第83話 フードの返し方
帰り道、コルン村が近づくにつれ、ヴィクの足取りは、目に見えて重くなった。
「……なあ。やっぱり、村は、迂回しないか」
「却下だ」
「で、でも、あの人たちは、私の角を——」
「だからこそ、だ。……いいか、ヴィク。逃げた場所を迂回して生きていくと、地図がどんどん歯抜けになる。俺たちはお前の地図を、これ以上、欠番だらけにさせない方針でな」
「な、なんだそれ……大書庫か、私の人生は……」
そして、村の入り口が見えた時、ヴィクの足が、完全に、止まった。
入り口に、人垣が、できていた。
村長。村長夫人。おばあちゃんズ。若い衆。子供たち。村の全員が、待っていた。
「(ひっ……)」
「(逃げるな。フードも、被るな)」
「(む、無理だ、こんな数は)」
ヴィクが後ずさりかけた、その時。
人垣から、小さいのが二人、飛び出してきた。
避難所の、あの子供たちだった。二人は、ぽかんとするヴィクの前まで走ってきて、それを差し出した。
野の花を、束ねたものと。
不格好な、木彫りの何かを。
「「ありがとう、つののおねえちゃん!!」」
「…………」
「これ、まもってくれたおれい!おれがほったの!ねずみ!」
「ねずみじゃないよ、いたちだよ!ゆもりのいたち!」
「ねずみだよ!」
「いたちだってば!」
木彫りの正体を巡って喧嘩を始めた二人の前で、ヴィクは、花束と木彫り(鼠か鼬かは永遠の謎)を抱えたまま、固まっていた。
金の瞳から、ぽろ、と落ちたものについては——記録しない。紳士なので。
「よう帰ったな、《腐れ縁》!それと、角の嬢ちゃん!……いや、なんだいその格好は!!お姫様かい、あんた!!」
「こ、これは、魔法が解けて、その、勝手に……」
「絹だよ、絹!銀糸だよ!うちの畑の一年ぶんより高いよ、その服!!」
「そ、そんなには、しない……と、思う」
「(いえ、する)」
経理が、小声で断言した。
夫人は、ひとしきり装束に驚いてから、あらためて、腰に手を当てた。
「あんたには、村として、詫びと礼があるよ。詫びはね、あの晩、怖い顔をしちまったこと。礼は、言うまでもないさね」
「い、いえ、私は、その、当然のことを……」
「当然、ときたか!聞いたかい、みんな!命の恩人が、当然だとさ!」
「ガハハ!気に入った!」
「今夜は宴だよ!芋を蒸かしな!!」
「ちょ、ちょっと待て、私はまだ心の準備が!うわ、引っ張るな!おい!」
我が眷属は、おばあちゃんズの渦に呑まれて、連行されていった。フードを被る暇も、なかった。
——宴は、いつも通り、芋づくしだった。
ただ、いつもと違うのは、広場の真ん中に、紫の髪と二本の角が、隠されもせず、座っていることだった。
最初はぎこちなかった。村人たちも、ちらちらと角を見た。ヴィクも、視線のたびに、肩を硬くした。
流れを変えたのは、やっぱり、子供たちだった。
「ねえねえ、つののおねえちゃん!つのって、さわるとどんなかんじ?」
「こら!失礼だろ!」
「い、いや……いい。……ほら」
ヴィクが、おずおずと頭を下げると、子供たちが、わあ、と群がった。
「つるつるだ!」
「あったかい!」
「いいなー!おれもつのほしい!」
「「「「(いいなー、だそうだ)」」」」
「(子供は、正直ね)」
つの、いいなー。その一言で、広場の空気は、決まった。恐怖の対象は、羨望の対象に化けた。伝承より、手触りが勝ったのである。
「ときにヴィクさんや!角の手入れとは、どうやるものなのかね!わしの鍬の柄と同じで、油を塗るのかね!」
「く、鍬と一緒にするな!……で、でも、まあ、磨きはする、けど」
「ほう!何で磨くんじゃ!」
「……や、柔らかい布と、その、少しの油……」
「鍬と一緒じゃな!」
「一緒じゃない!!」
その一言が、火をつけた。宴の途中だというのに、おばあちゃんズが家々へ走り、布を持ち寄ってきたのである。
「ほれ、嬢ちゃん!!嫁入りの時の絹の端切れじゃ!!角にはこれが一番じゃろ!!」
「うちのは山羊の毛の布!!柔らかいよ!!」
「い、いらない!!自分の布がある!!」
「遠慮するでない!!ほれ、じっとしとりんさい」
「わ、わ、待て、磨くな!!自分で磨ける!!角は、そんな、人に磨かせるものじゃ——ぅ、ぁ……そ、そこは……気持ちいい、けども……!!」
「(陥落したわね)」
「(角磨きで骨抜きにされる魔族、伝承台無しである)」
宴の夜は、こうして更けていった。
——帰り際。俺は、懐から、あれを取り出した。
ヴィクのフードである。ずっと、返しそびれていた。
「ほら。落とし物だ」
ヴィクは、フードを受け取って、しばらく、じっと見ていた。
五年間、世界との間に張り続けた、布一枚の壁を。
「……なあ、圭吾。私は、これから、どうすればいいんだろうな。隠すのは、もう、この辺りじゃ意味がない。かといって、堂々と歩ける気も、まだしない」
「ふむ。なら、こうしよう」
俺は、フードを、ヴィクの頭に、ぽすっと被せた。そして、すぐに、後ろへ、ぱさりと下ろした。
「寒い日と、雨の日と、隠れたい気分の日は、被る。それ以外は、下ろす。以上だ」
「……なんだ、それ。基準が、雑だぞ」
「雑でいいんだ、こういうのは。……フードってのはな、鎧じゃなくて、ただの服だ。今日からは、な」
ヴィクは、フードの縁を、指でなぞって、それから、下ろしたまま、歩き出した。
月明かりの下、紫の髪と小さな角が、隠されないまま、揺れていた。
「……明日、フォルテに帰るんだよな」
「ああ」
「……街の人たちは、どんな顔をするかな」
「さあな。だが、俺たちの街の連中の“顔”なら、俺は、だいたい予想がつく」
「……どんな」
「“で、依頼はどうなるんだ”の顔だ」
「……ふ。……それは、確かに、あの街の顔だ」
我が眷属は、少しだけ、笑った。
明日は、フォルテへ。五人での、帰還である。




