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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第1章 ー 大狼の目覚め編
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8.溢れかえる芽吹き 2

8. Sprout Swarm 2


「…あ、あのさ、Fenrir? 沢山あるんだからもう少しゆっくり喰べたら? 急がなくてもなくなんないよ?」

「あ゛が?」


俺は長きに渡って抑えつけられてきた欲求の反動を全開に加速させて喰っていた。

最早体裁など気にしていられない。腹が減ったのだ。喰わないと死んでしまうのだ。

何かに嗾けられたように、俺は喰い続けていたのだった。


先日Teusが渡してくれた二頭の鹿と山羊肉のせいで、俺は本能的な欲求を遂に我慢しきれなくなったのだ。

一度、本当に少しだけでも箍が外れてしまえば、塞き止めらた水が溢れだすように、もう手に負えなくなるものだ。

どうしても自分の意志では止められない。もう喰うしかない!のだ。


味わう、などという悠長な所業に興じている余裕はなかった。

両前脚の爪で獲物の胴をがっちりと押さえつけ屈んで背峰に齧り付く。口の中に温かな血がどっと溢れ出す。柔らかな肉に濡れた牙が更に深く喰いこむ。


それだけの所作を繰り返し、喰った。


それでも、そんな動物的な頭の中は、旨い、美味しい、もっと喰いたいという言葉でいっぱいだった。

怒涛のように押し寄せる味覚で、涎はだらだらと零れ、頬はすっかり痺れてしまっている。


それでTeusの声にふと我に返ったのだが、目の前の光景に気づいて、食べる行為こそ止めなかったものの、これはちょっと不味いと思った。

「…。」

流石に喰い散らかし過ぎだ。手元の芝は鮮血で真っ赤に染まっていたし、周囲には俺が投げ捨てた、肉塊の付着した骨や、剥ぎ取った毛皮や、切り落とした頭が散乱していた。

幸せな俺は何とも思わなかったが、人間がこんな光景を目の当たりにすれば、吐き気を催し、ともすれば卒倒してしまうだろう。


そして、俺のことを悪い大狼だと思ったのではと、怖くなったのだ。

察した俺は、普段はこんな風ではないのだと示さなければと弁明にかかろうとした。


あー…この肉塊を、飲み込んでから。

…しまった、頬張りすぎた…。口が、動か…ぬ。

俺は必死でスペースを確保しようと口をもごつかせた。


「やっぱりFenrirも嬉しいと尻尾振るんだ。ちょっと可愛いかも。」

「ふごもっ!? うぐっ…ごっ。」


変な感じで飲み込んじまった…。まだ碌に噛んでもないのに…というか

「何言いだしやがる!! ふざけやがってこのどあほうが!!」

激しく咳き込み、Teusに怒声に近い声量で突っ込む。

「あ、あれってやっぱり無意識に動いちゃうものなわけ? かじりついたとき、もの凄くぶんぶんしてたけど。 とっても良い顔して。」

「んなにぃ…?」

全力で否定しようとして、自分の尻尾が上に跳ね上がっていることに気が付く。


「狼の尻尾って、普通にしてる時は垂れてるんだろ? それがあんなになってたからさ、尻尾は正直なんだなあと思って。」

「…いい加減にしねえと…。」

「良かった、喜んでもらえて。」


…またこれだ。

結局こいつは、俺のことを馬鹿にしているのか、はたまた本当にこんな奴なのか。

いずれにしても、俺は顔だけが熱くなって、何も言えなくなってしまう。

そんなことを言われてしまっては怒るに怒れない。なんてこいつには言えない。


「…ったく、心配した俺が馬鹿だったか。」

俺は呟き、今度は極端に尻尾に気を使いながら、再び肉塊に喰らいついた。

「ん? 心配ってなんだ、Fenrir?」

Teusがまるで心配されたことが心配、みたいな顔をした。前言撤回、やっぱ怒る。

「こっちの話だ! それよりもだな、お前のその舐め切った態度は何とかならんのか!? もうこっちは調子が狂って仕方がな……い。」


俺は予てより思っていたことを言おうとした。要は腹が立つからどうにかしろ、と。

「……。」

が、しかし。勢いもそこまでだった。

「…? Fenrir?」


ぴたりと動きを止めたまま目を瞬かせる俺を見て、Teusが心配そうに顔色を窺う。

そして思い当たる節を見つけたようで、こう言った。

「…もしかして…。」

徐々に毛が逆立ってくる。


「…吐き、そう?」


先ほどまでの怒りに代わって、迫り上がってくるものがあった。

長い間、消化の役割を果たせずにいた胃袋に、欲望にまかせ思いきり詰め込んだのが悪かったらしい。


不用意に揺らして刺激しないよう。ゆっくりとUターンすると、俺は茂みに向かって猛ダッシュした。

タイムリミットがもう目前まで迫っていたのだ。…やばいやばいやばいやばい!!


ええっと、どこにしようか…あ゛あ゛あ゛どこでも良い!!

