2話
奨励会。
将棋のプロになるための養成機関。
そこに入るためには年に1回の試験に合格する必要がある。
合格の条件は凄く簡単に言うと、一次試験は他の受験者に勝つこと、ニ次試験は実際の奨励会員に勝利することである。
芥頂一は小学校3年生の頃から計7回受験をしてきたが、一次試験すら突破出来なかった。
翌日朝。
芥頂一は変わらず教室に座り物思いにふけっていた。
思い出していたのは昨日の鎌瀬の表情である。
追い込まれて焦り涙を流す表情を思い出し、唇を噛む。
そしてそれに連鎖し、他の子供の涙を流す表情、呆然とする表情、絶望する表情、苛立ちを募らせる表情など、あらゆる負の表情が脳裏にフラッシュバックしてくる。
憂鬱な表情を浮かべ申し訳なさそうにしていると、そこに御原葉が歩いてくる。
「芥くん!おはよ!」
笑顔で手を挙げて挨拶をする。
「………御原葉さん。おはようございます。………昨日は本当にすみません。将棋のせいで辛い思いを」
「芥くんは悪くないでしょ!それに!鎌瀬くんは嫌だけど、私将棋部に入ろうと思うんだ!」
「………!どうして?」
「鎌瀬くんは本当に嫌だけど、昨日の芥くんの将棋を見て、凄いなー!って思ったの!あと先輩も優しそうだし!九城先輩はかっこいいし、八木先輩も見た目は怖いけど優しいし!」
「………そうなんだ」
「あ!昨日芥君が帰ったあとね!もう二人の先輩も来たの!一人は無邪気な感じで!もう一人は凄い強い先輩だった!鎌瀬くんを倒してたんだから!」
「!!!」
(鎌瀬くんを?鎌瀬くんはかなり強かった。それを倒すなんて)
「芥くんはどうするの?」
「え?」
「先輩も会いたがってたよ!」
「………僕は」
「………将棋は苦手?」
「え?」
「昨日、多分芥君わざと負けたんだよね?変なこと言ってたらごめん。もしかしたら何かあるのかなって」
「………」
芥頂一の表情が曇る。
その表情を見て御原葉が焦る。
「あ、ごめんね。辛いこと聞いちゃった!今の忘れて!」
「すみません。」
「こっちこそごめんね!それで芥君は将棋部はどうする?私個人としては芥君がいれば鎌瀬くんも怖くないからいてほしいかなー………みたいな」
少し申し訳なさそうな表情を浮かべる御原葉を見て、芥頂一は固まり申し訳なさそうな表情を浮かべる。
そして口を開く。
「………もう少し見学して、そこで考えようと思います」
「!!!ほんとに!!!ありがとう!!!」
御原葉は芥頂一の手を握って喜び飛び跳ねる。
「今日の放課後も一緒に行こうね!」
「………はい。分かりました。」
そして放課後。
再び視聴覚室へと二人で向かう。
視聴覚室のドアは開かれており、今日は人がかなり多い。
昨日いた八木九城の男女先輩コンビ、そして複数の新入生と思わしき人もいた。
新入生の中には何と女子もいる。
鎌瀬は変わらず椅子に座っており本を読んでいる。
視聴覚室に入るや否や、ケッ!という嫌悪の表情を浮かべて、再び本を読み出す。
それに対し御原葉も同じくケッ!という表情で返す。
入ると八木九城の男女先輩コンビが嬉しそうに近づいてくる。
「六希ちゃん!」
「はい!九城先輩!きちゃいました!」
九城と呼ばれた女の先輩と御原葉は手を合わせて嬉しそうにじゃれ合っている。
「芥。お前も来た」
「えーっと」
申し訳なさそうに目を伏せる芥頂一の肩を叩く八木。
「これからよろしくな」
「あ………いや………その………」
「あっ。そうだ。お前に聞きたかったことがあって。ちょっと」
そう言われて八木に手を引かれ、視聴覚室の外へと出る。
それに気づき九城と御原葉も外についていく。
外へちょうど出たところで、視聴覚室の目前に歩いてくる人影が2つ。
「何やってるのー?いくよー」
そう言って視聴に入っていく無限と呼ばれていた無邪気な先輩。
そして無言で刹那は、流し目で見ながら視聴覚室へと入ろうとする。
そこで芥頂一の存在に気づき、立ち止まる。
そして芥頂一をじっと見つめる。
八木が声をかける。
「あっ。こいつは昨日の」
「分かってる。なぁお前」
「………?何でしょうか」
「一局指そう。君の実力が見たい」
「あ………。いや。えっと」
淀む芥頂一の表情を見て、眉を下げて残念そうな表情を浮かべる。
「駄目か?」
