第93話 白い巡礼、再び
それは、北門の外の、あの道標のそばに、立っていた。
「ご機嫌よう、皆さま」
白い巡礼である。にこにこと。前と、寸分違わぬ佇まいで。
違うのは、こちらの陣容だった。今日は、五人。フードを下ろした角の五人目が、俺の隣に、立っている。
「谷の件、伺いましたよ。……ずいぶんと、思い切ったことを」
「工房の件か。あんたの仕事だったか?」
「いいえ?私は“整える”側で……おっと」
巡礼は、口元に手を当てた。“整える”は、前にも聞いた。だが今日は、“側”が付いた。付けてから、引っ込めた。
「……“祝福する”側でして。あの手の、荒々しい仕込みは、私の流儀では、ありません。ですが、まあ、身内の仕事では、あります」
「側、と言ったな。あの工房はあんたの流儀ではないが、身内ではある。……分かれていて、屋根は一つか」
「……ふふ。よく、お聞きになる」
「身内。……灰色の、あれか」
「さて。どうでしょうねえ」
にこにこは、揺らがなかった。揺らがないまま、巡礼は続けた。
「ひとつだけ、申し上げに来ました。あなたがたは、あの谷で、私どもの“仕事”を増やされた。畑をひとつ、潰されましたので。……次の畑は、もっと遠くに、もっと深く、作られるでしょう。あなたがたの手の、届かないところに」
「「「「…………」」」」
「ときに巡礼。ひとつ、こちらからも言っておこう。最近、この街は、どうだ。仕事は、はかどるか?」
「……ふふ。ええ、正直に申し上げて」
巡礼は、街の方角を、ちらりと見た。大通りの喧騒が、北門まで、薄く届いていた。
「少々、居心地が、悪くなりました。皆さん、よく喋り、よく喧嘩をし、よく確かめ合う。……“整え”の手が、滑るのですよ。ああいう街は」
「だろうな。俺たちの街の防衛線だ。誇りに思う」
「騒がしさを城壁と呼ぶ街は、初めてです。……ええ、実に、興味深い」
「これは、脅しではありません。ただの、見通しです。……そして、もうひとつ」
巡礼の目が、すっ、と動いた。
ヴィクに、止まった。
「ようやく、お顔を拝見できました。“古いもの”」
ヴィクの肩が、強張った。だが——足は、下がらなかった。前に、半歩、出た。
「……私に、何の用だ」
「用、というほどのことでは。ただ、お懐かしくて。あなたの“お血筋”には、昔、たいへん、お世話に……いえ」
にこにこが、一段、深くなった。
「“お手間”を、かけられましたので」
「…………ッ」
ヴィクの指先に、紫紺が、ちり、と散った。俺は、その肩に、手を置いた。まだだ。まだ、乗るな。
「巡礼。俺の眷属を、からかうのは、そこまでにしてもらおう」
「おや。怖い顔。……ふふ。今日は、これにて。皆さま、良き縁を。ああ、それと」
去り際、巡礼は、振り向かずに、言った。
「次の季節に、また。その頃には、北の空の色が、もう少し、はっきりしているでしょうから」
白い外套は、街道の光の中に、溶けて消えた。
——帰り道、ヴィクは、ずっと黙っていた。
口を開いたのは、家の門の前だった。
「……“お血筋”。あいつは、私の家を、知ってる」
「みたいだな」
「五年、追いかけて、影も掴めなかった相手が、向こうからは、ずっと、私が視えてた。……悔しい、けど。今日、ひとつだけ、収穫があった」
「ほう?」
「あいつ、言いかけただろ。“整える”側、って。……あの言葉、私は、知ってる」
ヴィクの声が、低くなった。
「父の、最後の手紙にあった言葉だ。五年前の。“整えに来る者たちに、気をつけよ”……それだけ書いて、父の便りは、途絶えた」
「「「「…………」」」」
工房を仕込む者と、整える者。白い巡礼。灰色。北。見張りの塔。ヴィクの父。——ばらばらだった糸が、初めて、一枚の網の形に見えかけていた。
「……なあ、みんな。聞いてほしい」
ヴィクは、俺たち四人に向き直った。金の瞳が、まっすぐだった。
「今すぐじゃない。準備が要る。金も、力も、情報も。……でも、私は、行かなきゃいけない。北に。“見張りの塔”に。父さ……——探し人の、ところに」
言い直した「探し人」を、誰も、指摘しなかった。
「私の勝手な旅だ。だから、その、お前たちは——」
「「「「行く(わよ)(ん)(に決まってんだろ)」」」」
「まで言わせろって、いつも言ってるだろ!!私の決意の場面だぞ!!」
「何度目だ、この流れ」
「三度目ね」
「ん。おやくそく」
「様式美ってやつだな」
ヴィクは、ぐしゃぐしゃの顔で笑って、それから、家の扉を、自分の手で開けた。
「ただいま」
「「「「おかえり」」」」
北への旅は、まだ先だ。だが、行き先は、決まった。
観測日誌、本日の特記。
『目標、設定。北の門、見張りの塔。時期、未定。準備、本日より開始』




