第7話 俺たちの絆は測定不能
モーラ森林の奥。目の前には、家一軒ぶんのボアの主。
俺たち《腐れ縁》、結成三日目にして、最大の危機である。
「に、逃げ——」
沙耶が言い終わるより早く、主の前脚が地面を掻いた。
俺たちの脳内会議は、満場一致・審議時間ゼロで結論を出した。ちなみに“戦う”という議題は、そもそも提出すらされなかった。相手は家一軒である。家と戦う人間がいるか。いない。逃げる。以上。
「「「うわああああああああ!!」」」
全員、散った。作戦ではない。ただの散り散りである。
「どぅわああああぁぁ!!来る!こっち来て——どぅあああああ!!」
「いやああああぁぁあ!!なんで!?なんでこっちに来るのよォォ!!」
「やばばばばば!!でっか!!でっかいでっかいでっか——ふぎゃあああ!!」
俺たちは叫んだ。全力で叫んだ。主は、特に興味を示さず、ただ突進した。
ちなみにひなたは、無言で全力疾走していた。あいつは、叫ぶ息すら惜しむタイプの逃走者である。
「お、落ち着きなさい!ボアの突進は直線的、急には曲がれない!木の密集地帯に駆け込んで、枝分かれに走れば——」
パニックの真ん中で、沙耶の口だけが勝手に動いた。加護の知識である。ありがたい。俺たちは半泣きのまま、木々の間へ転がり込み——
メキメキメキィッ!!と、木が。
木が、まとめて、なぎ倒された。
「通り道を作りながら来てるゥゥ!?」
「規格外に常識を説いた私が馬鹿だったあああぁぁ!!」
「三百三十一件目ェェ!!」
「今のは加護の知識のせいでしょォォ!!私のカウントに入れないでェェ!!」
「ならば我が漆黒の力よ、今こそ顕現し——どぅあああ無理だ間に合わん逃げろ逃げろ逃げろ!!」
「中二が三音節で折れた!?」
逃げて、転がって、また逃げて。気づけば俺たちは、倒木と岩に囲まれた行き止まりに追い込まれていた。
主が、ゆっくりと距離を詰めてくる。慌てて逃げる必要すらない、と言わんばかりに。
「……なあ。誰だっけ、見に行こうとか言ったの」
「隼人よ」
「乗ったのは沙耶だろ。三十秒で堕ちたし」
「あんただって魂が疼くとか言ってたじゃない!」
「元はと言えばひなたのセンサーが」
「えー。あたし?」
「「「お前のせいでもある」」」
「えー」
——ぶわり。
こんな時に、足元から光が立ち上った。
【売り言葉に買い言葉】、発動。体が軽くなる。視界が冴える。四人の呼吸が、勝手に噛み合っていく。
「(発動するな、こんな時に!!……いや)」
俺は、思い直した。
こんな時に、じゃない。
“こんな時のため”の、俺たちの絆だ。
「フッ……フハハハ!そうか、そういうことか!おい、お前ら!」
「何よ!?」
「思い出せ。俺たちの絆値は——“測定不能”。この世界では、仲の良さこそが強さだ。そして俺たちは、あの水晶を悲鳴を上げさせた四人だぞ。……なら」
主が、前脚で地面を掻いた。突進の予備動作。
俺は、指を突きつけて宣言した。
「——勝てないわけが、ないだろう!!」
「理屈はめちゃくちゃだけど!」
「なぜか否定できない!」
「おなかすいた!」
「よし全員いつも通りだ!!行くぞ!!」
主が、突っ込んできた。
——そこからは、口も体も、止めなかった。
「まず隼人!お前が囮だ!今のお前は強いんだろう!?」
「役割押しつけんの早ェよ!!……だが引き受けたッ!」
隼人が飛び出し、主の鼻先で挑発的に手を振る。突進が隼人を追って弧を描——かない。直線のまま突っ込んで、岩に激突した。
「岩ごと砕いたぞあいつ!?」
「隼人、死んだ?生きてる?」
「生きてるわ!!つーか体が軽い!!なあこれ、癖になるな!?」
「スリル中毒が加速してる!誰か後で叱って!」
——と、そこで、全員の口が止まった。
ふっ、と体が重くなった。
「「「「!?」」」」
「黙るな!!黙ると切れるんだった、このスキル!!」
「じゃあ何か喋りなさいよ!!」
「お前の眼鏡、伊達だろ!!」
「今それ!?今言うことそれ!?」
体が、軽さを取り戻した。よし。“戦闘中の沈黙は死”。覚えたぞ、俺たちの絆の仕様。
