8.溢れかえる芽吹き 1
8. Sprout Swarm
翌々日の昼過ぎ、一頭の馬が俺のいる洞穴へと到着した。
やはり一枚岩の上で寝転んでいた俺は、片目を開けてその姿を認めると、ゆっくりと起き上がって大きな欠伸をした。
高台から見下ろす形でもう一度観察する。
鞍も轡もないところから野生らしい。この土地でよく目にする栗毛に、尾が茶褐色の牡馬だった。
野生にしては艶が美しい毛並みで、黒の鬣も手入れが行き届いているように見える。
人ならば、それなりに良い育ちだろう。
「…それがお前の表し身か。」
牡馬は大きく弧を描きながら減速し、一瞬靄のように形を失ったかと思うと一回転して、次の瞬間、そこには人が立っていた。
「良く分かったな、流石だよ!!」
Teusがにこやかに答える。
「来てくれたのか。」
俺も応じる。
もう一度欠伸をして伸びをし、身体の毛皮をぶるりと震わせて岩から舞い降りた。
ついさっきまで昼寝の真っ最中だった…と言いたいところなのだが、本当はTeusが来てくれるかが心配で、日中ずっと起きてそわそわとしていた。
落ち着かない、というのは本当に…落ち着かない。期待がどちらに転ぼうか、それこそ俺はTeusをあれだけ脅したことを後悔したぐらいだった。
だが奥底で、俺はこいつを信じてた。だからこんなに楽しみで、わくわくしていたのだ。
足音で俺の縄張りに侵入者が訪れたとわかった時には、跳び上がらんばかりに喜んだ。
多分、間抜けにもにこにこ顔をしていたのだと思う。後から考えるにとんでもない間抜けだ。
Teusが走るスピードが遅すぎて、じれったい。
聞こえてきた足音のリズムから、四足歩行の動物を利用しているらしかった。一応急いでいるようではあったが、俺からしてみれば歩いているのかというぐらい遅い。
迎えに行ってやろうかと思ったぐらいだが、待ち焦がれていたとは思われたくはない。
それで結局、俺はこうして寝ているふりをしていたのだった。
「腹が減って死にそうだ…早く喰い物をくれ。」
来てくれて嬉しい、なんて素振りはおくびにも出さなぬよう素っ気なく言うつもりでも、どうしても嬉しくてつい顔が綻んでしまう。
「わかったわかった、たっぷり持ってきてる…っておい! 大丈夫かFenriswolf!?」
「…?」
Teusへと歩み寄ろうとしたのだが、前足に力が入らずそのまま倒れ込み、地面に顔面から激突してしまったのだ。
衝撃でやや回っている視界に、大慌てで駆け寄ったTeusが心配そうな顔で覗き込む。
昨日から本格的に身体が言うことを聞かなくなっていたのだ。瀕死の兆候だったかと思うと恐ろしくて、日中もずっと横になっていた。起き上がったときの眩暈も酷い。
もうTeusが来てくれるという望みだけで、俺は持っていた。
「ほら…このまま死んでしまいそうだ。早くしてくれよ。」
弱り切った自分をひけらかすのが嫌で、笑顔を繕って誤魔化そうとするが、彼の顔は深刻そうだ。
「やっぱり本当に限界だったんだな…Fenriswolf。」
しゃがみこんで小さな鞄の中を弄りながら言う。
「そんな顔をするな、別に死にかけている訳ではあるまい。」
俺は上体を起こして、Teusに心配をかけまいととりわけ元気な声をつくった。
「暫くは絶対に安静だ。」
「だから大丈夫…」
「本当に死ぬところだったんだ。」
「…。」
…そう。本当に死ぬところだった。
「でも、もう大丈夫だからな。」
「…?」
「間に合って良かった。」
そう言ってTeusは俺に同意を求めるような眼差しを向けた。初めて会った時と変わらない目で。
「とにかく、まずは喰って…」
視線が、僅かに逸れる。
「その傷も、治した方が良い。」
この傷は、治らないさ。そう心の中で呟いて、でもTeusには代わりに、ああ、そうだなと言うつもりで首を傾げて見せた。
Teusは立ち上がり、鞄から取り出した小さな鍵を手のひらで転がした。
歩く先へ視線を移すと、いつの間にに現れたのか、それとも初めからそこに在ったのか、金属の巨大な箱が置かれていた。
俺でも中に入れそうな大きさだ。全く気が付かなかった、一体どうやって運んできたのだろう?
