23.白日の下に 1
23. Bring to Light
「だーかーらぁ…。」
何度言ったらわかるのだ、とでも言いたげにTeusは口調をさらに遅める。
それはこっちの台詞なのだ。こんな押し問答などやってられない。
確かにまあ座って話し合おうと言ったのは俺だが、こんなお座りの恰好を長時間させられては甚だ苦痛だった。
そもそもこの姿勢では互いの目線が合わないし、木々の枝葉や、洞穴の天井がちらついて好きではないのだ。
聞き飽きたTeusの抗議に俺の耳は両脇に垂れ、後ろで尻尾は苛立ちのあまり床をばしばしと叩き、瞼は寝不足と怒りで痙攣していた。
「俺は、絶対に、帰らない!」
結果的に、Teusが元気になったのは良かった。翌日の昼に目を醒ました彼の食欲は俺の想像を超えていて、鳥の丸焼きを一羽丸々平らげたうえで、おこぼれを強請って来るほどだった。
俺は喜んで脚一本を差し出したのだが、いやはや他人が喰っている肉は旨そうに見える。
Teusはもう大丈夫だろうと自信たっぷりに回復を示し、こうして外出の許可を願い出たのだった。
ああ、もちろん良いだろう。だがその前に少しだけ話がある、聞いてくれるか…
「っ!!、話の分からん奴だな…!」
それで今に至るという訳だ。
「何度も言うが、悪いのは俺だ! 今回の件はお前に落ち度は全くない!」
結局、Teusには村へ戻ってもらうことにした。いくらこいつが元気だと言い張っても、病み上がりであることに変わりはない。これ以上ひどい目に遭う可能性だって十二分にあるのだ。
Teusを守るに足るだけの狼ではなかったのだと悟った俺は、耐えがたいほどに惨めな提案を持ちかけた。
ところがTeusは、俺に認めてもらえなかったと思ったのか、これにひどく反発したのだ。
どうして帰っちゃうのさ!? 確かに体調崩したのは悪かったけど、今はもう元気だし、旅は続けられる、と。
ただでさえ、この話は平行線をたどりそうな気配がしていたのに、よりによって昨日のようないざこざがあったのだ。案の定Teusは、俺がこんなことを言う原因が、とんだ的外れの、別なところにあるのだと言い出した。
「Fenrirは…、俺が彼女のところに戻った方が良いと思ってるんだろ!?」
「誰のことだ、彼女とは。」
「誰って…、F、Freyaだよっ!」
下手にとぼけたせいで、かえってTeusを不快にさせてしまう。
「あれか、彼女にやきもちでも焼いてるのか。」
「なんだと…? 知らぬわ、お前の意中の相手のことなど!!」
今度は逆に煽られ、俺が激昂する。
これだから嫌だったのだ。Teusからしてみれば、俺にとっての唯一の結びつきは本当に彼しかいないのだから、これはTeusが俺に見向きもしなくなってしまうのではないかと恐れたFenrirの無骨な愛情表現…
みたいに思われているのが死ぬほど嫌だった。ふざけるな!
口は禍の元だ…。どうして昨日、あんなことをTeusに話してしまったのだろう。
君には一定の理解を示すよ、みたいな顔をするんじゃない!ああ腹が立つ!
そんなわけで、互いにいがみ合うばかりだったのだ。
「言っておくが、この旅の目的の一つに、Fenrirの森の再生のために動物たちを放たなきゃいけないんだ。忘れてないよな?」
Teusは自分がいなくては、この計画は遂行できないと主張する。
確かにそれは痛いところではあった、この旅は、彼の好意によって俺の自立を促してもくれているのだ。
Teusが危険を顧みず勝手に俺についてきたのならまだしも、今回はそうではない。
こいつが俺の森に一人で踏み込んできたのとは、違うのだ。
俺は流石に少し折れて、彼に譲歩の提案を示す。
こんな不毛な感情のぶつけ合いで負けを認めるより数倍ましだ。
それに哀れな狼を演じてはいまいかと無駄に疲弊しきってもいた。
「…確かにその通りだ。だが、今すぐにやらなくてはならぬ訳ではなかろう?