俺は、主を正面から視た。加護が、情報を流し込んでくる。
——健康、完璧。弱点、なし。ただし。
「……視えたぞ。突進のあと、切り返しの一瞬——右前脚の着地が浅い。踏ん張りが利くまで、三歩ぶん遅れる!」
「それで!?その三歩で何ができるの!?」
「沙耶!突進の止め方、降りてないか!?」
「無茶言わないでよ、加護は自販機じゃ——」
沙耶の目が、ふっ、と焦点を失った。来た。
「——巨体の突進は、本人にとっても止まれない。勢いはそのまま罠になる。“転ばせれば、自分の重さが自分を潰す”……あの倒木!あそこに勢いのまま突っ込ませて!」
「聞いたか、お前ら!誘導するぞ!」
「誘導って、どうやって!?」
「怒らせて、一直線に追わせる!一番頭に来る攻撃をぶつけろ!」
「一番頭に来る攻撃……」
ひなたが、ごそごそと、荷物から何かを取り出した。
石のように硬い、あの黒パンだった。
「あたしの、ごはん……」
この世の終わりみたいな顔で、ひなたは黒パンを構え——投げた。
ゴッ!!と、鈍い音がした。
黒パンは、主の鼻先に、直撃した。
「「「「効いた!?」」」」
「ナイフより強いのかよ、その硬さ!?」
主の目が、完全に据わった。標的が、ひなたに——正確には、ひなたの立つ倒木の方角に固定される。
「来るぞ!ひなた、引きつけて——今だ、跳べッ!」
突進。ひなたが、ぽて、と横に跳ぶ。勢いの止まらない巨体が、倒木に前脚を取られ——
世界が、傾いた。
家一軒ぶんの質量が、轟音を立てて横転する。
「隼人ッ!!三歩の間だ!!」
「——ああ。今の俺、多分いちばん強い」
覚醒した隼人が、跳んだ。中古のナイフが、一閃。
急所を、正確に貫いた。
——静寂。
土煙の中、主は、動かなくなっていた。
「…………」
「…………か」
「勝った…………?」
「「「「勝ったーーーー!!」」」」
俺たちは、抱き合って飛び跳ねた。生き延びた。初依頼で。危険度・低の依頼で。森の主に。
「たべていい?」
「解体の技術がないんだよなあ!!」
——その後のことは、少し駆け足で語る。
沙耶に「大物討伐は、ギルドに回収依頼を出せる。証明は牙で足りる」という知識が降り(便利屋か、あの加護)、俺たちはモーラ草の籠と、討伐の証明の牙と——そして“今夜の分”の肉を持って、日暮れの街に駆け戻った。
今夜の分だけは、ひなたが一歩も譲らなかった。切り出しは隼人のナイフと、沙耶に降りた解体の知識の合作である。本体は明日、ギルドの回収隊が引き取る手はずになった。
ギルドは、その夜、ひっくり返った。
「F、Fランクの初依頼で……森の、主を……!?」
「明日、回収隊を出します!査定は——買い取り含めて、銀貨5枚!!」
銀貨5枚。銅貨500枚。串焼き百六十六本。
ツケの158枚を差し引いても、大黒字である。
「よし、お前ら!今夜は宴だ!メインは俺たちが獲ったボアの肉!!」
「「「「うおおおおお!!」」」」
その晩、酒場で焼かれた主の肉は、脂が滝で、暴力的にうまかった。ひなたは八皿食べた。
「……あの、皆さん。一応聞きますけど、明日からは、その、普通に採取とかを……」
「もちろんです、リタさん。俺たちの方針は『目立たず、静かに、堅実に』ですから」
「初日で森の主を狩った方の言葉とは思えません……台帳が、また騒がしくなります……」
リタさんの目は、今日も遠かった。
——宴のあと。
宿の四人部屋で、沙耶が今日の書類を整理していた、その時だった。
「…………ねえ」
沙耶の声が、妙に硬かった。
「どうした」
「ひなたの鑑定書なんだけど。……これ、光ってない?」
全員で、覗き込んだ。
鑑定書の隅。あの、途中で力尽きた走り書きが——ほのかに、光を放っていた。
『これは仮である。後日、改めて授ける。——サ』
「「「…………」」」
「……後日って。まさか、来るのか?何かが」
「あの神様、仕事する時はするからな……」
当のひなたは、八皿ぶんの幸せに包まれて、すやすやと眠っていた。




