0011 難き途 その4
46式戦車。新生日本陸軍が、今のところ量産可能で実現可能な戦車である、元々「歩兵支援」用の軽戦車しか造った事がない日本陸軍が、持っている技術力を全部注いで造ったのではあるが、これがまた酷い出来栄えであった、30時間も走れば故障して止まる。そして速度も遅い。燃費も悪い。装甲も可能な限り厚くしたが、シャーマン戦車の主砲であっさりと貫通されて大爆発。一部の口の悪い士官からは、「自殺用戦車」とまで言われて、散々な評価を得ていた。
大学を中退して、日本国防軍陸軍部門相談役を引き受けていた雷鳥弥は、それで満足であった。今の日本陸軍に必要なのは、自分達が如何に未熟なのかを知るところであり、自力で世界水準の戦車は造れない、と言う事実を証明する為に造ったのである。むしろ、46式戦車はいい仕事をしていた。国防軍に大勢存在している旧陸軍の目を覚ますためにも、必要な失敗である。
既にドイツで芸術品ティーガー戦車を見てきた陸軍士官が目指すのは、「日本でも使える」重戦車である。実用性があって、故障もしない、北海道の寒くて広い平地のある地形でも戦える、そんな戦車である。
だからこそ、46式戦車は多くの課題を国防軍に教えていた。戦車砲の技術も、装甲の技術も、エンジンの技術も、全てが未熟であった。0から始めなければならない。ソ連軍のスターリン戦車と真正面からぶつかれば、それこそ自殺行為である。国防軍陸軍部門は、再び新しい戦車の設計に取り掛かっていた。
主砲は88ミリ、装甲も46式戦車の倍以上備えている。一番の問題はエンジンだ。戦車の心臓であるエンジンに何を選定するかで、その戦車の真価が問われる。散々議論を重ねた上で、ようやく決まったのは、航空機のエンジンをデチューンして積み込む事であった。
その航空機のエンジンに、どれを選ぶかでも難儀であった。国産化を考えた場合、他国から買う訳にはいかなかったが、この際、背に腹は代えられない。アメリカ製のエンジンを輸入して、これに当てて、急場を凌ぐしか無い。その内に、このエンジンを国産化していけば、日本初の重戦車が造れる。
「我々は完全に戦車を舐めていたな。自力では、とてもではないが造れそうにはない」
「また外国の猿真似だと言われても、この戦車で我慢するしか無いだろう」
「あとは量産体制だな。まだ民間向けの自動車だって造れていないのに、戦車だけ量産するだけでは戦前・戦中の悪夢の再現だからだな」
まだまだ完成には程遠い重戦車は、それからも研究開発が続けられて、AL1950年に、量産型第一号がロールアウトする事になる。
同じ頃、日本の工業地帯は、隣国の朝鮮民国に対して軍需物資、生活用品を生産し、卸していた。貿易相手は朝鮮民国だけでなく、他のアジアの資本主義国に次々と輸出品を製造して、輸出していた。時代は既に米ソ冷戦、資本主義対共産主義へと突入していた。何時しか、日本は「極東の工場」「アジアの兵器廠」とも呼ばれ始めていた。本土空襲を受けなかった分、立ち直りは早かった。増産の要請が次々と企業に出されて、それに答える為に工場を増設し、日本は本格的な貿易国家として生まれ変わりつつあった。
雷鳥弥は、そうして変わっていく台所事情を見ながら、そろそろ拳銃や小銃、重砲や榴弾砲も国産化するべきであると考え出していた。そして、これからは他国との関係がもっと重要になってくると見抜いていた。これらの武器、これからの武器の製造は、他国からの資源の輸入がどうしても必要になってくる。こういう時、憲法9条は便利だ。軍需物資を輸入しても「防衛目的です」と言えば、それだけで説明は終わりだ。
あの時、夜鷹美雪が言った、「1番に陸軍、2番に空軍、3番に海軍」と優先順位をつけたが、それは今のところは正解だ。樺太に向けてソ連軍が大挙として攻め込んできたら、海軍にはあまり出番がない。ウラジオストックに駐留するソ連海軍の戦力は無視しても良いレベルだ。間違っても艦隊決戦なんて起こる筈もない。
護衛空母と駆逐艦、それに潜水艦しか無い海軍であるが、あと10年経てば、正規空母なり戦艦なり建造させてくれるだろう。
「経済が良くなったら、その時は空母も戦艦も造らせてやる」
夜鷹美雪のこの言葉は、かなり早い段階にて形になりつつあった。既にこの頃には、国防軍海軍部門にて、第1次艦隊整備計画と呼ばれる建艦計画が持ち上がっていたのだ。その中には、「未来の海軍を想う」にて、その存在を全否定されていた戦艦も含まれていた。
実際に建造が始まったのは、これから2年後、「3つの箱物」の事業が上手くいってきた頃である。
AL1949年、その第一次艦隊整備計画を読んだ夜鷹美雪の頭の中には、「引退」の二文字が浮かび上がっていた。戦争を止めてから5年、ひたすら海軍のご意見番として、5年間、ご奉公してきたが、もうそろそろ自分の手には負えない事態になりつつある。日本を長らく蝕んでいた不景気も、そろそろ抜け出せそうだ。欧米視察団が持ち帰ってきた教訓や知識も、全海軍に浸透している。
こうして、AL1950年、夏。夜鷹美雪の前に、桐島鹿児少将以下5名の「軍拡派」が出向いて、直談判に訪れていた。
「もうそろそろ、宜しいでしょう。大型の戦艦や空母を建造しても」
「駄目」
夫を介さなくても、美雪は言い放つ。その続きは、夫を介して喋る。
「まだ農政指導が道半ばである。工業地帯もまだラインが動かし始めただけで、建設するのに借りた資金を返済して儲けを出すまでは待て」
そう言われると、成る程確かに工業地帯も「3つの箱物」も、まだまだ成長途上だ。特に商船の建造はまだ追いついていない。1度壊滅した商船隊を再建するのは、骨が折れる作業である。
「では、いつまで我が海軍は護衛空母と駆逐艦だけで我慢しろというのですか。このままフリゲート艦隊に毛が生えた規模で我慢しろと!」
そこで、美雪はカチン来たらしく、それでも夫の耳元で喋って、桐島鹿児少将に伝える。
「必要とあらば、海軍はこのままの規模でも良いと考えている。樺太と北海道の防衛こそが急務である。金のかかる玩具を造る余裕はない」
この言葉に、「軍拡派」達は、感情を逆撫でにされる。
「例の戦艦不要論ですか。ソ連相手に巨大戦艦や正規空母は必要ないと言うのは分かります。しかし、日本は海洋国家なのです。ある程度の艦隊がどうしても必要なのです」
なるべく、紳士的な言葉選びで提示したこの意見を、美雪はバッサリとたたっ斬る。
「船団護衛に戦艦も正規空母も必要ない。それここそ、護衛空母と駆逐艦だけですむ。ソ連相手に一番強化するべきなのは陸軍と空軍である。海軍はもう少し金と時間をかけて、じっくり育てるべきだ」
「軍拡派」は、交渉決裂を知っていた。確かに、対ソ連戦を考えたら、陸軍と空軍の優先順位が高いのは分かる。だが、元々海軍国である筈の日本は、陸軍国になってしまう。
何度でも訴えてやる。桐島鹿児少将の表情はそう語っていた。




