第76話 南下する足跡
キリノ里からの帰路は、来た道と、別の顔をしていた。
最初に気づいたのは、隼人だった。
「……なあ。俺、なんか、調子が、上がってきてる」
「「「「…………」」」」
俺たちの危険度計が、上向いた。それが何を意味するかを、俺たちの全員が知っている。
「どのくらいだ」
「まだ“そこそこ”。けど、さっきから、じわじわ来てる。……この道、何かいるぞ」
次に気づいたのは、ひなただった。
「ん。みち、くさい」
「臭い?」
「“まずそうなの”の、におい。……うすいけど、みちに、てんてんと。あるいてった、みたいに」
そして、俺の眼が、それを見つけた。
街道脇の、湿った土。獣の足跡が、大量に、南へ向かっていた。
「……足跡。狼型、猪型、鼠型、それと知らんやつ。全部、混ざってる。全部、同じ方向だ」
「異種の魔物が、群れて、同じ方向へ……氾濫の時の、迷宮の逆流と同じね」
「数は?」
「跡から見て、百、下らん」
沈黙が、落ちた。
北の山から、何かに押し出された魔物の群れが、南下している。その先にあるのは、キリノ里(もう空だ)、ヤナギ瀬、ハシバミ野、コルン村。そして、フォルテ。
「……足跡の古さは」
「新しい。今朝か、昨夜だ。……俺たちは今、群れの“後ろ”にいる」
「先回りされてるってことじゃないの!!」
「走るわよ!!ヤナギ瀬に警告!!それからハシバミ野、コルン村!!」
——そこからは、駆け足の一日だった。
ヤナギ瀬では、年寄り夫婦を説得して、家に篭もる準備をさせた(「群れは人里を素通りすることもある。灯りを消して、音を立てず、二日待って」。ヴィクの北仕込みの知恵である)。
ハシバミ野では、集落長が、宴で戻った結束のまま、即座に動いた。「寄り合いだ!!全戸、広場に!!若いのは見張りに立て!!」痩せていた縁が、いざという時の足腰に戻っていた。処方箋は、間に合っていた。
そして、コルン村。
「魔物の群れ!?な、なんてこった……!!」
「村長さん、落ち着いて。守りの手はあります。まず、ホリネズミたちに、退避の合図を。あの子たちの巣穴の警報網、使えます」
「ん。あたしが、はなす」
ひなたがネズミの餌場に走り、沙耶が村の防備を仕切り、隼人が(絶好調の体で)見張り台に登った。俺は、村の若い衆に黒パン投擲の速習講座を開いた。実戦配備までは行かなくとも、士気には効く。
投擲講座は、こんな具合である。
「いいか諸君!!黒パンは“武器”ではない!!“退去勧告”である!!狙うは足元!!当てるのではなく、進路に置く!!名付けて“遠慮の一撃”!!」
「けいご様!!命中したら、どうなるんで!!」
「命中は、事故である!!だが魔物は三日、パンの夢を見る!!」
若い衆の投擲成績は、及第が三割。だが、及第の三割が声を上げて笑い、笑い声が広場の空気を温めた。それでいい。士気とは、そういうものである。
「けいご様!!わしらも戦うぞ!!」
「ご婦人がたは、避難所の炊き出し指揮をお願いします!!士気の要です!!」
「まかせな!!」
——夕刻。村の見張り台から、隼人が叫んだ。
「見えたぞ!!北の丘!!うわ、マジで多いな!!」
丘の稜線に、影の群れが湧いていた。狼。猪。得体の知れない何か。百は、優に超えている。そして、その体表には、見覚えのある、黒いもや。
「……淀み育ちだ。氾濫の時の、変質した主と同じ“着ぐるみ”を、薄く着てる」
「進路は!?」
「村の、西を掠める。……いや、待て」
群れの先頭が、丘の上で、止まった。
止まって、一斉に、こちらを、向いた。
「(……おい。今、群れが、こっちを)」
「(見た、わね。全頭、同時に)」
「(獣の動きじゃ、ない。あれはまるで、“操縦”だ)」
迷宮の底で、死んだ主を操っていた、あの粘つく糸。あれと同じ気配が、丘の群れ全体に、薄く、絡みついている。
「——総員、配置!!群れ、進路変更!!村に、来るぞ!!」
「「「「!!」」」」
「ヴィク!!お前は避難所の守りだ!!子供と年寄りを頼む!!」
「……っ、分かった!!」
「隼人、調子は!!」
「人生で三番目くらいに、いい!!」
「三番目か!!なら、勝てる喧嘩だ!!」
夕日が、丘の群れの影を、長く長く、村へ伸ばしていた。
北の見回りの最終日は、どうやら、見回りでは終わらないらしい。
——コルン村防衛戦、開戦である。




