第6話 危険度低(のはずだった)
昼過ぎ。俺たち《腐れ縁》は、初依頼の現場、モーラ森林の入り口に到着した。
依頼内容は、傷薬の原料になるモーラ草の採取。危険度、低。新人に相応しい、平和で、地味で、堅実な仕事である。
——この時までは、俺もそう思っていた。
「よし、着いた……着いたが。なあ、これ、どれがモーラ草だ?」
森の入り口周辺は、見渡す限りの下草だらけだった。全部緑。全部草。依頼書の挿絵と見比べても、正直、全部同じに見える。
「任せなさい。こういう時のための、私の——」
沙耶が胸を張った、その瞬間だった。
「——葉の裏に銀色の産毛、茎に三つの節、千切ると微かに蜂蜜の匂い。それがモーラ草。似た草との見分けは節の数。二節は毒草オルカ草だから触ったら手を洗う……」
沙耶が、ものすごい早口で、ぶつぶつと語り出した。
「「「……」」」
「……はっ。今、私、何か言ってた?」
「ぺらぺらと。すごかったぞ」
「加護ね!今の、加護が降りたのね!……ふふ、見た?私の【他者の叡智】、ちゃんと役に立つじゃない!」
「ところで沙耶。今の知識、加護が降りたのか、それともお前が元から知ってたのか、どっちだ?」
「…………分かんない」
「ドヤ顔が困り顔になった」
自力か、加護か。本人にも区別がつかない。天才の実感が、永遠に手に入らない女である。合掌。
ともあれ、モーラ草の見分け方は判明した。俺の加護で答え合わせもできる。
「ふむ……これは三節、産毛あり。品質、中の上。こっちは二節。オルカ草だ、触るな隼人」
「お、サンキュー」
便利だった。悔しいことに、俺の目は本当に有能だった。森には人間がいないので、余計な情報も流れてこない。草に下着はない。平和だ。
「……なあ、ところでさ」
平和を破ったのは、籠を背負った隼人だった。籠には、まだ三束しか入っていない。
「俺、さっきから思ってたんだけど。この籠、重くね?」
「三束でか?」
「重い。あと森まで歩いただけで、足が棒なんだけど」
「加護の仕様よね。危険がないと常人以下……」
「今のお前は、この森で一番弱い生き物かもしれんな。モーラ草の次くらいに」
「草と同レべ!?なあ、俺のガチャ、やっぱ外れだったんじゃね!?」
「外れ同士、仲良くしなさいよ」
「よし、俺が採取するから、隼人は休んでいてくれ。戦力は温存するに限る」
「戦う予定、ないでしょうけどね。危険度・低なんだから」
採取は、順調に進んだ。
「——古の森に眠りし薬草よ。我が手に集え。≪収穫≫(ハーベスト)……!」
「普通にむしってるだけでしょ」
「言い方の問題だ。言い方で、世界は輝く」
なお、ひなたは作業と並行して、モーラ草を一本つまみ食いしていた。
「…………にがい」
「だろうな。薬草だからな」
「蜂蜜の匂いに、だまされた」
「納品分を食うなよ。俺たちの串焼きが減る」
籠が半分ほど埋まった頃。先頭で草をより分けていたひなたが、ぴたり、と手を止めた。
「ん」
「どうした」
「すっごーいの。……すぐ、そこ」
ひなたが指したのは、採取場のさらに奥。木々が深くなる方角だった。
「……街道で言ってたやつか。『すっごくおいしいもの』」
「うん。もう、匂いがしそうなくらい、近い」
「「「「…………」」」」
さて。ここで、まともなパーティなら、こう判断する。依頼は採取。危険度・低の範囲は入り口周辺。奥に行く理由はない。帰ろう。
「ちょっとだけ、見に行かね?」
まともじゃないのが、一人いた。しかもさっきまで棒だった足で、もう爪先が奥を向いていた。
「却下よ。依頼はモーラ草の採取。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「出た、優等生」
「なんとでも言いなさい」
