22.荒野の再生 3
22. Reclamation 3
ほどなくして、Fenrirが再び洞穴に帰って来た。
そろそろ帰ってくるかなと思った矢先だったので、自分は起き上がって彼の顔が岸辺にひょいと出て来るのを待っていた。
「おかえりーFenrir…。」
見たところ、戦利品はないようだ。
それどころか慌てている様子だけれど。今度は両前足を岸辺にかけ、上体を陸に引き上げる。
「Teus…!!…何か…何か袋はないか!? 必要なのだ…。」
「ふくろ…? 鞄の中にあるのだったら使っていいけど…。」
そう言って、乾かしていたマントがずり落ちないよう丸太の上に乗せてあった肩掛けの鞄を指さした。
そうか、と答えるといそいそと駆け寄る。鞄を口にくわえて地面に下ろし鼻先で中身をまさぐった。
鞄の中は結構広く、旅に役立ちそうなものは一通りそろっているつもりだ。
彼は鼻の大きさぐらいの麻袋を引っ張り出すと、
「これ…借りていくぞ。」
とだけ告げ、また大急ぎで滝の扉へと突っ込んでいってしまった。
何に使うんだろうと気になったが、そんなことを尋ねる間もなく、行ってらっしゃいと心の中でつぶやくことしかできなかった。
別に良いのだが、鞄から若干具がはみ出ているし、マントも落ちてしまっているあたり、Fenrirは相当取り乱しているようだった。一体何があったのだろう?
危険を顧みずに無茶なことをしていなければいいんだけど…。
無事を祈りつつ、そろそろ乾いてくれたかなとマントの裾に手を伸ばし、引きずって手繰り寄せる。
全然生乾きだったが、無いよりましか。留め具はかけずに肩に羽織る。
最初は少し体温が奪われる気がして嫌だったが、身に纏うものがあるのはありがたい。
Fenrirにはよく寒がりな奴だと鬱陶しがられたものだが、実際のところ滅茶苦茶冬が苦手だ。
これから少しずつ暖かくなってくれて本当にありがたい。冬に向かっていく中でこの旅を続けていくのは到底できないと思った。
Fenrirにとっては、やはり冬の方が過ごしやすかったりするものなのかな。
あれだけモフモフなのだ、逆にこれからのほうがつらいのかもしれない。
けれども飢餓に苦しんできた彼にとって、豊穣の季節は待ち望んでいたことでもある。
食糧がふんだんにある今、Fenrirにはじっくりと回復して元気になって欲しい。旅を終えた暁には、自分が心配せずとも、生きて行ける狼に戻っているだろう。
今度こそ戻ってきたFenrirは、顔を綻ばせながら、口に咥えた袋を俺に向かって突き出した。
尻尾がゆっさゆっさと大きく揺れる。俺に開けて欲しいという訳だ。
両手で受け取って、その重さにほとんど落とすように地面に置く。なにやらずっしり詰まっているようだ…。
片手を突っ込み、手に当たった小さな球を取り出す。
「これは…?」
「野苺、と言ったな。」
褪せた赤色の小粒な果実を見て、春の終わりに自生するものなのだとFenrirが教えてくれた。
実を結ぶには時期が早すぎるが、ありがたいことに暖かな陽だまりを探し回ってようやく見つけてくれたのだと言う。
「うまいぞ、俺のお気に入りなのだ。」
鼻をぺろりと舌で舐める。彼のお墨付きという訳だ。
「ありがとう!Fenrirもお肉以外のもの食べたりするんだ?」
彼はふんと鼻をならして当然だと答える。
「狼は元来雑食である、と教えておこう。…もちろん俺にとっては腹の足しにもならんがな、こういうものを食い繋いで生き延びねばならぬ時も、あったのだ。」
そうだったのか、まだまだ狼について知らないことがたくさんある。
他にもスグリやラズベリーと言う名前の小さな果実を、実が生る枝先を切り取って詰めてくれていた。
そして…、
「うわっ…!?」
袋の底でもぞもぞと何かが動いたので、驚いて袋を倒してしまう。
Fenrirは袋の底を口でつまむと中身をひっくり返した。ごろごろと転がる大量の果実と、最後に出てきたのは、傷ついた野鳥だった。
「マガモだな、道中の水辺で捕まえたのだ。お前は小食のようだからな、肉も手ごろな大きさが良かろう。」
そりゃあ大食の狼に比べればそうかもしれないが…。
「びっくりした、まさか鳥が入ってたなんて…。」
彼に言わせれば、こいつらは逃げるべきだと判断するのが遅すぎていともたやすく捕まえられるらしい。飛んだところでちょと前足を浮かせれば届くのだと言う。本当になんでも食べるのだとわかった。