俺はお前を送り返してから、もう一度一匹で旅を続けるつもりだ。そうして旅程を把握して、お前の安全を確保出来たら、…そのときにまた一緒にこの森を縦断しようではないか? な?だから今回は…。」
それでもTeusは喰い下がる。
「そんな、一匹で行っちゃうなんて…」
それはそれで心配だ、という思いとは別に、願わくばFenrirと一緒にその感動を分かち合いたい、という気持ちも十分汲み取れた。
「やっぱり、嫌だよ…。一緒じゃなきゃ…。」
…わかった、じゃあ今回の旅は延期だ。俺も一緒にあの洞穴まで戻るとしよう。それで良いだろう?
Teusは本当によく頑張ってくれたと思うし、彼が森の中での厳しい生活にも不満一つ漏らさなかったのは、正直に言って驚いた。中途半端な気持ちで始めてなどいないと、伝わっている。
その意思に、応えられなかったとも、思っている。
だがな、登山であっても、必要なのは進む勇気ではなく、戻る勇気なのだ。何も恥じることはない。
家があり、人間の口に合った食事があり、そして人がいる所で、一度療養すると良い。
約束する、また一緒に旅をするときには、必ずお前を守って見せるから。
Teusは、どうしてか頷いてはくれない。
それでようやく、彼の本音を聞くことが出来た。
「…帰りたく、ないんだ…。」
最初は、Teusが、あの村の住民とうまくやっていけていないのだと思った。
実際、前にそのようなことを漏らしていたし、そんな生活が嫌になって、暫くこちらに身を置きたくなったのかもしれない。
確かに片田舎の頑固な住人達と付き合うような御身分ではなさそうだし、こんなお人好しでも馴染めないことはあるのだろう。
「そんな生活を無理強いしてしまっているのは他でもない俺だ…、」
そう詫びずにはいられない。
「しかしだな…、俺自身などと重ねては何なのだが、どれだけ周りが冷たくて、傷つけられようが、
どれだけそれが、苦しかろうが…、その、帰るべき場所があるというのは、それだけで…」
言葉の先が掠れて、自信がなくなっていく、
「…お前の生きる理由には、ならないか?」
たとえ世界中の全員が敵であっても、あのたった二人が優しくしてくれるなら。
Teusは、最後には蚊の鳴くように小さかったその言葉を受けて黙っていたが、やがて小さくうなずいてそうだねと言ってくれた。
「Freyaは…。」
そう呟いて、また口を噤んでしまう。
俺は声を返すこともできずにいた。
お互いの間の沈黙をどちらも破ることができないようなとき、相手が諦めてくれるまで俺は黙りこくっているようなずるい奴だった。事勿れというか、何かを訴えるよりかはただこの苦しい時間が過ぎてくれと願って目を逸らすのだった。
俺と違って、Teusは誠実な人間だと思う。こいつが押し黙ってしまうのはひとえに、俺に対して都合が悪いからだ。
だがそれは、何だろうか。
Freyaという女性について同様、皆目見当もつかないが、それ故にそうとだけ断言できる。
こいつの色情だけが問題ならば、ほとぼりが冷めるまでの逃避行に付き合わされるのはごめんだし、返してやるのが彼自身のためだと思うのだが、そこに悪い狼の話が絡んでいるのだろう、板挟みという訳だ、きっと。
それは何なのだろう、ともう一度心の中で呟く。
「…。」
考えても憶測の域を出ない以上、仕方のないことだ。
彼なりに苦しんでいるのが耐えかねた俺は極度の疲労も相俟って、とうとう折れた。
「…次にたった一度でも風邪を引いてみろ。口に咥えたままあの村まで送り返してやるからな。」
ひどく間をおいて出された声の調子がわからず、Teusは驚いて顔を上げた。
「…、いいの?」
ふん、と鼻を鳴らしてそうと受け取らせる。
彼は一瞬ぽかんとした表情で目をしばたたかせると、俺に隠していることを打ち明けぬまま交渉が成立してしまったことに狼狽え、何かを弁明しにかかった。
どうせ大したことも言うまいと俺はいつものように怒鳴り声でそれを制した。
「ただし条件がある!これだけは守ってもらうからな!」
「はいぃっ…」
まず、お前の身の安全を考え、旅程を大幅に変更すること。
彼には予めどのような場所へ赴くのかは伝えていないが、一度の移動距離を減らし、幾つかの土地への訪問は中止する。気温が大きく下がる夏の終わりには戻る予定を組みなおすことにしたのだ。
