第84話 フォルテの顔
フォルテの東門が見えた時、ヴィクは、フードの縁を、三回、触った。
被るか、被らないか。指が、迷っていた。
「(……見てなさいよ。触ったら負けの勝負をしてるわ、あの子)」
「(頑張れ、我が眷属)」
結局、フードは、下りたままだった。
門の前で、いつもの門番さんが、俺たちを認めた。それから、ヴィクの紫の髪と、角を認めた。
コルン村の噂は、当然、もう届いている。門番さんは、じっ、とヴィクを見た。ヴィクの肩が、強張る。
門番さんは、口を開いた。
「おかえり、《腐れ縁》。……今日の括弧は?」
「え?」
「いつもの“何も起きませんでした(括弧)”だよ。今日は括弧の中身、長いんだろ」
「……ふ。ええ。長いですよ。何も起きませんでした(北の三集落の診療と、魔物百頭の防衛戦と、俺の眷属が魔族だと判明した件を除く)」
「今日の括弧が過去最長なんだよなあ!!通れ通れ。飯時だぞ」
それだけ、だった。
ヴィクは、門をくぐってから、小さな声で言った。
「……検問、しないのか。私を」
「したろ、今。“括弧”で」
「あれが検問!?」
——ギルドは、俺たちが扉を開けた瞬間、静まり返った。
全員の視線が、ヴィクの角に、集まった。ヴィクが、半歩、下がりかけた、その時。
「おかえりなさい!!皆さん!!」
受付から、リタさんが飛び出してきた。まっすぐ、ヴィクの前まで来て、両手で、がし、とヴィクの手を握った。
「ヴィクさん!!ご無事で!!コルン村の話、聞きました!!子供たちを守ったって!!」
「え、あ、その」
「それで!!折り入って、ご相談が!!」
リタさんは、目を輝かせて、台帳を開いた。
「ヴィクさんの冒険者登録、させてください!!今すぐ!!」
「「「「は?」」」」
「だって、もったいないです!!淀みの浄化ができて、魔物三頭を単独で撃退できて、北方古語が読めて!!それが未登録って、ギルドの損失です!!種族欄ですか?大丈夫です、規約を調べました。ギルド憲章第三条、“登録に種族の別を問わず”!!三百年前からそう書いてあります!!誰も使ったことがないだけで!!」
「り、リタさん、落ち着いて」
「落ち着いてます!!私、この日のために調べたんです!!コルン村の一報が来た日から、ずっと!!」
ギルドが、ざわ、とした。ざわめきの中身は——恐怖では、なかった。
「おい、聞いたか。角の嬢ちゃん、淀みを消せるんだと」
「うちの井戸、最近水の味が変でよ。頼めるかな」
「三頭単独って、Bランク級じゃねえか」
「魔族って、雇えるのか?相場いくらだ?」
「「「「(この街、こういう街だった)」」」」
「(……言った通りだろ。“依頼はどうなるんだ”の顔だ)」
フォルテは、辺境である。辺境は、実利で回る。三百年前の憲章より、目の前の腕前。伝承の恐怖より、井戸の水の味。
——奥から、グスタフさんとヘクトルさんが出てきた。
支部長は、ヴィクの前に立つと、無言で、じっ、と見下ろした。ヴィクが、緊張で棒になる。
「嬢ちゃん。ひとつだけ、聞く」
「は、はい」
「氾濫の晩の警告。あれで、この街は救われた。……あれは、魔族としての何かの企みか?それとも、ただの、親切か?」
「……た、ただの……いえ」
ヴィクは、一度、言い直した。まっすぐ、支部長の目を見て。
「親切じゃ、ない。あの時は、まだ、打算でした。この街に、貸しを作っておこうって。……親切に、なったのは。この四人と、住んでからです」
沈黙が、あった。
グスタフさんは、破顔した。
「ガハハ!!正直者め!!気に入った!!おいリタ、登録の書類を持ってこい!!」
「もう出してます!!」
「仕事が早え!!」
ヘクトルさんは、腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした。
「……言っておくが、登録すれば、貴様も試験を受けることになるからな。この俺の、な。覚悟しておけ、角の」
「(教官、あれで歓迎の挨拶なのよね)」
「(分かりにくいんだよなあ、毎回)」
ギルドからの帰り道も、フォルテの顔は、ぶれなかった。
湯屋のおかみは「あら、角!!湯あたりしない体質かい?女湯は今日も空いてるよ!!」と営業をかけ、屋台のおやじは「角の嬢ちゃん、串焼き一本サービスだ!!宣伝になるからよ!!」と実利で来て、教会の子供たちは「ほんものだ────!!」と三周回って崇拝した。
「……この街、私が魔族だってこと、分かってるのか?」
「分かってるさ。その上で、湯と、串と、人気者の枠に振り分けただけだ」
「振り分けが、雑すぎる……」
「辺境の愛だ。慣れろ」
なお、服の問題は、その日のうちに片付いた。当面の普段着は、沙耶の古着と、市場で買った吊るしの服。夜色の王侯装束は、手入れをして、衣装箱の一番上へ。
「名付けて“勝負服”である」
「勝負って、何のよ」
「決まっている。……ここぞという時の、だ」
「ふ、ふん。着る機会なんて、当分ないけどな」
言いながら、畳む手つきが、妙に丁寧だった。
——夜。我が家。
円卓に、五人。卓の真ん中に、真新しい登録書類。
「……本当に、いいのか。私が、正式に、登録なんて」
「まだ言ってる」
「だ、だって、登録したら、私は、その、正式に、お前たちの……」
「俺たちの、何だ?」
「〜〜〜っ、な、仲間、とか……そういう、感じに……」
「ほう?仲間ぁ?」
俺たちは、にやにやと、顔を見合わせた。
「「「「どうする?」」」」
「き、聞くな!!私に決めさせるな、そういうのを!!」
「じゃ、決を採るわよ。ヴィクの正式加入に、賛成の人」
四本の手が、上がった。ついでに、窓の外から見ていた湯守イタチ(遊びに来ていた)が、前脚を上げた。
「イタチも賛成だそうだ」
「動物票は無効だろ!!」
「五対〇(+イタチ)。可決よ」
「私の一票は!?」
「お前は明日、書類にサインする係だ」
——書類への署名は、明日。
その夜、観測日誌の「北の空の色」の欄に、ヴィクはこう書いた。
『藍。灰色の帯、変わらず。——でも、今夜は、あまり気にならない』




