第5話 大鎌は予算オーバー
冒険者登録を済ませた俺たち《腐れ縁》の、異世界二晩目。
まずは、今夜の寝床の確保からだった。リタさんに紹介された安宿は、ギルドから歩いてすぐ。一階が酒場、二階が客室という、聞いていた通りの冒険者宿だ。
カウンターの奥にいた恰幅のいい女将が、俺たちを見るなり言った。
「四人部屋がひとつ空いてるよ。一部屋、銅貨80枚」
「個室は」
「個室なら一人銀貨1枚だね」
「「「「四人部屋で」」」」
即決だった。ツケはすでに銅貨135枚。串焼き四十五本。破産まっしぐらである。
「……ちょっと待ちなさいよ。四人部屋って、男女同室ってことよね?」
「今さらか?」
「今さらだねえ」
「一応言っただけよ。あんたたちに乙女心を期待した私が馬鹿だった」
「安心しろ、沙耶。紳士たるもの、同室の淑女に指一本——」
「あんたが一番信用できないのよ、公文書」
「公文書を悪口にするな!!」
そして始まる、寝床の陣取り合戦。壁際の一番良い位置は、無言の椅子取り合戦の末にひなたが確保した。こいつ、食と寝床に関しては反応速度が三倍になる。
「ちなみに俺、いびきかくけど」
「知ってる」「知ってるわ」「知ってるー」
灯りを消してからも、しばらくは誰も眠らなかった。天井を見ながら、明日の話をだらだらとする。この感じは、前世の修学旅行の夜と、まったく同じだった。
「なあ。俺たち、ほんとに異世界に来たんだなあ」
隼人が、珍しくしみじみと言った。
「どうした急に。明日は雨か?」
「いや。……パソコン置いてきたことを、ふと」
「しみじみの正体それか」
「私、明日のために依頼の段取りを考えたんだけど」
あくび混じりに返したのは、隼人だった。
「寝ろ優等生。あと段取りはどうせ崩れる」
「なんでよ!?」
「うちのパーティに段取り通り動く人間が何人いる? 言ってみろ」
「……一人?」
「その一人はお前じゃないぞ」
「そもそも一人も居ないが」
ふふ、と暗闇のどこかで、ひなたが笑った。そして三秒後には寝息を立てていた。切り替えの早さが野生である。
——翌朝。
俺は誰よりも早く目覚め、宿の裏で視線の特訓をしていた。視界を絞る。開く。絞る。一晩でだいぶマシになった。適応力の勝利である(二回目)。
朝のギルドで、リタさんが貸してくれたのは、使い込まれた革の胸当てと、採取用の籠と、小ぶりのナイフが四本だった。
「新人さん向けの貸与品です。返却時に、傷めた分だけ報酬から引かれますので」
「ふむ。……リタさん、武器は選べるのだろうか」
「と、言いますと?」
「大鎌はあるか。できれば漆黒の」
「ないです」
「では黒い剣は」
「ナイフです」
「せめて、漆黒のロングコートは」
「ギルドは服屋ではありません」
「……このナイフの銘は?」
「中古品です」
「銘が中古品!?」
「食い下がるな、みっともない」
貸与の胸当ては中古なだけあって、サイズがばらばらだった。俺と隼人はすんなり決まったが、問題は女子組だった。
「ん……これ、きつい」
ひなたが、胸元の革紐と格闘しながら言った。
ぴしり、と空気の凍る音がした。
「……何よ」
「何も言ってないが?」
「誰も何も言ってないだろ」
「言ってないねえ」
「今、全員が同時に目を逸らしたでしょうが!!」
「沙耶さんには、こちらの……調整幅の広いタイプをご用意しますね」
「その気遣いが一番刺さるのよ!!」
リタさんに悪気はない。悪気はないのが、一番効く。
「なあリタさん、これって売ったらいくら——」
「貸与品です」
即答だった。隼人が言い終わる前に、答えが被せられていた。
「皆さんのような方への対応は、マニュアルより早く体が動くようになってきました」
リタさんの成長が、俺は少し怖い。
出発前に、市場で朝飯を調達することにした。フォルテの朝市は、石畳の通りに屋台と露店がずらりと並んで、焼ける肉と焼きたてパンの匂いが充満する、率直に言って最高の場所だった。
