0005 0からの出発
「宇宙に興味ありませんか?」
その女は、面会に応じた科学省の役人に言ってのけた。その斜め後ろには、旦那らしい男が居る。男はずっと黙ったままであるが、女は、火鳥朱根はよく喋った。宇宙に興味? ああ、昔流行った子供向けの科学雑誌でよく扱われていたな。何だって。砲弾に人を詰めて、月に撃ち込んで旅行させるのとか。今考えたら正気の沙汰とは思えない発想だがな。それがどうした?
「もうこの世界に植民地はありません。また、植民地経営で儲かるのも昔の話です。もっと難易度が高くて、困難だけど、ここさえ抑えれば天下が取れる、最高の植民地があります」
「それが、宇宙だと?」
科学省の役人は、鼻で笑う。おいおい、冗談じゃないよ。去年、ようやく陛下の御聖断にて戦争が終わって、軍備も一旦全廃されて、戦後復興に全力傾けているのに、そんな夢、絵空事に予算なんか使えるか。
「マイナスからの出発。総理大臣の演説ではその様に言われていますが、宇宙開発は0からです。マイナスよりも分がいい勝負です」
費用はどうなる。かつての戦艦や空母並にかかるのか。冗談じゃない。戦時に大量に発行した赤字国債や、沈めた民間の徴用船の弁償で、財政は悲鳴を上げているんだよ。
「想像して下さい。地球から宇宙へと出られれば、例えば軍事兵器が使えたら、敵は反撃する能力もないままに一方的に叩かれます」
物騒な発想だな。憲法9条、侵略目的による戦争行為を一切禁ずる。この条項に違反するんじゃないのか。まだ終戦から1年もしないから、まだ軍国主義が抜けきらんのか。
「勿論、平和利用だって出てきます。例えば、人工衛星を実用化出来れば、地上の偵察は勿論、通信にも使えるし、気象観測だって出来ます。何でも出来るんです」
……その後ろの男はなんだ。旦那か?
「はい、そうですが」
何故喋らない。
「家の外だからです。家の中だと、よく喋るんです」
……失礼だが、戦時中は何をしていたのか、答えられないか。
「「桜花」の開発に係わっていました。ロケット自爆兵器です」
矢張り、そうか。先月、ようやく降伏したドイツのコメートと同じか。あっちは戦闘機だがな。扱いづらくて仕方がなかったと聞くが。
「確かに、ロケット技術を飛行機に用いるのは難しいです。ロケット技術は、宇宙に行く為にあるんです」
アメリカとソビエトも、同じ分野を研究していると思うか?
「世界中のロケット技師の3分の2は月にロケットを飛ばしたいと思っていると断言します。ドイツのコメートを作った技師達も同じです。そして、その技師達を米ソは奪い合っています」
で、当面の目標はなんだ。
「そこから先は、旦那に話してもらいます」
朱根に促されて、旦那はゆっくりと前に出て、話し始める。
「先ずは、簡単な構造の人工衛星を打ち上げるところから始めます。ついでは、人間を宇宙に打ち上げます。そうしたら、次は月面着陸を行い」
ちょ、ちょっと待て。それは、どのくらいの年月でやるつもりだ。まさか、1年とか5年とか、そんな短い間にやるつもりか。0からの出発で、何処を終点にするつもりだ。
「現時点では、火星まで考えています。もうその頃になったら、私も朱根も生きていないでしょうけど、未来の為に投資しなければなりません」
……どのくらいだ。時間はどのくらいかかると見ている。
「まだまだ、10年先か、20年先か」
俺の一存では決められない。もっと大きな会議にて検討したい。そこには、当然あんたら夫婦も出席してもらう。
科学大臣を始め、省の重要人物が揃っている、一番広い会議室にて行われた会議では、出席者全員が目を剥いて、火鳥朱根とその旦那を見つめていた。
「宇宙開発か。平和利用は勿論、軍事利用も可能か」
「しかし、10年先、20年先の話だぞ。まだ宇宙へどうやって行くのかまで決まっていないんだぞ」
「いや、今からやらなければ、米ソに遅れをとるぞ。これからは資本主義と共産主義の戦いだが、米国の後塵を拝するのは軍事技術だけにしたいものだ」
議論百出、出し尽くしたところで、大臣は言う。
「私はやらせようと思うんだが。もう大日本帝国は滅亡した。これからの日本は、大和魂だの根性注入棒だのに頼る事無く、技術立国として、新しい産業や事業を興していかなければならない。その内の1つとして、宇宙開発は重要な柱の一本になると思う」
全員、顔を見合わせて、口々に反論する。
「まだ自動車すら量産出来ていないのに、宇宙に行くというのですか」
「我々はジェット戦闘機すら大戦中に作れなかったのです。ドイツよりも遅れているんです。来年発足予定の国防軍だって、国産の戦闘機は勿論、戦車も機関銃も、果てには小銃や拳銃も米軍から買い付ける予定なのです。軍艦だって、米国製を導入するべきかどうか、検討中です。我が国の技術力は、その程度なのです」
「……だが、半世紀後に始めるよりも、今から始めた方が良い。半世紀後に後悔するより、マシな判断だと、私は思うのだが」
「金はどうします。技術者もいません。0からの出発になります」
「良いんだ。どうせこの国はマイナスからの出発だ。0からなら見込みはある」
「……自爆兵器のロケットを作らされそうになった技師が、我々の子孫を火星まで連れて行ってくれるというのですか」
その言葉が、火鳥朱根の表情を曇らせる。
「自爆兵器で地獄に堕ちるよりも、火星まで向かう方が建設的で有意義じゃない」
何人かの出席者の表情が歪む。別に言葉に頭に来たのではない。女に生意気な発言をされたのにカチンと来たのだ。
「大丈夫、出来ます。我々はロケット技術を正しく使うのです。自爆兵器なんて、もう嫌なんです」
これは、朱根の旦那の言葉であった。皆、渋い表情を浮かべる。もしレイテ沖海戦にて連合艦隊が壊滅したタイミングで無条件降伏しなければ、彼の作った自爆兵器「桜花」が戦線に投入されていただろう。ロケット技術は、人類を宇宙に送る為に人の英知が齎したものなのだ。戦争で使い物になるのには、まだまだ未熟である。
「もう嫌なんですよ。自爆兵器なんて。どうせあのまま作った所で、大した成果はあげられなかったでしょう」
技術屋の意見であるが、恐らく事実だ。当時のグラマンでは追撃不可能であったろうが、射程範囲内まで運ぶのに当時の陸上攻撃機を使った場合、重たい荷物を積み込んで鈍くなった機体で、防弾設備のない陸上攻撃機がデカい図体で突っ込んだとしても、全部撃ち落とされていただろう。
「先ず科学省の中に、宇宙開発部を設立して、ロケットの開発・研究、そして人工衛星も雛形となる設計をしてくれ。予算については、あまり期待しないでもらいたいが、成果さえ出せれば、予算は増やす」
もし結果が出なければ、予算は低いまま据え置き、と言う意味だ。それで充分、と言わんばかりに火鳥朱根は、旦那に代わって満面の笑顔を浮かべて答える。
「政府や財政省との面倒なやり取りは、そちらに任せます。必ず日本製の人工衛星を打ち上げてみせます」
AL1945年8月15日。後の日本宇宙開発機構の前身となる組織の誕生の瞬間である。