そんなことを考えている間に、Teusは箱の一面を中央の鍵穴から外し、扉を開けた。
「…!!」
中を覗き込んで驚いた。差し詰め箱舟と言ったところだろうか、鹿に山羊、牛や豚、鶏まで、優に百頭を超える色とりどりの動物が寿司詰め状態で眠っていたのだ。
「野生じゃなくって家畜が殆どだから、ちょっと美味しくないかも知れないけど、今日はこれで我慢してくれ。色々と交渉に手間取っちゃってさあ…次からはちゃんと良い肉持ってくるから。」
唖然とする俺に、必要もない弁明をするTeusは、ふと思い出したようにこちらを向き直った。
「ほら、Fenrirwolf、笑って良いんだよ? 出会った時から思ってたんだけど、頑なに笑顔見せてくれないよね、動物とは思えないくらいに表情も硬いし。」
…知るかそんなこと。俺はお前ほど愛想が良くないんだ。
「…生憎喜ぶようなこともなかったものでな。」
そう流すと、Teusは待ってましたとばかりに目を光らせる。
「あれぇ? 良いのそんなこと言っちゃって? 俺が来てくれて滅茶苦茶嬉しいんじゃないの?」
「喰い殺すぞ…」
やはり俺を舐め切っていやがる。もう一度痛い目に遭った方が良さそうだ。
Teusはにやりと笑って、俺の痛いところを突いた。
「あの欠伸はいくら何でも大袈裟過ぎる。本当はもう起きて待ってたんだろ?」
「!?…いや、別に待ってなど…」
最悪だ。気づいていやがった。
「うううるさい…。」
そっぽを向いても口が吃ってしまう。
「…まあ、来てくれて嬉しかった、がな…」
ぼそっと呟いた俺の言葉に、彼は腹を抱えて大笑いする。
「あっはっはっはっはっ…ほんっと最高だよ!! Fenriswolf !!」
「……。」
こんなにも虚仮にされて死ぬほど恥ずかしい思いをしたが、不思議と不快感はなかった。
寧ろこんなにもTeusが笑っているのが嬉しかったのだ。
「…良い加減にしろ!! さっさと喰い物よこさねえと本当に喰い殺すぞ!!」
などと、こいつには知られたくはない。
「おい、Teus。」
「ん?なに?」
まだ半笑いで答えるTeusは、俺の怒鳴り声を全く意に介さなかったらしい。
「ええとだな、その…そろそろ俺のことを、本当の名で呼んではくれぬか?」
「名前…?」
「ああ…いや、別に俺はwolfであることを誇りには思っているのだがな、その…何というか、人にそう呼ばれた時はあまり良い気分ではないのだ。俺を傷つけようなどと他意は無いのだろうが…」
Teusはふと真面目な顔つきになると言った。
「そっか…ごめんな、気づいてやれなくって、えっと、本名ねえ…」
こいつ、俺の名を知らないのか。仕方なく名乗ろうと口を開きかけたその時だった。
「こういうことだな?」
Teusは御馳走の山の前に立ち、両手を広げて叫んだ。
「さあ、これぜんぶFenrirのものだ!!」
…なんだ、ちゃんとわかっているじゃないか。
「ありがとうよ、Teus。」
こういう時は、満面の笑みで、正直に笑って良いのだな。
…全く、ああ腹が減った。




