第69話 処方箋は罵倒
支部長室への報告は、重い空気で終わった。
「……“絆を刈る巡礼”、か。正直、儂の頭では半分も呑み込めん。だが、お前らの顔と、台帳の解消届の山は、嘘をつかん」
「憲兵は動かせん。罪状がない。……くそ、歯痒いな」
グスタフさんとヘクトルさんにできるのは、注意喚起と、目撃情報の収集までだった。分かっていたことである。制度は、罪のない善意に、勝てない。
報告の帰り際、受付で、リタさんに呼び止められた。
「あの……これ、見てください」
台帳の、解消届の頁。四枚の届の余白に、小さな字で、何か書き込んである。
「“《双月》: 姉は妹の朝寝坊を怒るのが日課だった”“《鉄鍋会》: 鍋の〆の派閥争いが名物”……リタさん、これは?」
「……受付は、皆さんの喧嘩を、五年間、聞いてきたんです。全部、覚えてます。だから、その、届は受理しましたけど……記録だけは、消したくなくて」
「「「「…………」」」」
「へ、変ですよね!?台帳の私物化ですよね!?忘れてください!!」
変ではない。それは、たぶん、この街の受付にしかできない種類の、見張りだった。
だから、制度の外の、俺たちの出番である。
「というわけで、だ。今夜の議題は“刈られた絆は、取り戻せるか”」
我が家の円卓。黒板には、ヴィク先生の手で、図が描かれていた。糸の束の図である。
「講義する。よく聞け。絆っていうのは、糸だ。生きてる糸は、絡まって、ほつれて、汚れてる。だから、動く。伸びるし、繋がるし、切れても結び直せる」
「ふむふむ」
「あの“祝福”は、たぶん、糸を切ってるんじゃない。“梳いてる”んだ。絡まりを全部ほどいて、汚れを全部落として、一本一本、まっすぐに、綺麗に、整えてる。……整いきった糸は、どうなると思う」
「……絡まない、わね。二度と」
「そう。触れ合っても、するりと滑って、結ばれない。それが“絆・該当なし”の正体だと、僕は思う。切られたんじゃない。綺麗にされすぎて、結べなくなってるんだ」
円卓が、静まった。
なるほど、である。ドムさんの「清々してる」の顔。あれは、汚れを全部落とされた顔だったのだ。
「……で、だ。ここからが本題だ。整えられた糸を、元に戻す方法が、理屈の上では、ひとつ、ある」
「ある、のか!?」
ヴィクは、黒板に、大きく、こう書いた。
『汚す』
「「「「…………」」」」
「整えられて結べないなら、もう一度、汚せばいい。引っ掛かりを作って、絡ませて、結び直す。……つまり」
「つまり?」
「——喧嘩、させるんだ」
沈黙のあと、俺たちは、ゆっくりと、顔を見合わせた。
喧嘩をさせる。悪口を言わせる。感情をぶつけさせる。綺麗になりすぎた二人の間に、引っ掛かりを作る。
それは、つまり。
「「「「《腐れ縁》の、専門分野だ(ね)(わ)(ん)」」」」
「そうだ。……お前たちの流儀が、たぶん、大陸で唯一の処方箋だ。何せお前たちは、汚し合いで強くなる連中だからな。理屈は僕が出した。実行の作戦は、任せる。汚しの技術で、僕がお前たちに勝てるわけがない」
「先生に褒められた!」
「褒めてない。……いや、半分は、褒めてる」
——作戦会議は、白熱した。
標的は、まず《岩割り》の兄弟。三十年の絆の、復旧手術である。
「問題はな、あの二人、今や喧嘩の“種”すらないんだ。会っても“よう”“おう”で終わる。憎まれ口の在庫が、全部消えてる」
「なら、種は、こっちで蒔くのよ。二人が絶対に譲れなかったもの、何か知らない?」
「コタ!お前、岩割りの弟分だったろ。何かあるか」
正座で聞いていたコタが、犬耳をぴんと立てた。
「あ、あります!斧の手入れの、油!兄貴たちいっつも揉めてました!ドムの兄貴は“獣脂一択”、ガレンの兄貴は“植物油じゃなきゃ斧が泣く”って!酒場で三回、掴み合いになってます!」
「「「「それだ」」」」
「三十年の兄弟の絆の、最後の砦が“斧の油”なの、味わい深いわね……」
作戦は、単純にして、俺たちらしいものに決まった。
明日、ギルドの合同依頼として、ドムとガレンを「別々に」雇う。現場で「偶然」鉢合わせさせる。そして、作業に使う油を、一種類だけ、用意しておく。
どちらかの流派の油を、だ。
「……えげつない作戦ね、改めて聞くと」
「外科手術とは、そういうものだ。メスの代わりに、油壺を使うがな」
「作戦名は?」
「ふっ……よくぞ聞いた。名付けて≪漆黒の——」
「「「「油壺作戦」」」」
「即決!?俺の案は!?」
——散会後、屋根の上。
定位置で、ヴィクがぽつりと言った。
「……うまくいくと、思うか」
「五分五分だな。……ただ、な。ひとつだけ、確信がある」
「なんだ」
「ドムさんは、解散を語る時に、“清々してる”と言った。言ったんだ、わざわざ。……なあ、ヴィク。本当に清々してる人間が、清々してると、口に出すと思うか?」
ヴィクは、すぐには返さなかった。
「糸の芯は、たぶん、まだ残ってる。梳かれても、洗われても、三十年は、消えん。……明日、それを確かめる」
北の空は、今夜も、際に灰色の帯。
だが、明日の議題は、北ではない。まず、足元の三十年からだ。




