第85話 五人目の署名
翌朝。ギルドの受付は、ちょっとした式典の空気になっていた。
台帳。羽根ペン。リタさんの、輝く目。野次馬の冒険者たち。そして、緊張で棒立ちの、本日の主役である。
なお、開式直前、俺は式典口上を用意していた。
「本日、この佳き日に、深淵より来たりし五人目の——」
「口上は結構です!!混みますので!!」
「事務!!王都でも同じ却下をされたぞ俺は!!」
「事務は大陸共通なんです!!」
「では、ヴィクさん。こちらの登録用紙に、お名前を」
ヴィクは、羽根ペンを、受け取った。受け取って、止まった。
「……名前、か」
「?ええ、お名前です。“ヴィク”さん、ですよね?」
金の瞳が、一瞬、俺を見た。
本当の名を書くべきか、迷っている目だった。
俺は、何も言わなかった。言わなかったが、目で返した。“お前のペースでいい”と。
ヴィクは、小さく息を吐いて、ペンを走らせた。
『ヴィク』
三文字、いや、こちらの文字で、二文字と半分。旅の偽名。五年間の相棒。まだ全部は明かせない、今のあいつの、精一杯の本当。
「はい、確かに!種族欄は……」
「……“魔族”で。ギルド憲章三百年ぶんの、初記入だろ」
「記念すべき一筆です!……登録完了!!冒険者ヴィクさん、Fランクからのスタートです!!」
「「「「Fランク!?」」」」
そこは、俺たちが驚いた。魔物三頭を単独撃退の実力者が、F。
「規定ですので!実力査定は追って!それと、もうひとつ。パーティ欄は、いかがなさいますか」
リタさんが、にこにこと、台帳の該当の頁を開いた。
《腐れ縁》の欄である。圭吾。隼人。沙耶。ひなた。四つの名前の下に、空白が、ひとつ。
ギルド中の視線が、集まった。ヴィクの喉が、こく、と鳴った。
「わ、私は……その……」
「(頑張れ)」
「(頑張れー)」
「(ん。がんばれ)」
「(小声の応援が逆に圧なのよ、あんたたち)」
ヴィクは、ペンを握りしめ、深呼吸を三回して、書いた。
書く直前、消え入りそうな声で、一言だけ、付け足しながら。
「……ど、同居と監視の、延長線上の、事務手続きだからな。これは。深い意味は、ないからな」
『所属: パーティ《腐れ縁》』
ぶわり、と。
台帳に五つ目の名前が並んだ、その瞬間——俺たち四人の足元が、光った。見慣れた色だった。だが、罵り合った覚えは、ない。
「「「「!?」」」」
「な、なんだ!?私は何もしてないぞ!?」
「俺たちもだ!?おい、なんで勝手に光る!?」
光は、祝うように一周だけ強く瞬いて、静かに、消えた。
……契約の輪の外にいるはずの五人目の署名に、世界の仕組みが、一瞬だけ、反応したように、見えた。気のせいかもしれない。気のせいでは、ないかもしれない。
「(……ねえ。今の、記録した方がいいわよね)」
「(ああ。……観測日誌の、新しい欄が要るな)」
「はい、これにて全手続き完了です!!皆さん!!《腐れ縁》、本日より五人組です!!」
リタさんの宣言に、ギルドが、拍手と指笛で沸いた。ドワーフたちが樽を転がしかけ、「業務中です!!」とリタさんに阻止された。宴は、夜送りである。この街は、宴の口実を探して生き、たまに事務に負ける。
——と、人垣を割って、見覚えのある巨漢が進み出た。
《岩割り》の兄・ドムである。その後ろに、弟のガレン。二人は、ヴィクの前に立つと、でかい手で、がし、と握手を求めた。
「よう、五人目。……あんたが、絆の医者の“先生”か」
「せ、先生?」
「聞いてるぜ。俺ら兄弟の三十年を繋ぎ直した理屈は、あんたの見立てだったってな。恩人だ。よろしくな、角の先生よ」
「い、いや、私は理屈を言っただけで、実際に汚したのは、この四人だ」
「はっはっは!汚した、って言うなや!!」
さらに、現金な行列も、できた。
「角の先生よ!!うちの井戸、見てくれる依頼っていくらだ!!」
「登録初日に営業!?わ、私はまだFランクで——」
「じゃあ安いな!!今のうちだ!!予約!!」
「俺も予約!!うちの蔵の黴くさいの、あれ淀みか見てくれ!!」
「予約制にした覚えはない!!」
「(はい、依頼待ち六件。台帳つけとくわね)」
「経理!?お前まで!?」
祝いの輪は、勝手に広がった。屋台のおやじたちが差し入れを持ち込み、教会の子供たちが「つののおねえちゃん」を一目見ようと窓に鈴なりになり、コタは「五人目歓迎・大食い歓迎会」の企画書をひなたに握らせていた。
その輪の真ん中で、ヴィクは——もみくちゃに、されていた。
フードは、下りたまま。角は、朝の光の下に、出たまま。
「(……見ろよ、あれ)」
「(ええ。……五年間フードの下にいた子が、ねえ)」
「(ん。まんなかに、いる)」
輪の外から見ていた者が、輪の真ん中にいる。それだけのことが、どれだけの距離だったか、俺たちの全員が、知っている。
——夜。恒例の、屋根の上。
「……今日、私は、その……」
「ん?」
「……い、いや。なんでもない。……ただ」
ヴィクは、膝を抱えて、ぽつりと言った。
「五年前の私に、教えてやりたい。お前の探し物は、まだ見つからない。けど、探してる途中で、変なものを拾うぞ、って」
「変なもの」
「家と、仲間と、悪口一年生の称号だ」
「最後のは自分で拾ったんだろ」
「お前たちが押し付けたんだろ!!」
屋根の下からは、夕飯の匂い。台帳には、五つの名前。
《腐れ縁》は、今日から、五人である。……書類の上では、な。輪の本当の深さの話は——まだ、先だ。




