21.電脳の森 2
21. Electric Forest 2
「…ィウ、…おいTeus! いつまで眠っているつもりだ!?」
…起きたくない。
声の主は予想がついていた。
目を開けたくないし、彼の呼びかけに答える気にならないぐらい、目覚めが悪かった。
いや、正確に言えばあまりにも強烈な脱力感とともにはっきりと目は醒めてしまっていた。
けれども全く眠った気がしなくて、このままもう一度眠りたいぐらいだったけども、目は完全に冴えてしまって休まらない、そんな感じなのだ。
無理だ…、どうしても起きられない。
無理矢理叩き起こされるかなと覚悟して暫く待ってみたが、彼はぶつくさ文句を垂れつつ大人しくしてくれた。
ありがたいことにそっとしてくれるみたいだ。
全く覚えてないけれども、昨晩寝床へと連れられる前に、あったかなFenrirの背中で揺られて気持ちよく寝落ちしたのだろう。多分。
頭が全く働かなくて、ただ思うのはこのまま動きたくない、と言うことだけだった。寝たいけど眠れず、結局横になっているだけだ。
もう日はとっくに出ているのだろう、目をきつく閉じても明るくて、俺はマントのフードに手を伸ばして引っ張り、深くかぶって遮ろうと試みる。
一度意識が飛びかけた気がするけど、無為に時間は流れていった。
…なんだろう、何やら香ばしいかおりがする。
良い匂いだ、肉の焼ける匂いだな。なんてFenrirが言いそうなことを考えてしまった。
そう言えば、なんとなくお腹が空いている気がしないでもない。腹の虫が喚くほどではないけれど。
Fenrirはどうしたんだろう?俺はようやく鎧戸のように重たい目をこじ開けて寝がえりを打った。
「…なにしてんの。」
そこには肉塊を咥えたFenrirが座っていた。
しかし彼は俺の目の前で美味しそうに焼けた肉を貪り食う、と言うような、所謂飯テロをしているのではない。
彼は俺のすぐ近くで焚火を起こしてくれていて、その火の元に肉を突っ込んで焼いてくれていた。
「もうじき、火が通る…。」
口に肉塊を咥えて、それを直接火の元に突っ込んでじっとしているのだ。
斬新な調理法に言葉が出てこない。
…俺は何を見せられているのだろう?
巨大な狼がこれまた大きな肉塊を咥えて顔面ごと炎の中で焼かれながらぼーっとしている。あまりにもシュールな光景に普通の人間ならまだ夢を見ていると思うのが正常だ。
「熱くない…?」
ぽたぽたと垂れるのは肉汁だけではなく、きっとこいつのよだれもだろう。視線は旨そうなそれから目を離そうとしない。
Fenrirが火に耐性があるのはここ数週間一緒に暮らしてなんとなくわかっていた。
薪を火に放り入れてから、時々ちょいちょい、と一瞬火の元に手を突っ込んで位置を調整したりだとか、俺からはそんな離れるのに、座ってくつろぐ時の焚火との距離がやたら近かったからだ。
そしておそらく初めて出会ったあの洞窟に薪を備蓄しているあたり、Fenrirは日常的に火を使っていたと見て間違いないと思う。
別に変だ、とは感じない。下手をすれば神様を凌駕する知能の持ち主だ、自然と覚えてもおかしくない。
或いは人間と共に暮らす憧れなのかな、なんて。
Fenrirは時折首の向きを変えて満遍なく火を通すと、出来上がったものを俺の目の前にぼとりと取り落とした。
「ふむ、焦げ目とかつけたほうが旨そうだな」
「うおぁっ…!?」
そう言って彼は口から直接火を噴いた。慌てて上体を起こし離れる。俺は火耐性ないんだよ。
「ねえ…それどうやってるの?」
考えてみればFenrirがどうやって火を吹くのかは興味が湧いて当たり前だった。どうして今まで訪ねて来なかったのだろう。
「ん…?」
ふーっと吐く息に合わせて青みがかった炎が鹿だったものの皮を焼いていく。彼は仕上げに夢中のようだったが、唖然とする俺に気づいて、予め用意してたであろう答えを悪びれず口にした。
「怪物だけが持つ闇の力だ。」
「はぁ…。」
冗談に笑顔を繕えずたじろいだ。正直その能力については聞かなかったほうが良かったかもしれない。
Fenrirはあまり気にも留めない。
「ほれ。」
「え?…これ、俺の?」
Fenrirは答えず、代わりにじっと俺の目を覗き込む。
「えっと…ありが、とう…。」
「……。」
え、何?どうしたの?