「○×△□☆♪~…」


お゛え゛…すっげぇ気持ち悪い…。調子に乗った俺が馬鹿だった。


粗い息をしながら、俺は襲い掛かる吐き気に耐えようと必死だった。

苦しくて、悪寒がする。きつく目を瞑ると、目の端で涙が滲んだ。

俺は、一体どれだけ弱っていたというのだろう。本当に自分が嫌になった。

こんなになってまで、どうして一体生きているのか…。


「大丈夫かFenrir?」


気が付けば、Teusが傍に寄り添ってくれていた。

本当に馬鹿な奴だよ。

「あっち行ってろ…もらいゲロするぞ…。」

弱々しい声で警告するも、彼は聞き入れてくれない。

「何言ってんだよ、独りじゃつらいだろ。一緒にいるから。吐けばすっきりするから、な?」

俺は口答えをしようとしたが、その前に第二波が来てしまった。

「くっ…うぐ…ごぼっ…。」

「あわわ…しっかりしろFenrir!」

すっげぇ気持ち悪い…。


…一緒にいてくれ、お前がいると心強い。







その後も数回に渡り、吐き続けた。

再び苦痛の渦中にいる感覚を得た自分は、なぜだかほっとしている。

ああ、そうだ。つい最近まで俺はこうやって苦しんでいたのだった。

こうやって苦しんでいるべきなのだと、そう思えたから、俺は生きていく中で出会う苦痛を受け入れられたのに。

それで良いと、俺は受け入れているのに。


「よしよし、よく我慢したなFenrir…大丈夫だからな?」


Teusは俺の胴をずっと撫でながら、声をかけてくれていた。

毛皮を摩ってくれているだけなのに、その温もりはとても安心した。

俺は、Teusを完全に信頼しきって身を委ねてしまっていて、つまりは慰めて貰っていたのだ。


前よりも、もっと嬉しくて…本当に胸が詰まる。

こうしているだけなのに、こんなに、こんなに俺の心が動くのだ。

凄い力だと思う。そしてその力は神様じゃなくったって、誰だって持っているのだ。


俺の震えがTeusに伝わっていないことを祈った。

仕方がないだろう?慣れていないんだ。

古い印象は、中々消えない。

その手が震えているかもしれない、或いは、急に突き放されるかもしれない。そう思っただけで、たまらなく恐ろしい。


ある意味、それは可能性として存在した。零ではないのだ。

忘れたわけではない。

決してないと言うのに。

どうして、俺はこいつの手に怯えながらも…。


こいつの手を信じているのだろう。


わからない。俺を襲う記憶と、今にも逃げ出しそうな脚があるのに。

怖い。けれど…俺は、信じることが出来るのだろう。

この前は、泣きに泣いていて、それどころではなかった。

いつもあの時のような気持でいることが出来れば良いのだが、この裏での恐れは俺の内に在り続けるだろう。

それでも、信じることが出来るのなら、それで良いと思いたい。


生きる意味は知れなかった。だが、少なくとも、今俺はこいつの目の前で死にたくはないと思えている。

だからこそ、そうなのだ。

こいつは知っているだろうか、生きる意味を。


…こんなことを考えているとは、Teusは夢にも思うまい。

この震えだって、吐き気からくる悪寒だと思うだろう。一体誰がこの手の力を考えるというのだろう。ましてそれを持たないこの俺が。

だがそれで良いのだろう。俺も少し、独りで考えるということをせねばなるまい。

それから、彼には、様々なことを教わりたい。

それで、もう一度、己を見つめなおすことができれば、そう思う。



「…済まなかった、もう大丈夫だ。」

かなり楽になった。本当だぜ?お前のお陰だ。

少しまだ気分が悪いし、息も震えているが、もう峠は越えた。


「ほんとか?良かった良かった…もう凄い辛そうだから心配で…。」

Teusはほっとしたような表情を見せる。

「大丈夫?少し休むか…って何してるんだFenrir⁉ …何喰ってるんだ、おい…それ!!」

「…?」

彼は何か慌てている。


そう言えば、幼少期の記憶が思い出された。

「人は、吐き戻しを喰わないのだったな…。」

Teusは、なぜそんな汚物を口にしているのだと言いたいのだろう。

別に俺だって、この年になってまで吐き戻しを口にしたいとは思わない。やむを得ずのことだ。

「…離乳食のようなもの、と言えば良いか。」


横目にTeusを認めると、再び視線を戻す。

「母乳で育った幼少期の動物が、…大人と同じような食事になるまでの過渡期に…大人は一度食べた肉を吐き戻して、消化しやすくなったものを子に与える…聞いたことはあるだろう?」

