第74話 二つ目の集落と、空き家
二つ目の集落、ヤナギ瀬は、川沿いにあった。
着いた瞬間、全員が、口をつぐんだ。
半分が、空き家だった。
戸が閉まり、畑が荒れ、物干しに何もない家が、通りの左右に、歯抜けに並んでいる。残った家々も、昼だというのに、ひっそりと静かだった。
「……ハシバミ野より、進んでる」
「ん。におい、もっと、うすい。それと」
ひなたが、川上の方角を、指した。
「あっち。……“まずそうなの”。ちいさいけど、ある」
淀み、である。集落の上流に。
——まず、話を聞いた。残っている家の、年寄り夫婦である。
「出てった連中ですか。ええ、まあ、ぽつりぽつりと。半年くらい前から」
「理由は、その、皆さん——」
「“なんとなく”、でしょう」
婆さんの方が、先に言った。深い皺の奥の目が、静かに、こちらを見た。
「あんたがた、それを調べに来なさったか」
「……ええ。ご存知なんですか、何か」
「知りませんよ。何も。ただ、年寄りはね、覚えてるんですよ。昔の“ここ”を。祭りの日の、川辺の火を。若い衆の、喧嘩の声を。……今の静けさが、どれだけ変か、覚えてるんです」
爺さんの方が、茶を淹れながら、ぽつりと続けた。
「出てった連中は、悪くねえんだ。あいつらは、忘れただけだ。ここに居る理由をよ。……わしらは、忘れるには、覚えてる年月が長すぎた。それだけの違いよ」
「「「「…………」」」」
忘れた者から、出ていく。覚えている者だけが、残る。縁の痩せ方の、最終段階の手前を、俺たちは見ていた。
「ご老人。ひとつ、聞かせてください。川上に、何かありますか。最近、変わったことは」
「川上?……ああ、そういえば。半年前から、川の魚が減ったな。それと、水の味が、ちいとばかし、変わった。誰も気にしとらんが」
「(半年前。空き家が増え始めた時期と、一致ね)」
「(淀みの発生時期、か)」
——川上の淀みは、歩いて半刻の、古い水車小屋の跡にあった。
壊れた水車の、水の溜まりに、黒い靄が渦を巻いている。岩場で見たものより、ひと回り大きい。膝ではなく、腰の深さ。
「……大きいな。岩場のやつより」
「ああ。……そして、水場だ。最悪の場所に湧いてる。淀んだ気配が、水に乗って、集落へ流れ続けてた。半年間」
「それで、あの痩せ方か。……浄化、できるか?」
ヴィクは、腕まくりをして、それから、ちら、と俺たちを見た。
「できる。……ただ、この大きさだと、前みたいに“こっそり”は、無理だ。時間もかかるし、終わったら、しばらく動けなくなる。……見られるぞ、お前たちに。僕の“おまじない”の、全部を」
「今さらだな」
「今さらね」
「ん。まもってる」
「……ほんと、詮索しないんだな、お前たちは」
ヴィクは、フードを、深く被り直して、歌い始めた。
あの、低い、歌のような詠唱である。北方古語。講座で俺たちが習っている、あの巻き音が、いくつも、いくつも、連なっていく。
今なら、少しだけ、聞き取れた。
習った単語が、歌の中に、確かにあった。「糸」。「結ぶ」。「還る」。そして、繰り返される一節が、あった。
『からまりしものは、といてはならぬ』
「(……遊び歌と、同じ文句)」
「(いや……たぶん、逆だ。あの遊び歌が、こっちの“子供版”なんだ)」
浄化は、半刻かかった。
黒が灰に、灰が透明に。最後に、壊れた水車の溜まりには、澄んだ水だけが残った。魚が一匹、どこからか泳いできて、水面を、ぱしゃりと跳ねた。
「終わっ、た……」
ヴィクが、膝から、崩れた。俺が受け止める。軽い。そして、指先が氷みたいに冷たい。
「おつかれ。ほら、恒例のやつだ」
「……ん。……甘いの……」
蜂蜜菓子を齧る我が眷属を背負って、俺たちは集落に戻った。
「……お、下ろせ。歩ける」
「歩けん奴の台詞だ、それは。指先が氷なんだよ、お前」
「……っ。……じゃ、じゃあ、せめて、揺らすな。……あと、これは、命令だが」
「ん?」
「——もう少し、ゆっくり歩け。……景色を、見てるんだ。川が、綺麗に、なったから」
「仰せのままに、我が眷属よ」
背中の重みが、少しだけ、背中に馴染んだ。後ろを歩く三人が、にやにやしているのは、振り向かなくても分かった。あとで全員、写経二枚である。
——その晩は、年寄り夫婦の家に泊めてもらった。
囲炉裏を囲んで、ひなたの煮込みを五人と二人で食い、爺さんの若い頃の話(集落一の暴れん坊だったらしい)を聞き、婆さんに「あんたがた、夫婦かい」とヴィクと俺が聞かれて同時に噎せた。
「ちが!!眷属です!!」
「監視対象だ!!」
「けんぞく?……ようわからんが、まあ、仲がええのは分かった」
「(訂正が、もう訂正として機能してないのよね)」
寝る前、婆さんが、ぽつりと言った。
「……水の味が、戻っとった。夕餉の水汲みでな。半年ぶりじゃ」
俺たちは、顔を見合わせた。
「あんたがた、何をしたかは、聞かん。年寄りは、詮索せんのが取り柄でな。……ただ、これだけは言うとく」
婆さんは、囲炉裏の火に、薪を一本、くべた。
「出てった連中な。水の味が戻れば、ぽつり、ぽつりと、帰ってくるかもしれん。人の縁はな、切れたようでも、水脈と同じよ。地の下では、繋がっとる」
「……ええ。戻りますよ、きっと」
明日は、三つ目。一番北の、集落である。
ひなたの鼻は、もう、その方角の“におい”を捉えていた。捉えて、小さな眉間に、皺が寄っていた。




