
「わかった、覚えておくね…。」
俺も狼だったらな…。
軽率にもそう呟きそうになるのを慌てて飲み込み、俺はそんな口約束でこれからの関係を楽しみにしていると示したのだった。
そうこうしている内に頂上まで登り詰める。一度立ち止まって眼下の様子を見せてくれた。
これから下る先の麓には、Vesuvaがあった跡とでも言うべき木々の生えぬ平野がぽっかりと広がっていた。昼下がりの爽やかな陽気も高山では弱まり、少し肌寒い程だったが、降りてみれば人の住みやすそうな盆地であろうことがここからでも見て取れる。既に滅んだ都市であるとはいえ、そうした所に居を構えていたところからも、Vesuvaは幻想などではなく、実在していたと考えて良さそうだ。
しかし、それよりも俺は、両脇に連なる山麓のうねりのほうに息を呑んでいた。
「Fenrir!凄い景色だね…!」
「ふん、お前、どうやら高いところが好きらしいな…。」
確かに、断崖絶壁の、あの隠れ家は個人的に大のお気に入りだった。馬鹿と何とかは、などとFenrirが言いかけるので頭を軽くチョップしてやる。
実際、恐らく人間ならば立ちどころに滑落してしまいそうな岩肌をこうして歩いている気分はとてもはらはらして好きだった。今でなければ、彼にお願いして頂上の綱渡りのような、難しい細道を走ってと頼むのになあ。
Fenrirにしがみついて、人間には立ち入ることのできない景色を見せて貰える特権を満喫して、少し気分が上向いた。気が済んだら下っていくぞ、と言う声がするまで、俺は上体を伸ばし、両手を広げたりしていたのだった。
「さて…」
到着したのは、上から見た通りの見晴らしの良い空き地だった。最後に目撃したVesuvaの跡と何も変わらず、そこに文明があったとは到底思えない。
何か痕跡を残しているだろうという期待は容易く打ち破られてしまったが、取り敢えずFenrirから飛び降りて、ちょっと周囲を散策してみることにした。もしかすると、何か落ちているかもしれない
芝もたいして伸びておらず、人の自分でも歩きやすいだろう。
「どうだ、何かわかりそうか…?」
下を注視して歩く様を俯いていると思ったのか、十数分ほどしたところでFenrirが恐るおそる尋ねる。少し休んでいてよと促したのだが、側をついて離れなかったのだ。
「何もなさそうだね…。」
俺は正直に観察して思ったことを話した。
「でも、Vesuvaはこういう風に開けた平地を選んで移り住んでいると見て間違いなさそうだね。とてもその地にあった木々を押しのけているとは思えないし。」
そうだな、とFenrirはその洞察に賛同する。
「つまりは、探すべき場所もある程度限定されるわけだな。いくらか先の地形の変化が響いてきそうではあるが…。」
そう言うと、彼は記憶を辿り、次の目的地の候補になりそうな土地をいくつか選んでくれた。
Fenrirのお陰で周囲の地形のおおよそが把握できるのは本当に助かる。はじめはこの森からFenrirを探し出すことと同じぐらい無謀に思われたが、これでだいぶ絞れそうだった。
ひとまず一歩前進だと言えそうだったが、確実に夕日を帯びた灰色の大雲は空を侵食しつつある。
最小手数で駒を進め、ゴールを目指さなくてはならない。
彼の記憶では、ここら一帯でそのような場所は、南側に多く広がっているという。ならばそこを峰から見渡すのが良さそうだ。
次の一手は決まった。俺は再び彼に飛び乗り、もうひと踏ん張り頑張ってくれと伝える。
「俺のことは心配いらない。焦る気持ちもわかるが、どうか悪い結果を予期して責任を感じないでくれ。案ずるな、もし今夜の宿が見つけられなくても、また俺の毛皮の中に潜り込めばよい。特別に尻尾だって被せてやる。それでその外套に包まって眠れば、何の心配もなく眠れるさ。…雨に当たるのは、俺だけで良い。」
そんなことを言われては、思わず甘えたくなってしまう。
ありがとう。でもFenrirの毛皮がびしょ濡れになるなんて、そんなのは絶対に嫌なんだ。
夜には間に合ってくれることを心から願った。
とは言え、宝探しゲームは順調そうに思えた。直にまた山稜に辿り着くと、そこから見下ろせる谷に集落があるか覗き込むことが出来る。無さそうであれば、尾根を辿って降りやすそう傾斜から、次の峠へ向かえば良い。大狼の力があってこそではあるが、そうしているうちに、いつもの要領で出会えそうな気がしてくる。
彼は少しスピードを上げると言った。少しだけ足音に、ざっざっと地面を掘るような音が加わってギアが上がったような気がする。日没が気になりだした俺を思ってのことだろう、それが出来るだけの余力を残しているなんて、少し前なら考えられないことだった。
「やろうと思えば、お前が張り付いているのもやっとなスピードで駆け抜けてやれるぞ。最も、足場が悪いここでは、ちょっとした身体を捻る動作でお前は振り落とされてしまうだろうがな。」
実際、周囲の景色を見る余裕さえなかった。まだ最終形態を残しているかのような物言いに、彼の走りに対する誇りが垣間見られて、やはり聞いていて微笑ましいのだった。
Fenrirの毛皮に頬を埋めながら、Vesuvaは、一体どんな感じの街並みをしていたのだろうと想像を巡らせる。
きっとヴァナヘイムに似た家々が並んでいるのだろう。彼は碌にその様子を見なかったと言うから、互いに見慣れぬ土地の生活を垣間見るのは貴重な体験だろうと思った。雨を凌げる家屋が残っていれば良いけれど、確か裕福な名家は石造りのそれを構えていたはずだ。大丈夫、Fenrirでも入れるくらいのやつがきっと残っているさ。
そう、なんだか上手く行きすぎていたのだ。
こんなに、俺は運が良かっただろうか…。
違う、何か違う…。
「…Fenrir!止まって!止まって!!」
「どうしたっ!? Teus、何かあったのか!?」
鋭い声に尋常ならざる事態を察知したFenrirは身体を横にして急ブレーキをかける。あれだけのスピードにも拘らず素早く静止すると、ぱらぱらと石の転がる音だけが残った。
「…。」
俺はそれに答えず黙っていた。必死で今の閃きから思考の根を張りわたらせる。
息を吐くのが惜しいかのように口に手を当て、筋道の立たないストーリーが形を成していくのを見守った。
その種は、たった一つの素朴な疑問だった。
「Fenrir…家の場所って、どの方角か正確にわかる?」
家とは、お前と初めて会った洞穴のことだな。Fenrirはそう確認して少し空を見上げると、身体の方向を変えて立ち止まった。頭が向いた先にあるぞ、ということだ。
「ありがとう。それじゃあ…Fenrirが初めてVesuvaを見つけた場所は?」
彼は右耳をぴくりと動かすと、やがてゆっくりと身体の向きを変え、ちょうど尻尾があった方角、ここからでも見下ろせるその跡地が答えと示した。
「最後に…FenrirがVesuvaを見た、場所は?」
「ほう…なるほど。」
彼は、動かなかった。
「目的地を変えて欲しい、次に向かうべきは…」
「わかった。」
瞬時に俺の意図を理解したFenrirは、今来た道を凄まじいスピードで戻り出す。
日没は、刻一刻と近づいている。




