第70話 油壺作戦
合同依頼の名目は、「街道沿いの倒木の処理」だった。
嵐で倒れた大木が三本、荷馬車の邪魔をしている。斧の腕利きが要る。報酬は良し。ドムとガレンは、別々の依頼票で、それぞれ現場に現れた。
「……お?」
「……よう」
「「…………」」
鉢合わせた兄弟は、実に、あっさりしていた。気まずさすら、ない。他人の距離で、他人の会釈をして、別々の木に取り付いた。
「(……ほんとに、他人みたいね)」
「(三十年が、綺麗さっぱり、か。……よし、第二段階だ)」
監督役(という名目)の沙耶が、油壺を、ひとつだけ、二人の間に置いた。
「はーい、お昼前に刃の手入れをお願いしますね。油はこちら、ひと壺だけですけど、仲良く使ってくださーい」
ドムが、壺を覗いた。ガレンも、覗いた。
「「…………」」
壺の中身は、獣脂だった。ドム派の、油である。
ガレンの眉が、ぴくり、と動いた。
「……獣脂か」
「お、おう。獣脂だな」
「…………ま、いいけどよ。別に。俺はもう、こだわらねえし」
「お、おう。……そうかい」
ガレンは、獣脂を、無言で刃に塗り始めた。塗りながら、その手が、だんだん、遅くなった。
「…………粘るな、やっぱり」
「あ?」
「いや。……獣脂はよ、粘るんだよ。刃の走りが、鈍る。俺の斧は振りが速いから、植物油の方が、いいんだよ」
「出たよ」
ドムの口から、ぽろりと、こぼれた。
「植物油なんてよ、三日で酸化して斧が錆びるんだよ。だから俺は昔っから言ってんだろ」
「錆びさせたことなんか一度もねえよ!!手入れの回数が違うんだよ、俺とあんたは!!」
「回数だぁ?俺の斧を舐めてんのか、この——」
——そこから先は、早かった。
三十年ものの口喧嘩が、堰を切った。油の流派。刃の角度。研ぎ石の銘柄。二十年前の依頼の割り前。十五年前に兄が食った弟のプリン(この世界にプリンはないが、それに類する菓子)の恨み。
「出るわ出るわ……恨みの在庫、全然消えてないじゃない」
「梳かれても、底に沈んでた分だ。視ろ、二人の“状態”」
俺の眼には、視えていた。
——ドム。特記: 絆・該当なし……に、罅。
——ガレン。特記: 絆・再結中。
綺麗に整えられた糸が、怒鳴り合いのたびに、引っ掛かり、絡まり、汚れて、結ばれ直していく。
「てめえの斧なんか知るか!!大体よ、なんで俺ら解散なんかしたんだ!!」
「知るかよ!!あん時はなんか、そういう気分で——」
ガレンの怒鳴り声が、途中で、止まった。
「…………あれ?なんで、だっけ。俺ら、なんで……」
「……おかしいだろ、別によ。喧嘩したわけでもねえのに。三十年だぞ。なんで、あんなあっさり……」
兄弟は、油まみれの手のまま、顔を見合わせた。
その顔から、すうっ、と血の気が引いていくのが分かった。気づいたのだ。自分たちの三十年が、あの祝福で、音もなく持っていかれかけたことに。
「……なあ、ガレン。俺、怖えこと言うぞ」
「……おう」
「あの巡礼の“祝福”のあとからだ。全部。……俺、あん時、清々したなんて言ったよな。嘘だったんだよ、あれ。嘘つく理由もねえのに、口が勝手に、そう言ったんだ」
「「「「…………」」」」
倒木の現場が、静まり返った。
やがて、ドムが、でかい手で、がしがしと頭を掻いた。
「おい、《腐れ縁》!てめえら、最初っから分かってて、この依頼を組んだな!?」
「はい」
「油壺も、わざとだな!?」
「はい。獣脂で」
「〜〜〜っ、この、悪党どもが……!!」
ドムは、拳を振り上げた。そしてその拳で、俺の肩を、痛いほど、叩いた。
「恩に着る」
「三十年、お帰りなさい」
「おうよ!!おいガレン!!帰ったら再登録だ!!ついでに飲むぞ!!」
「植物油に替えたらな!!」
「まだ言うか!!」
怒鳴り合いながら肩を組む兄弟の足元で、ぶわり、と、淡い光が灯った。
《岩割り》の、絆スキルの光だった。俺たちのより小さく、俺たちのより不器用で、それでも、確かに、点り直した光だった。
「「「「…………」」」」
「……成功、ね。大陸初の、絆の外科手術」
「執刀医は、全員クズの藪医者だがな」
夜、ギルドの酒場の隅で、《岩割り》の再結成に、樽がひとつだけ開いた。宴、というほどのものではない。だが、祝いではあった。
リタさんは台帳の解消届を一枚破る(正確には「無効」の判を捺す)瞬間を、心底うれしそうにやり、グスタフさんは樽を開け、ヘクトルさんは「ふん」と言いながら三杯目だった。
宴の途中、ブロム棟梁が、板を掲げて現れた。『岩割り、復縁するか否か』の賭け板である。いつの間に。
「復縁に張ってたのは、儂とコタとリタ嬢ちゃんだけだ!!配当は三倍!!ガッハッハ!!」
「棟梁!?人の絆で賭場を開かない!!」
「開くとも!!賭けるってのはな、“信じてる”ってことの、いちばん下品な言い方なんだよ!!ガッハッハ!!」
「……下品だが、名言に聞こえるのが悔しい」
なお、当のドムとガレンは「お前らが復縁するから負けたんだ、一杯奢れ!!」と逆に集られていた。この街の絆は、今日も治安が悪くて、あたたかい。
そして、宴の隅で、ヴィクが帳面に、今日の記録をつけていた。
『症例一号: 復旧、成功。所要、半日。処方: 油壺一、罵倒多数。絆は、汚せば、戻る』
「……先生。次の患者は、三組だ」
「ああ。……次から、手術は流れ作業にする。書式も作った」
「絆の手術に書式があるの、私たちだけでしょうね……」
処方箋は、罵倒。特効薬は、思い出の恨み。
俺たちの流儀が、初めて、世界の敵に一矢報いた夜だった。




