第72話 どこから、ほどけば
北の見回りへの出発を、翌朝に控えた夕方だった。
家の前の“くちじょうずのざこ通り”に、白が、立っていた。
「ご機嫌よう、皆さま」
白い巡礼である。にこにこと。会釈つきで。俺たちの門の、真ん前に。
「(ヴィク!!二階!!窓から離れろ!!)」
「(伝えた。イタチが走った)」
俺たちは、門の前に、四人で横に並んだ。壁の陣形である。背後の家には、俺たちの眷属がいる。通すわけには、いかない。
「(おい、来たぞ。予定より早い)」
「(陣形は打ち合わせ通り。……ちょっと、隼人、あんた前に出すぎ)」
「(癖なんだよ。エースは前に出るの)」
「(ん。だいじょうぶ。にげあし、じゅんびずみ)」
「(兵站長の逃げ足が一番頼りになるの、俺たちらしいよな)」
小声の応酬で、膝の震えを抑え込む。恐怖の分だけ、軽口が増える。俺たちの、昔からの燃費である。
「巡礼。俺たちに何か?祝福なら、断ったはずだが」
「ええ、ええ。伺いました。ですから今日は、祝福ではなく、“観察”に」
「観察?」
「先日の四組の皆さま。……“戻して”しまわれたでしょう?」
にこにこの目が、すっ、と俺たちを見た。数える目、だった。
「五十年、この務めをしておりますが、初めてなのです。私が整えた縁が、戻ったのは。……どうやって?と、それはもう、夜も眠れぬほど、気になりまして」
「夜、眠るのか、あんた」
「あら。言葉のあやです」
「……教える義理はないな。企業秘密だ」
「では、当てましょう。“汚した”のでしょう?」
巡礼の声は、変わらず柔らかかった。柔らかいまま、深く、正確だった。
「引っ掛かりを作り、絡ませ、乱した。……ええ、ええ、理屈は分かります。分かりますとも。ですが、理解は、できません。せっかく綺麗にして差し上げたものを、なぜ、わざわざ汚すのです?痛みのないところに、なぜ、痛みを戻すのです?」
「あんたには、一生分からんだろうよ」
「ええ、分かりません。ですから、確かめることに、しました」
巡礼が、両手を、持ち上げた。
「——あなたがたで」
ぞく、と、背筋が総毛立った。
「断る、と言ったはずだが!!」
「祝福は、望まれた方にだけ。……ええ、それが流儀です。ですからこれは、祝福ではなく、“観察”です。触れませんし、解きません。ただ、視るだけ。あなたがたの絡まりの、糸の一本目を、見つけるだけです」
巡礼の目が、俺たちを、視た。
視られている、のが分かった。肌の上を、細い指がなぞるような感覚。俺の加護が視る時、相手もこう感じるのだろうか。そんなことを考える余裕は、三秒で消えた。
「…………おや」
巡礼の、にこにこが、止まった。
「……おや。おや、おや、おや」
首が、傾く。深く。もっと深く。
「一本目が……ない。いえ、ある。あるのに、どれも二本目で……いえ、これは三本目……?順番が……始まりが……どこです?あなたがたの絆は、どこから、始まって……」
「「「「…………」」」」
「四本が、四本とも、根本で……いえ、根本“が”絡まって……ああ、いえ、これは、絡まっているのではなく、編まれて……?違う、これは、これは」
巡礼は、二歩、後ずさった。
にこにこは、もう、なかった。あるのは——途方に暮れた、迷子のような顔だった。
「分かりません」
ぽつり、と。
「五十年で、初めてです。解き筋が、一本も、見えない。……あなたがたは、なんなのです?どこから、ほどけば、良いのです……?」
「教えてやろう」
俺は、一歩、前に出た。風呂敷マントを、翻して。
「どこからも、ほどけん。俺たちの絆はな、巡礼。十年、毎日毎日、売って、庇って、罵って、繋ぎ直して、こんがらがり続けた、大陸一の毛玉だ。……神様ですら、一括処理するしかなかった代物だぞ。あんたの手に、負えるか」
「……毛玉……」
「そうだ。誇り高き、毛玉である!!」
「(誇るのね、そこ)」
巡礼は、しばらく、呆然と立っていた。
それから、すとん、と、いつものにこにこに、戻った。戻ったが、その目の奥に、初めて、にこにこ以外のものが、覗いていた。
——執着、である。
「……分かりました。今日のところは、引きましょう。ですが、覚えておいてください。私は、解けない結び目を、見たことがありません。時間を、かければ、必ず」
「一生かけても無理だな。俺たちの毛玉は、今日も育ってる」
「ふふ。……では、皆さま。またお会いしましょう。ああ、それと」
去り際、巡礼は、家の二階の窓を、ちら、と見上げた。
「“古いもの”に、よろしく。……もっとも、あちらは、私どもを、よくご存知のようですが」
白い外套が、夕闇に消えた。
——その夜の会議は、短く、結論だけが決まった。
「北の見回り、予定通り、明朝出発。……ただし、ヴィク」
「……ん」
「お前も、来い。留守番の方が、危なくなった」
ヴィクは、頷いた。頷いてから、小さく、言った。
「……“私どもを、よくご存知”……あいつ、僕が、何者か——」
「かもな。だが、それを聞くのは、あいつじゃなく、お前の口からがいい。……話せる時が来たら、でいいさ」
俺たちの眷属は、答えなかった。
答えない代わりに、その夜の観測日誌の隅に、小さな字で、一行だけ書いた。
『時が、近い気がする』