「あ………」
その表情を見て申し訳なさそうにしていると目を伏せる。
「………分かりました。」
そうして視聴覚室の中へと入っていく。
そして既に駒が並べられている盤の前に座る。
「八木、九城。新入生たちの相手を。」
「「分かりました」」
そう言って新入生たちが集まっているところに向かっていく。
「パイセン?僕は?」
「お前は自由にしてろ」
「へい!じゃあ見てるー!」
そう言って無限と呼ばれていた無邪気な先輩は、近くに座って盤面を凝視している。
遠くでは新入生に対して八木や九城が揉めながら色々と話しており、それを横目で鎌瀬が見ていた。
芥頂一は浮かない表情で盤上を見ている
「お前。昨日わざと負けたんだって?」
「!」
「何でだ?」
「………それは」
「あいつが昨日投了しなかった理由は風呂の中で考えた」
刹那が鎌瀬に目線を向けないまま指をさす。
「ただ負けるのが認められなかったのだろう。結果ルール上は勝ちを拾った。何とも勝利に貪欲なことだ」
芥頂一は黙って聞いている。
「お前があそこで投了をした理由も同時に考えた。君の生い立ちからな。君は調べたところ、小学生の頃から奨励会の受験を続けているが、それでも受かってはいない。」
「!」
「それどころかアマチュアの将棋大会においても入賞記録は見当たらない。出場記録はあるのに。一回戦負けがほとんど。しかしお前はあそこの全国経験者かつ勝ちに貪欲な男を圧倒的に追い詰めた。考えられる説は三つ。君が勝ち直前で投了することに興奮する変態か、相手に勝つと死んでしまう呪いがかかっているか。それともう一つは………いや。やっぱり取り消そう。若干行動に矛盾がある。これら2つであっているか?」
「………」
芥頂一は黙っている。
無限と呼ばれていた無邪気な先輩は何を言ってるんだ?と頭にはてなマークを浮かべぽかんとしている。
それに対して少し残念そうな表情を作る。
「………教えてくれないか?」
「………あ。その………」
芥頂一は葛藤する。
「………分かった。ならこの対局で俺が勝ったら教えてくれ。」
「!いや………」
「俺はあいつにも勝った。圧勝だ」
そう言って鎌瀬を指差す。
「君もほぼ圧勝だった。棋力としては同じくらいだ」
「………しかし」
芥頂一はじっと固まる。
「………手を抜かれたら、わざと負けられたら、俺は悲しい」
「!!!」
「だから全力で戦おう。」
「………わ、分かりました」
「振り駒は俺が」
そう言って刹那は駒を5個取って盤上に落とす。
盤上には歩が4枚、とが1枚となった。
「俺が先手だな」
刹那は落とした歩を並べ直す。
そして飛車の前の歩を一つ前に動かす。
(………居飛車)
将棋は飛車という縦横一気通貫に動ける駒を使い攻めることが多い。
将棋は9×9マスのゲームであり、中央も含めた左側に飛車を動かして攻める場合を振り飛車、中央を含めない右側に飛車を動かし攻める場合を居飛車と呼んでいる。
芥頂一も同じく飛車先の歩を前に動かす。
対局は進んでいく。
刹那は盤面を見る。
お互いの盤外には歩を一枚、そして角という飛車の次に強い駒、斜めに一気通貫で動ける駒を一枚持っている状態である。
芥頂一の王の周りには駒が規則正しく並んでいる。
また相手の陣営に飛車の前の歩が近づいている状態である。
(矢倉に棒銀。基本に忠実。オーソドックスだな)
将棋は棒銀のような攻め方の戦法の他に、王の周りを駒で固める囲いというものがある。
囲いを作ることで相手の攻めに対しても上手く対処できるようになる。
矢倉は将棋の囲いの中でも代表的なものである。
その後も攻防が続いていく。
刹那は表情を変えず、芥頂一は浮かない表情を浮かべ刹那の表情をチラチラ見ながら手を指していく。
攻防はぱっと見ではどちらが勝っているかが分からない、シーソーゲームが続いている。
(この人。相当強い)
その攻防の最中刹那が話しかける。
「中々やるな。この部内はおろか高校将棋界でも間違いなくトップクラス」
「ありがとうございます。」
「だが。やはり迷いが感じられる。」
「!!!」
「将棋は頭脳だけではない。メンタル面も重要な競技だ。迷いが強ければ勝てる対局も勝てなくなる」
パチンといい音を鳴らせて刹那は一手を放つ。