虫か何か、俺の顔に付いてるの?
「狼が獲物の群れを襲うとき、どんな奴を標的にすると思う?」
黒縁に埋め込まれた茶褐色の目が、俺を捉えて離さない。
Fenrir特製の肉の丸焼きを前にして、あながち突拍子の無い質問でもないのかもしれないが、俺はたじろいだ。
真意の一端すら窺うことができず、殆ど働いていない頭で答える。
「えっと…旨そうで、食べ応えのあるやつ、かなあ?」
貪欲な奴だ、と穏やかに笑う。馬鹿にした様子はなかった。
「俺ならそうするな。だが実際の狩りは、そんな余裕なんてない。失敗することだってある、命の危険が伴うと思ってくれ。」
それはそうだ、王侯のそれと違ってお互いに必死なのだから。
「じゃあ、とにかく捕まえやすそうな奴…」
そうだ、と頷き、彼はゆっくり俺から目を逸らす。
「それはどんな特徴を持っていると思う?」
特徴?と鸚鵡返しに聞いてから、自信なさげに答えた。
「なんだろう…、脚が遅い、とか?」
そうだな、正解だ。Fenrirはまたも頷く。
「普通の健康な獲物より、脚が遅いほうが捕まえるのは簡単だ。そいつは子供であり、或いは盛りを過ぎた老体だろう、もしかすると怪我や病気を患った奴だっているかもしれない。」
そうした動物なら、確かに標的にしたいと思う。
「つまりはだ、その特徴というのは『普通でない』、と言うことだな。」
…なるほど、と今度は俺が頷いた。
異常な奴を狙うのか、狼の立場になってみれば自然な考え方だった。狡猾、とはそんな特性を人間が揶揄しているのかも。
妙に納得して腑に落ちていると、俺がお前に教えたいのはそのことではない、とFenrirは続ける。
「だから、と言っても語弊はないだろう。狼は生まれながらにして『普通でない』ことを察知する力に長けている。外見からは判別できないことも含めて、だ。」
そう言われてドキッとしたのは、俺がFenrirにどんな嘘をついても、そんなことは全てお見通しなんじゃないか、と思ったからだ。実際、彼の眼には全てを見透かされているかのような魔力がある。
「お前が最初の頃に俺に喰わせてくれたのが家畜だってことぐらいわかるんだぞ。大変だっただろう、あんなにまとめて同じところから奪うなど、飼い主が渋らない訳がない。」
「あ、う…。」
唐突に痛いところを刺され、鳩尾を殴られたような声を出す。
「それで、だ。」
だから再び彼にじっと俺の眼を覗き込まれたときは、次に何を言われるのかと慄いた。
「…やはりな。」
な、なんだよ…?