彼はそのカモに手をかけると、例のごとく火を噴いて焼き鳥を作っていく。
その間に俺は、イチゴを一つ、摘まんで口に運ぶ。
「ん~!!」
爽やかな甘みが口の中に広がり、思わず声を漏らす。
そんな俺を見てFenrirは嬉しそうに調理を続けていた。
まさに至れり尽くせりと言ったところだ。
「さあ、これで良かろう…食べるのだ!」
この旅を始めてから一番豪華な食事を用意してくれたFenrirに、俺は心からお礼を言ったのだった。
一線を超えさえしなければ、Fenrirは俺の言うことを何でも聞いてくれた。
風邪をひくのも悪くない気がする、そんな子供じみたことを言うとFenrirは耳を横に倒してそうかいとぶっきらぼうに答える。それだけの余裕ができたのはありがたいことだった。
ともあれ俺はだいぶ甘やかされていた。
なんとなく滝の入り口のそばでご飯が食べたいと言ってみたら、彼は果実の袋詰めと焼き鳥を持たせ、鼻の上に俺ごと乗せて運んでくれた。飲み物欲しいかもと言うと、焚き火に戻って鞄からコップを持ってきてくれ、目下の水を汲むと瞬時に沸騰させてくれた。
おまけに尻尾に手を伸ばしても何もしない。それどころか布団代わりにお腹に被せてくれるではないか。
Fenrirが想像した以上に過保護なので、俺は具合が悪そうにしているくせに、にやけが止まらなかったのだった。
そんな彼への報償として、一緒に果実を分け合うことを申し出たのだが、
「いや、俺はいらない…。十分食べた。」
と断るほどの奉仕具合だった。せめて食べ物をふっさふさの尻尾にこぼさないように気を付けようと思った。というかそれをやると流石にこの滝へ突き落されそうだ。
結局3、4回に1回ぐらい唐突にイチゴやベリーを宙へほうり投げるのだが、彼はそれを何も言わずに口を開けてパクりとしてくれた。すぐそばで巨大な口が素早く動くので見ていて面白い。
Fenrirにもたれかかって鼻歌まじりにおやつを食べる、至福のひと時なのだった。
外の景色は見えにくいものの、こうして窓際で過ごせて良かった。光を浴びられて、陰鬱な気分も晴れ、そして何よりだいぶ元気になった。
Fenrirはいかにも瞼が重いという表情で眠たそうにしているが、暇を持て余した俺に付き合って起きてくれている。
「…季節が変わるごとに食べられるものも変わってくる。今は探してもないだろうが、もう少し気温が上がればリンゴなんかがその辺の木に生るだろう。」
Fenrirはこの森で自生する果物や、先の鳥を含めた小動物について教えてくれていた。
この森で草食動物が少なくなってきたと気が付いてから、よほどひもじい思いをしたのだろう。
彼の基本的な知識は食べられるか、食べられないかで、食べてもおいしいかが更に付け加わるのだった。生得的に身に着けているものなのだろうが、何分鼻が利くやつなので、この森での経験がそのまま活きているのかもしれない。
りんごかあ、あの村では見たことがなかったし、ぜひ食べてみたいな。そんな感想を抱いて、自分もおなかに入るかどうかで見ているとわかっておかしかった。
「ああ、思い出したぞ。そういえば…。」
「ん、どうしたの?」
コップの冷めた水を飲み干そうと大きく傾けた。
「お前の、ガールフレンドにあったぞ。」
「げほっ、げふっ…!!…う゛ぇほっ、げぇっほぉ…!!」
あまりにも不意打ちな一言に、飲みかけていた水を全部吹き出した。激しくせき込むも、Fenrirは全く意に介さない。
「な、なんだよ!?、なんのこと?だれだよガールフレンドって!?」
「違うのか?」
違うも何も、一体全体…。そう言いかけて、はっと口を噤む。
思い当たる節があるとしたら、一人だけ。
「まさか…、Freya…?」
「そのように呼ぶのか、良い名だな。」
彼女は名を名乗らなかったものでな、とFenrirは落ち着き払って言う。
一瞬、俺をからかっているのかと思ったが、そうではないらしい。
本当だとしたら訳が分からなかった。
「それ、いつの話なんだ?」
「うむ…旅立ちの日より、少し前だったか。」
変な汗が体中から滲み出る。
確かにFreyaには、しばらくこの村には戻らない、狼と旅に出るんだと告げたのだ。
Fenrirという名前の狼でね、あの森で一匹で暮らしてる。
我ながら格好良いではないかと思って言ってしまったのだ。
あろうことか、本当にFenrirに会いに行くだなんて…。
で、でもなぜ?なんのために?
