第81話 追跡行
夜の街道を、四人で北へ走った。
先導は、ひなたの鼻である。蜂蜜と、古い紙と、夜の匂い。我が眷属の足跡は、街道を外れ、丘を越え、まっすぐに北へ向かっていた。
「(……妙だな)」
「(何が)」
「(あいつの逃げ足なら、もっと稼げてるはずだ。なのに、足取りが時々、止まってる)」
俺の眼は、道々の痕跡を拾っていた。丘の岩に、座った跡。木の根元に、うずくまった跡。魔力切れの体は、正直である。あれだけの大魔法を三連発して、無事なわけがない。
「(消耗してる。……なのに、無理に、進んでる)」
「(行き先の当ては?)」
「(ある。この方角で、あいつが向かう場所は、ひとつしかない)」
夜明け前。俺たちは、そこに着いた。
——キリノ里。誰もいない、空の集落である。
「……やっぱり、ここか」
朝靄の中、抜け殻の家々が、静かに並んでいた。ひなたが、里の奥を指す。
「いる。さとおさの、いえ」
里長の家。あの、書き置きのあった家である。
俺たちは、顔を見合わせた。それから、示し合わせて、正面からではなく、まず、様子を見た。壊れた板壁の隙間から、中が見えた。
ヴィクは、囲炉裏の前に、座っていた。
火の気のない、冷たい囲炉裏の前に、膝を抱えて。ほどけた紫の髪が、背中に流れて。二本の角が、朝の薄明かりに、鈍く光っていた。夜色の装束の裾が、土間の埃で汚れているのも、構わずに。
その視線の先にあったのは、卓の上の、あの書き置きと。
その横に、自分が置いた、蜂蜜菓子。
「…………はは」
小さな、乾いた笑い声が、聞こえた。
「……似合いだろ、私には。……空っぽの里が、お似合いだ。……縁の切れた場所には、縁を壊すやつが、ちょうどいい……」
「「「「…………」」」」
壁の外で、俺たちは、目配せをした。
——さて。ここからが、本番である。
「(踏み込みの口上は、こうだ。“闇に堕ちし我が眷属よ、汝の帰る座標は此処である”)」
「(却下。重い)」
「(では“五年の孤独に終止符を打つ時が来た”)」
「(却下。説教くさい)」
「(む……なら、シンプルに“迎えに来たぞ、我が——”)」
「(それが一番マシだけど、まだ芝居がかってる。……いい?ああいう時はね、特別なことを言っちゃだめなのよ。特別な晩にするから、出ていった側が、戻りにくくなるの)」
経理の人生訓は、時々、妙に鋭い。俺が口上を組み立て直しかけた、その時だった。
ぐうううううう、と。
盛大な腹の音が、静寂を、破った。
ひなたの、ではない。
壁の中から、だった。
「「「「…………」」」」
「…………っ〜〜〜!!」
壁の中で、ヴィクが、羞恥に悶える気配がした。魔力切れの体は、正直である。何せあいつの魔力の対価は、俺たちの大砲と同系統である。つまり、腹が、減るのだ。
俺は、口上を、組み立て直した。悲壮な説得は、この腹の音で、市場価値を失った。
「よし。作戦変更だ」
「(変更って、あんた、何を)」
「(決まってる。俺たちの流儀の、いちばん強いやつだ)」
俺は、里長の家の戸を、堂々と開けた。
「朝飯にするぞ、我が眷属」
「〜〜〜っっ!?な、なんで、お前たちが……!!」
振り向いたヴィクの顔は、涙と鼻水と羞恥で、ぐしゃぐしゃだった。100点の面影は、今は、ない。だがまあ、それはお互い様である。徹夜で走った四人の顔も、ひどいものだ。
ちなみに、夜色の王侯装束は、逃避行と土間の埃で、だいぶ悲惨なことになっていた。
「っていうかあんた、その格好で山道走ったの!?どこのお姫様よ!?生地が泣いてるわよ!!」
「し、仕方ないだろ!!魔法が解けたら、勝手に戻ったんだ、この服は!!」
「ん。……おひめさま、みたい。にあう」
「〜〜っ、な、なんとでも言え!!」
経理は装束の袖を三秒で査定し(「銀糸。本物。売れば金貨……いえ、なんでもない」)、兵站長は素直に褒めた。俺は紳士なので、査定は口にせず、ただ拝見した。100点である。顔は0点だが。
「どっちも聞こえてるからな!!」
「なんで、って。決まってるだろう」
俺は、囲炉裏の前に、どかりと座った。隼人が薪を組み、沙耶が鍋を出し、ひなたが袋から食材を並べ始める。手慣れた、いつもの、野営の配置である。
「腹の減った眷属を、探しに来た。それだけだ」
「私は、もう、眷属じゃ……そもそも眷属だったことは一度も——」
「ある。本日づけの認定証も、ある。……ほら」
俺は、懐から、あれを取り出した。
コルン村の広場で拾った——ヴィクの、フードである。
「落とし物だ、監視長。……フードを届けるのも、監視業務の引き継ぎも、まだ済んでない。お前の退職届は、受理されていない」
「…………っ」
ヴィクの金の瞳が、フードと、俺たちを、行き来した。
何かを言おうとして、ヴィクが口を開いた。その、瞬間だった。
ぐうううう、と。もう一度、腹が鳴った。
「「「「…………」」」」
「まず、たべよ」
ひなたが、椀を差し出した。湯気の立つ、干し肉と芋の粥である。いつの間に作ったのか。台所係の早業は、今日も世界最速だった。
ヴィクは、椀と、俺たちを見て、見て、見て。
それから、陥落した。
「…………いただき、ます……」
説得は、飯の後である。俺たちの流儀では、いつも、そうだ。