「お前、病気にかかっているぞ」
「びょう、き…?」
自覚は無いのだな、と呟くと彼は早く喰えと促した。
「ふむ、安心しろ…ただの風邪だ。驚かせて済まないな。」
ほら喰え、と言われても。
寝起きの俺は、一向にFenrirの頭の回転に追いついていけないのだった。
俺が噛り付いている狼のご馳走の大きさについて言っておくと、それは巨大なFenrirの口に挟まるサイズな訳で、とても一人の人間が食べきれるようなものではなかった。
「一緒に食べてよ、朝ご飯まだでしょ?」
「む…良いのか?」
Fenrirのよだれが止まる様子が無かったので、ちょうど良いサイズに引き裂いてもらって分け合い、喰べることにした。
寝起きに結構なものを食べているが、飯テロされたからか重いとは感じない。
少し筋張っていようと、焼きたての肉は味付けなどせずとも旨い。口の周りを汚して夢中でかぶりつく。
「Fenrirは…普段もこうやって焼いて喰べたりするの?」
Fenrirもまた前足で肉を押さえつけ、黙々と喰べ進めていたのだが、それを聞いて暫く口を動かすのを止めた。
「うーむ…。勿論普段はこんな手間はかけぬのだがな、これも悪くないと、けっこう真剣に迷っているのだ。」
「へー、そう…。」
狼は生肉を喰らうものだ、と一蹴するかと思いきや余程強烈な誘惑だったらしい。グルメな奴だ。
少しほっこりする会話と暖かな食事のおかげで、俺はようやくはっきりとしてきた意識で、周りを見る余裕ができた。
「ここ…すごい場所だね!」
俺とFenrirは、見晴らしの良い広大な丘の中心にいた。
山頂へと向かってなだらかに延々と続く斜面に挟まれ、名前もわからない2本の樹木が寄り添うようにして立っている。その木陰で一晩と、どうやら昼前までを過ごしたらしかった。
視界を遮るようなものは本当にそれだけで、春風の行く手を阻むものは無かった。
風に撫でられる柔らかな色をした草原は、毛並みの良い動物を連想させる。
あの森を抜け出た先にあるとは到底思えない景色だったのだ。
そうなのだ、とFenrirは気づいてくれたことを嬉しそうに答える。
「お前が連れて行ってくれた図書館の周りの景色に、似ているだろう。」
「そうだね…!」
俺にしかわからないような言い回しが、どこか嬉しかった。
確かにあの時も、ずっとこんな場所でのんびりできたらと思っていた。素直にこんな景色に出会えて感動したし、いつでも訪れることができるFenrirを羨ましくも思ったのだった。
そう、ずっとこんな場所で時間を忘れたい。Fenrirと一緒に旅をしている理由の一つがそんなことでは彼はなんて言うだろう?
「早朝の景色はまた違って見えるのだぞ?」
是非ともご覧にいれたかった、と彼はご機嫌に続けた。
「この丘一帯はそれなりに高地でな、明け方は濃い霧に足元まで飲み込まれる。きっとこんなに見晴らしの良い景色だとは想像もつかないだろう。」
それは見てみたかった、周りが見えなくなるほど、なんて夢の中みたいだ。きっとFenrirも俺が目を醒まして驚いた顔をするのを楽しみにしていたのだと思うと寝過ごしたことが悔やまれる。
しまった、恐らく一度微かに聞えた声は、その時呼んだFenrirの楽しそうな声だったのだ。
「ごめんよ、なんだか全然起きられなくって…。やっぱり体調良くないのかなあ?」
本当に申し訳ないという気持ちを示すも、Fenrirは同調するどころか、ふんと鼻を鳴らして笑うだけだ。
「起きられない理由など知ったことか、お前の怠惰な習慣を病気のせいにするでない。」
うそ…、心配してくれているんじゃないの。寧ろ馬鹿にされている…。
実際、俺は朝が滅茶苦茶に弱い、起きると大抵Fenrirが傍らで何かしているのが殆どだ。
この感じだと彼は俺がもうすぐ目覚める時すら察知しているような気がする。
今日はいつもと違う感じだったんだけどなあ、と呟き、狼の振る舞う優雅なブランチに感謝の意を述べた。
「まあ、また明日の朝起こして見せて貰えば良いか。ね、そうだろ?」
起こして貰う前提であることをFenrirは咎めるかと思ったが、意外にも彼は険しい表情をして答えた。
「いや、実はそうもいかなくてだな…。」