「ふーん。……でもさ、沙耶。『すっごーいの』が何か、気にならない?ひなたの加護は『一番良いもの』に反応する。つまりこの森の奥には、専門家も知らない『何か』がある。……知的好奇心、疼かない?優等生ならさあ」
「疼かないわよ」
「もし珍しい素材だったら、ギルドに報告した第一発見者として、記録に名前が残るかもよ」
「疼かな……」
「永久に」
「………………」
「三百三十件目、来るか?」
「う、疼いてないってば!!……で、でも、そうね、依頼主のためにも森の状況は把握しておくべきだし?これは寄り道じゃなくて、調査というか……」
「陥落した」
「早いんだよ、うちの優等生は」
「三百三十件目、いただきました」
「今の計上されるの!?」
こうして俺たちは、来てはいけない方の道を、全員で歩き出した。ちなみに俺も止めなかった。正直、少し疼いていた。魂が。
道すがら、木々の陰が濃くなるにつれ、俺の魂は加速した。
「フッ……感じるぞ。この張り詰めた気配……見えざる守り手の……これは、古の結界!」
「蜘蛛の巣よ」
「顔に張り付いてから言うな!!取れ!早く取れ!!」
「結界(蜘蛛の巣)に敗れる漆黒の変態紳士、って記録しておくわね」
「お前の調査ノートはそういう用途じゃないだろ!?」
沙耶はいつの間にか帳面を「調査記録」に切り替えて、張り切ってページを埋めていた。第一発見者の名誉とやらに、まだ未練があるらしい。眼鏡が、やる気で光っていた。
森の奥は、空気が違った。
木々の間隔が広くなり、代わりに一本一本が太くなる。鳥の声が、いつの間にか消えている。
そして、地面。
「……おい。これを見ろ」
下草が、帯状に、べったりと踏み倒されていた。人の道ではない。“何かが通った跡”だ。倒された若木の折り口は、まだ新しい。
俺は、跡を正面から視た。加護が、淡々と情報を寄越してくる。
——足跡。蹄。四足。歩幅、俺の身長超え。体重——考えたくない。
「圭吾。何が視えた」
「……でかい。とにかく、でかい。俺たちの常識の外のサイズだ」
「帰りましょう。今すぐ」
沙耶の声が、真剣な音になった。賛成だ。俺の背中の汗も、全会一致で賛成している。
——なのに。
「なあ」
隼人が、妙に明るい声を出した。
「俺、さっきから、めちゃくちゃ体の調子がいいんだけど」
「「「…………」」」
嫌な情報だった。今日一番、嫌な情報だった。
隼人の加護は、危険度に比例する。つまり、こいつの体調は——“この場の危険度そのもの”である。
「ど、どのくらい調子いいの」
「たぶん今なら、百メートル九秒で走れる」
「逃げるわよ!!今すぐ!!」
「待って」
ひなたが、ぽつりと言った。そして、木々の向こうを指差した。
「——来た」
地面が、揺れた。
一歩。また一歩。太い木の幹が、みしり、と軋んで押しのけられる。
現れたのは——猪だった。
ただし、家一軒ぶんの。
黒い剛毛。岩のような肩。俺たちが朝食った串焼きのご先祖様みたいな顔が、蒸気のような鼻息を吹き上げて、こちらを見下ろしていた。
ボアだ。ボアの、親玉。森の主クラスの、特大の個体。
俺の加護が、視線の先の主を、勝手に読み上げていく。
——健康状態、完璧。疲労、なし。傷、なし。弱点、見当たらず。
——機嫌、“最悪”。
「け、圭吾。何か視えた?弱点とか、弱点とか!」
「……健康優良児だ。あと、めちゃくちゃ怒ってる」
「知りたくなかった、その情報!!」
「「「「…………………………」」」」
誰も、動けなかった。
いや——正確には、二人を除いて。
「————おいしそう」
ひなたが、真顔で言った。視線の先の主を、完全に「歩く極上肉」として見ていた。
「————軽っ」
隼人が、笑った。見たこともないほど、いい顔で。
やめろ。お前ら、本当にやめろ。