それに応じて芥頂一も手を返していく。
そして少しの時間が立つ。
「負けました」
芥頂一が頭を下げていた。
刹那は表情を変えない。
鎌瀬や遠目で見ておりその結果に驚いている。
同様に八木九城の先輩コンビ、そして御原葉も遠くから驚いて見つめている。
近くで見ていた無限が声を上げる。
「おー!なんかすごい対局だった!トイレトイレ!」
そう言って無限は走って視聴覚室の外へ出ていってしまう。
「さて約束だ。お前がわざと負けた理由を教えてくれ」
浮かない表情を浮かべている芥頂一に気づき、八木が近づいてくる。
「刹那先輩。本人が嫌なら言わなくてもいいのでは?十分な強さを持ってますし」
「いや。俺が気になる。それに約束だ」
「芥。気にするなよ。お前が話したくないなら」
「駄目か?」
刹那は残念そうな表情を浮かべる。
その表情を見た後に俯きながら答えた。
「勝ってしまうのが、勝つことで誰かを傷つけるのが怖いんです」
「?」
刹那は首を傾げ、八木は真っ直ぐその話を聞いている。
「小さい頃。地元の大会に出たんです。それで同じくらいの年の子と対局して、勝ちました。でもそこで相手が泣いてしまって、将棋ももうやらないって。将棋はとても楽しい競技です。もし僕が勝たなければその子はもっと別の世界を歩めたのかもしれない。将棋の楽しさを知って楽しめたのかもしれない。それ以来対局する時に顔色を見てしまうようになったんです。負ける前に焦る表情、絶望の表情、悲しい表情。それぞれが何かしらを賭けて対局に臨んでる。その表情を見ると………その人たちの人生をそこで潰してしまっている、台無しにしてしまっている気がするんです。だから………」
鎌瀬がその話を聞いて驚いている。
また震える声で話す芥頂一の肩を八木が叩く。
「よく分かった。大丈夫だ。先輩もこれでいいですか」
「分からないな」
刹那は腑に落ちていない表情を浮かべている。
「要するに君は奨励会試験も他の受験者に勝ちを譲ってきた。だから受からなかった。そういうことだろ?その理由は勝つことを申し訳なく思っているから。そこまでは俺も考えた。だがお前の行動には矛盾がある。」
「………何でしょう」
「君がわざと負けることで人生が狂う人間がいるとは思わないのか?」
「!」
刹那は鎌瀬を指差す。
「奴のようにわざと負けたことで怒り狂う者、わざと負けたことで本来奨励会に入れない者が入れてしまい、そのせいで他の可能性が潰されてしまうこと。少し考えるだけでも君の行動には矛盾があるが、何故そんなことを気にする」
「………それは」
芥頂一の表情は暗くなっていく。
「その辺にしておいてください。人にはそっとしてほしいこともあるんです。」
「理解出来ないな。君の行動は。人のためになっているのか」
さらに俯き表情を暗くする。
「君は将棋は好きなのか?将棋部に入る気はあるのか?」
「将棋は大好きです。」
「そうか。お前はこの将棋部に入りたいのか」
「それは………」
「俺には倒したい奴がいる。何が何でもな。個人戦でも団体戦でも完膚なきまでに叩きのめしてやりたい。個人戦は俺が取るが、そのためには団体戦で戦える強いやつを欲してる。お前ならば強いと思ったんだけどな。」
芥頂一は俯きながらじっと聞いている。
「その邪念は将棋をやるうえで致命的だ。頭数にもならない。俺はお前の入部を認めない」
「!ちょっと先輩!」
八木が大声を出して注目が八木たちに集まる。
それを見て九城も近寄ってくる。
心配そうに御原葉もその光景を眺めている。
「何があったんです?二日連続トラブルは」
「分かりました。お騒がせしてしまい本当にすみませんでした。」
芥頂一は頭を深く下げる。
そして視聴覚室を後にする。
「ちょっと芥!」
「一体何?」
「引き留めるな。」
「しかし!あいつの実力は相当でしょ?団体戦の要因として申し分ない」
「メンタルが致命的すぎる。いざという時に勝ちを譲りかねん。」
「しかし」
「いいから新入生の相手を。」
「………分かりました」
「え?ちょっと本当に何?」
そう言って八木九城の先輩後輩コンビは新入生たちの元へと戻っていった。
刹那は盤上の駒をもとに並べ始める。
そして視聴覚室の扉を御原葉、そして鎌瀬がただ見つめていた。