「あぁ…」

耳にしたことはあっても、実際にそれを目の当たりにしたことはなかったのだろう。

彼は少し困惑した表情を見せた。

決して軽蔑のそれではなかったが、そういう顔をそれると正直少し寂しい。


これからも、そういうことは多々あるだろう。そしてその殆どは生の違いから来るのだ。

人として生きてきたか、狼として生きてきたか。

「…まぁ、今の俺にはこの程度のものがお似合いと言うことだ。」

気の進むだけ喰って、腹に入れた。流石にがっつきたくはなかったが、平気だ。


ふと笑ってしまった。

「あいつらはそんなことしてくれなかったんだけどよ。」

「…。」


「そんな顔しないでくれるか、…変だよなそりゃあ。どうしてそういう類に無縁な狼が、こんなことを知っているのか…」

Teusは頭髪に手をやり、目を逸らした。

「大変だったんだぜ?母乳もくれなかったからな。最初は血ばかりをがぶ飲みしていた。与えられた動物のだ。それで、牙はすぐに生えてきたのだが、肉を喰ってみても今みたいにすぐ戻すか、腹を下すかで、慣れるまでかなり苦労したのだ。だれも狼のことなどわかっていなかった、怪物は肉だけ喰ってその醜悪な姿を肥え太らせていくと思ってるのだろうな、あいつら。」


「…。」

Teusは笑ってはくれないらしい。

笑うことが大切だと、教えてくれたじゃないか。

こうして笑って見せれば、彼は喜んでくれると思っていたのだがな。


「…なんでこんな、辛いことばっかり…。」

「おいおい、俺はできれば笑い飛ばして欲しいのだが?」


「できる訳ないだろ。Fenrirがずっと苦しんできたことを、俺たちは知ろうとすらしてこなかったと思うと…。」

「その苦しんできた狼が今は笑っているのだ、それでも駄目だと言うのか?」


Teusが俺の胴に額を押し付け、窶れた毛をそっと撫でる。

「眼が、笑っていないだろ。」


笑みが消え、言葉に詰まる。

どうやら俺は、必ずと言って良いほど追憶が苦いせいで、そんなときに見せる笑顔は彼が期待したものとは程遠い、すっかり錆びついてしまったものらしかった。



「…済まない。自嘲が、過ぎた…。」

かえって相手に不快な思いをさせてしまっている。痛い指摘に動揺し、俺は視線を再度落とした。


思えばTeusに会ってからと言うものの、こうして笑わなくとも、自分のことを蔑んでは、不幸だと満足してきたのだ。今でもその虚構を必死で守っていたのだ。


こんなだから俺は…。


「ごめん…、辛いこと思い出させて。」

「昔の話だ、構わんさ。」


「俺は…、そんな自嘲だなんて、そんなつもりで言ったんじゃなくて…。ただFenrirがそうやって笑って見せるのが…凄く苦しそうだったから…。」


「や、やめてくれそんな…。本当に悪かった。」

狼狽えた。Teusに深刻になられるのが、堪らなく辛い。


「Fenrirは何も悪くないんだって…。」

そんな言葉は、くれなくても良かったのに。

「何でも自分が悪いなんて思わなくても良いんだって…。そうやって自分が悪いと思い込んで、辛いのずっと我慢して抑えつけて…もっと苦しいじゃんか…。」

「…。」


「…話したいことがあれば、いつでも言ってくれて良い。Fenrirは今までずっと独りで苦しんできたんだから、これからは…俺で良ければ、俺が全部聞いてやる。それでFenrirが、こんな笑い方せずに済むように、一緒にいてやるから…。でも、でもFenrirは泣いてるのに、…それなのにFenrirが苦しんできた過去を一緒に笑い飛ばすなんて…、俺には…俺にはできないからさあ…。」


「もう良い、もう良いから…。」

一体急にどうしたと言うんだ?やめてくれ。俺の方こそ、彼の中の何かに触れてしまったような気がした。


そしてTeusが、やはり俺を本気で助けようとしてくれているように思えて、だから猶更、こんな

俺には辛い。


「…ごめん、…こんなになるまで助けられなくて…。」

声が悲痛なまでに震えていた。泣いているのだ。

「お、おいTeus…。」


俺は彼の方に大慌てで向き直り、顔を下から恐るおそる覗き込む。

「た、頼むからそんな深刻にならないでくれ…俺なんかのために、…な?Teusに泣かれたりなんかしたら俺、どうしたら良いかわかんねえから…。」


狼狽えてあたふたとTeusに声をかけてみるが、どうもうまく慰めることが出来ない。

そのあとは黙って、彼の目を覗き込むことしかできなかった。





Teusは目を赤く腫らしたまま、俺の慌てっぷりに、一瞬驚いた表情を見せたが、また泣きそうな顔をして、俺の鼻面に抱きついた。

「あ゛あ゛っ!! 絶対に助けてやるからなFenrir!!」

「なっ!?おいっ…」

びっくりして思わず離せと言おうとしてしまった。…だから慣れていないと言っているのに。

どうしてこうも、こいつは俺の不安を吹き飛ばしてくれるのだろう。

Teusの鼓動が伝わってくる。その距離に、動揺しながらも、やはり嬉しい。

「お前らしくもない…」


俺は呟き、無抵抗に彼の温もりを受け入れた。

「ゲロ吐いたやつに抱きつく阿呆がいるか…人好しにも程がある。」



「さあ…、行こうか、少し休みたい気分だ。」

俺は自分が生んだ汚物を一瞥し、彼を促した。

「ああ…わかった。」

Teusはようやく俺から離れてくれ、表情は先ほどよりも明るいようであった。




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