次に、別の居住地へと移る際には、俺が先に斥候として1、2日かけて現地を見回り、状況を把握したうえでTeusを連れてくること。寝床が確保出来て、必要に応じて物資もある程度供給されてから、お前には来てもらう。そのせいでお前と共有できる驚きが、そんなに褪せることもないだろう。
それから、こんなことを言う資格がないのは分かっているが、ここでは俺がリーダーだ。この森で生きてきた俺を、どうか信じて欲しい。お前のことをよく見て、何かと言うだろうが、従ってもらう。
お前と俺しかいないパックだ。抜けたくなったら、いつでも言うが良い。
そして…、
「…俺の尻尾にさわるんじゃなああああい!!!」
「え?」
それまで固唾を飲んで聞いていたTeusが、初めて不服そうな顔をした。
なぜ、それが今まで許されていると思っていたのだ…?前々から暇を持て余すと勝手に狼の毛づくろいをしていたのも我慢ならなかったのだ、今までは弱っていたようだから大目に見てやったが、金輪際そういった犯行に及ぶたびに背中の上から振り落としてやる。
それから、それから…、
「ありったけの喰い物をよこせ!!今すぐだ!!」
Teusが声もなくひぃっと叫ぶ。それではまるで、俺が慎ましく生きる男のもとに押し入った極悪な盗人だったし、貧しい村落を蹂躙し、無慈悲にも供物を捧げさせる魔王ではないか。
まあ構わん、俺は悪役だ。
勿論それぐらいの力を使うなど訳ない程度には回復していると見込んでの強要だったが、Teusは如何にも犠牲者らしい顔をする。それを俺は満足げに眺めていた。
「よし…これくらいで勘弁してやろう。」
うむ、この口調が我ながら似合っている。
「そうしたら、外出の許可を願い出ていたな?今すぐここから出て行け!!」
「えぇ!? 一人で?」
どうやら俺の背中に乗って優雅に散歩ができるものと思い込んでいたらしい。今回ばかりはそうは行かないぞ、ささやかな抵抗とさせて貰おうか。
「ここに残るというなら、お前も俺の餌という訳だが…?」
「い、いやですう…。」
ここぞとばかりにTeusは被害者面をするが、俺の目の色が変わらないと見るや、苦笑いに変わった。
「わかりました、ちょっと出かけてくるから、ゆっくりしてて下さい。あの、せめて滝の外まで連れてっ…、あっ、はい。たまには水浴びしてきます…。」
俺は笑いそうになるのを堪えながら、もう一度だけ最後に俺の方を振り返ると、慌てて滝の中へ飛び込んだTeusを見送っていた。
限界だ。無駄に吠え散らかしたせいで、頭に酸素が回らない。眠気も相俟って眩暈がする。
最後の力を振り絞り、俺はTeusが用意してくれた御馳走の山に手をかけた。
満身創痍で、口に運ぶ前に絶命してしまいそうな感覚にふと笑みがこぼれる。
俺はTeusに、誕生日プレゼントのお礼がしたいと願い出たことを思い出していた。
プレゼントだけなんかじゃなくて、もっと大きな意味で、お礼がしたいと。
もうずいぶん昔のことのように感じる、そんな約束を反故にして良いはずはなかった。
それとなんとなく、この気持ちは旅の終わりまでに嫌に膨らんでくるだろうと察したが、今TeusをFreyaという女性のもとに返してしまうと、彼は本当にこちらへ来てくれなくなるのではないか、という嫉妬にも近い疑念が実際に頭をもたげ始めたのだった。
彼女はTeusの番であって、俺は一匹の友達なわけだから、彼女を大事にすべきでも、それで俺がどうでも良いと示されるべきではないと怒鳴り散らしたばかりなだけに、それはひどく疼いた。
むしろこの旅が成就した先に、二人の円満な関係が築かれるのであれば、こちらに身を寄せたがる今のままが良いなどとさえ思うほどだったのだ。
ようやく寝られる。あいつを傍に横たえてからというもの、まともに眠れたことがない。
誓ってあいつを喰ったりはしないのに、あんなに近くにTeusがいることが、どうしても落ち着かなった。
安らかに寝息を立てるそのぬくもりは、ともすれば気が狂いそうなほど。
背中の上に乗せているのは、あいつが視界に入らない分、まだましだとわかった。
やっと…寝られる。丸1日は起きないだろう。
満腹となった俺はそのまま丸くなり、彼が戻るのを気づかないほどに深く眠った。




