0003 千切れたムカデ
「俺はな、呆れ返っているぞ」
と、前置きを置いて、御前会議にて雷鳥弥の制作した報告書で説明しようとしている松澤邦彦中将を睨みつけるのは、大本営から回されてきた若手のホープ、円井小太郎大佐である。上下関係に厳しい軍隊でも、相手が奇人・変人の松澤邦彦中将だからこその「俺」であり、呆れているのは御前会議にて、女の、しかも大学生の纏めた報告書でもって、陛下に対して何を言っているのか。更には、その陛下がこの女子大生の意見を傾聴して、尚且つこれを支持している様子だからである。
時は遡る事、御前会議の始まる直前にて。円井小太郎大佐は、大人しく雷鳥弥と、彼女を登用した松澤邦彦中将が、二人三脚にて創り上げた報告書の解説を聞いていた。
「我々には時間がありません。可及的速やかに、そして確実にこの戦争を終わらせなければ、近い将来、それこそ来年の夏くらいには本土決戦です。もし陛下がそのつもりであれば、我々は全員この列島を枕にして討ち死にという事になります」
前置きを置いてから、段々と円井小太郎大佐の表情から余裕が消えていく。ここから、雷鳥弥の作成した報告書が読み上げられ始めた。
開戦からはや3年、もはや帝国には船はなく、飛行機もないのであります。陸軍の起こした盧溝橋事件を発端とする日中戦争から数えて、14年もの戦争を戦ってきた我が帝国は、国力と財力と人材を根こそぎ失いました。それでも、日露戦争の成功体験が悪い意味で影響してしまい、「電撃戦」なる幻想と妄想を抱かせるところにまで追い詰められているのであります。
軍隊の基礎を作るのは、その国の国力でありますが、帝国陸軍はその国力を見誤り、分不相応な地域まで戦線を拡大、不足した人員を補充する為に、工廠にて働く熟練工にも赤紙で徴兵して、使い捨て同然の形で消耗しています。その状況を如実に表すように、フィリピンでは、航空機による自爆攻撃が行われていると言う報告もあります。
また、緒戦の大勝利の油断から戦力の逐次投入によりガタルカナル島にて2万人の餓死者を発生させ、パプワ・ニューギニア諸島でも派兵した部隊は険しい環境にて補給もままならない状況にて戦う事を要求されたのであります。
また、インド・ビルマまで派兵した部隊は、無謀極まりない「電撃戦」に頼ったインパール作戦の失敗にて使い潰されて、今現在も敗走中、中国大陸でも八路軍に押され始めています。これは、国力の基礎たる「人的資源」の浪費であり、国家の損失なのであります。
なので、提案したいのは、満州、アッツ島、ニューギニア、インドネシア、ビルマまで広げた戦線を、列島防衛まで縮小していただきたい。
「俺はな、呆れ返っているぞ」
円井小太郎大佐は、我慢しきれずに、陛下の御前であろうと構わずに言う。
「何を言いたいのかと思ったら、本土決戦に向けての戦略・作戦の立案だと思っていたら、黙って聞いていれば」
ここで一旦言葉を区切ると、腹の底から声を出して叫ぶ。
「これは無条件降伏に向けての議論である! この腰抜けが! 貴様は陛下を誑かして、帝国が明治の時代より築き上げた帝国の威信を全て汚すつもりか!」
「そうですが、何か」
松澤邦彦中将は悪びれずに、いつもの表情で答える。更に何か反論しようとする円井小太郎大佐に対して、松澤中将は続ける。
「ここまで説明した通り、我々は節操もない戦線拡大を行い、足りない頭数を揃えるのに無茶な人的動員を繰り返し、徒に国力を失い続けた。お陰で、陸軍最強と言われている関東軍から優秀な人員を引き抜いて共食い状態となり、満州の守りはスカスカだ。もうそろそろドイツも危ないだろうから、欧州の連合軍がここまで攻めてくる前に、満州や中国大陸、それにインドネシアの在留日本人や企業にまで被害が及ぶ前に、無条件降伏して、彼らを引き上げさせなければならない。もう本土決戦さえすれば勝てるなんて、無茶な言い訳は止めよう。1億の民にこれ以上の負担を肩代わりさせる訳にはいかないんだよ。それに」
ここで、咳払いしてから言う。
「海軍さんはもう止めると言っている。我々もこれに続かなければ、帝国陸軍は無謀な本土決戦を戦って負けた、マヌケな軍隊となってしまう」
「まだ間に合う! 本土に近づけば、武器も弾薬も豊富にある! 民間人からの協力もある!」
円井小太郎大佐は、なおも食い下がるが、松澤邦彦中将は物腰の柔らかい態度で答える。
「さて、それについて、弥君が言っていた言葉がある。本人の口から言わせてもらおうか。傾聴!」
話を振られた雷鳥弥は、つい数日前にて帝国女子大に在籍していた大学生が、口から毒を吐く。
「軍隊が民間人に協力を求めるのは、順序が逆です」
「黙れ! 今は非常時ぞ!」
「その非常事態、全然対応できていません」
「女の癖に軍人に意見するのか!」
「陸大出身のエリート参謀なのに、頭が悪すぎです。理性より感情が前に出ていますね」
「はい、そこまで」
松澤中将が間に立って仲裁すると、陛下に告げる。
「と、言う事です。陛下、次の戦場が本土に及ぶ前に、陸軍もまた終戦に賛成です。陸軍はもう戦える状態にはありません。次戦う戦場が、皇居にまで及ぶ可能性は充分にあります」
円井小太郎大佐は、ガックシと肩を落とす。天皇陛下の表情が、一体どちらを支持しているのかを雄弁に語っていたからだ。
アメリカ合衆国の首都ワシントンにて、マーフィー・ルーズベルト大統領は椅子からずり落ちそうな報告を受けていた。
「日本が自ら無条件降伏を提案してきた」
まだまだ、これから硫黄島、そして沖縄まで攻め込むつもりでいた大統領は、そんなにあっさりと負けを認めるとは思っていなかった、と言う表情を浮かべながら言う。
「あの新型爆弾、使う時を逸したな」
こうして禁断の究極兵器は、日本に落とされる事無く、それでも開発研究だけは続けられていく。
AL1944年11月11日、かくして大日本帝国は崩れ去ったのである。