「フ、Freyaは、なんて言ってた…?」
もっと調子に乗ったことを口走った気もする。そうでなくても、彼女のことについて、詳しく尋ねずにはいられなかった。
「さあな。二言三言、交わしたにすぎぬ。」
「…。」
会った、というからそう聞いたのだが、そもそもFenrirと会って話をしようという時点で、余程肝が据わっていないとできないことなのだ。命知らずだと言って良い。
そこまでして彼女がFenrirに会いに行った理由は何だ?俺の言い方が悪かったのだろうか、俺に心を許してくれている、Fenrirは危険な存在ではないと強調したことが裏目に?
「…だが、俺を、知っているようだったぞ。」
確かにその名を口にしたとき、彼女は僅かながら反応を示した。けれどもそれは、この村にもありそうな、大狼の噂に過ぎないかもしれない。もしFenrirが彼らの目に触れたことが一度でもあるのなら、知らぬものはいないはずだ。
わからない…。
「彼女なんかじゃ、ない…。」
それからようやく、Fenrirがわざわざ、”ガールフレンド”などと言う言葉を使ったことに腹を立てた。
そう、俺には彼女のことが、よくわからないのだ。
俺が愛していることを、わかってくれているのかも、正直わかっていない。ただ、彼女が、心の底から俺を好いてくれてはいないことは、知っていた。
「…違うのか?」
なんだ、さも意外だとでも言うように、Fenrirは目を大きく見開いてこちらを見る。
お前が口を滑らせるような相手だ、とだけ言う。なんて奴だ。
「元カノ、みたいなもんだ…。Freyaは…。」
あまりにひどい弁明に、自分の顔が真っ赤になるのがわかる。
「だが、縒りを戻したのであろう?」
「っ…!?」
…どうしてこいつは、そんなところまで見透かすのだろう?
流石にすこし苛立ちを覚えてしまった、そしてそれは、悔しいことにFenrirの言うことが殆ど正しいからなのだ。図星なのだ、と茶化して見せる心の余裕もない。
ただ、また昔のように、過ごせるだけでも、良いな…と。
「…。」
Fenrirは眠たそうにしていて、それ以上言及こそしなかったが、悪いと思った様子もないようだった。
よくよく考えてみれば、俺が彼女との距離を再び縮めたいと言う下心があると考えるのは、自然なことなのかもしれない。そうでないとわざわざこんな辺鄙なところまで馬を走らせたりはしない、と。
父親と重ねるのはFenrirに申し訳ないが、彼が同じことを考えている気がして、俺は思わず口を開いた。
「言っておくが、俺はFreyaに会いに来るためにこんなところまで来たんじゃない!
勘違いするなよ!?俺には大事な使命があって、それがお前なんだ!!それを果たすために来たんだからな!?」
「ああ、そうだろうとも」
Fenrirはすかした声で答える。今度は本当に怒った。
「わかってないだろ!?Fenrirは俺が…!!」
「くどいぞっ!!」
Fenrirが牙を剥き出しにして、低い唸り声をあげる。
彼は鼻にしわを寄せた醜い顔をしばらく見せなかった。あまりの威迫に思わず黙る。
が、次の瞬間にはFenrirはいつもの口調に戻っていた。
「…お前が彼女のことしか頭になかったのならば、お前はまず最初に俺なんかの居場所を探さず、あの村を目指したはずだ。そうだろう。」
「…。」
「それと、お前が彼女を思う気持ちとは、まったく別の問題だ。どちらが大事であるなどと、その気持ちをも無下にすべきでもない。違うか。」
「…。」
黙り込んでしまった時点で、俺は言い返せないと言っているようなものだった。
「…。寝る…。」
俺はFenrirにそっぽを向いて尻尾をひっつかんで横になってしまった。
「そうしてくれ、何か入用になったなら、呼ぶが良い…。」
欠伸まじりにおやすみと言う声も、俺はいじけて反応を示さなかった。