「ひなた。出番だ」
「ん」
ひなたが、すん、と鼻を——正確には加護を——利かせた。
「一番おいしいの、あっち」
ひなたの指の先には、行列のできた串焼き屋台。焼き場に立つのは、虎柄の耳をぴんと立てた獣人のおやじだった。道理で、焼き加減が野性的にうまいわけである。俺たちは並んだ。焼きたてのボア肉の串は、脂が甘くて、香ばしくて、たしかに大当たりだった。
「「「「うまい!!」」」」
「これが加護の正しい使い方では?」
思わず俺が言うと、沙耶が首を振った。
「神様が聞いたら泣くと思うわよ」
「……ああ、でも、あれだな。これに醤油があれば」
「隼人、その単語を出すな。泣くぞ、俺が」
この世界に、醤油と味噌は、ない。転生二日目にして判明した、最大の悲報である。
道中の携行食には、日持ちするという黒パンを人数分買った。齧ってみた。硬い。石かと思った。
「……なあ。これで殴った方が、ナイフより強くね?」
「奇遇だな隼人。俺も今、武器としての可能性を感じていた」
「男子は何でも武器にしたがるの、前世から治らないわね」
「ひなた、お前それ三個目——え、もう食い切ったの!? 石だぞ!?」
「よく噛むと、あまい」
「顎の加護でも貰ったのか、お前は」
「はい、じゃあ出発前に会計報告するわよ」
沙耶が、どこから調達したのか小さな帳面を開いた。空回り三百二十九件の女は、なぜか経理だけは几帳面なのである。
「現在のツケ、宿と朝食——ひなたのおかわり込みで——銅貨158枚。本日の依頼報酬は、モーラ草の納品量次第で銅貨50〜80枚」
「つまり?」
俺が先を促すと、沙耶は帳面をぱたんと閉じた。
「全部うまくいっても、今日の私たちは串焼き換算でマイナス二十六本」
「「「「……………………」」」」
長い沈黙のあと、隼人がぽつりと言った。
「……働こう」
「…いやだああああ!! 俺が働くなんて……俺は『働いたら負け』という文字が刻まれたTシャツを着て堂々と街中を歩いていたんだぞ!?そんな俺が働いているところを見られたら……笑われるゥ!軽蔑されるゥ!就職させられるゥ!」
「安心しなさい。この世界に、あのTシャツを知ってる人はいないから」
「それに今のお前、もう冒険者登録済みだからな。就職してんだよ、とっくに」
「あーーーーッ!!」
「働くしかないわね」
初めての依頼書には、こうある。
『傷薬の原料となるモーラ草の採取。場所、モーラ森林の入り口周辺。危険度、低』
モーラ森林は、街の南門から歩いて半日弱。例のスライム街道をしばらく行って、脇道に逸れた先だ。
南門をくぐる時、見覚えのある門番が俺たちに気づいた。
「お? お前ら、あの時の……ちゃんと登録できたんだな」
「おかげさまで! パーティ《腐れ縁》です!」
「……変な名前をつけたなあ」
門番が苦笑した、その横で。
沙耶が、しみじみと目を細め、胸に手を当てて小さく会釈をしていた。誇らしさ三割、照れ三割、残り四割は「うちのがどうも」の顔だった。
「その節は妻が世話になりました的な顔をやめろ、沙耶。名付け親はお前だ」
「あら、失礼。つい」
「つい、で出ていい顔じゃないんだよ」
街道を南へ。よく晴れて、風が気持ちいい。荷物は籠とナイフと水筒だけ。
「時にお前ら、モーラ森林の『モーラ』とは何か、知っているか」
歩きながら、俺は語り始めた。誰も聞いていないのは知っている。それでも語るのが俺だ。
「古の言葉で『闇を喰らうもの』……つまりあの森には、かつて光すら呑む——」
「依頼書に書いてあるわよ。『モーラ草がよく採れるのでモーラ森林』って」
「身も蓋もない!!」
「大体あんた、昨日この世界に来たばかりで、なんで古の言葉を知ってるのよ」
「知らん。だが魂が囁くのだ」
「魂も適当なこと言うのね」
「フッ……ついに始まるのだな、我らの冒険譚が。記念すべき初クエスト……!」
「薬草採取な」
「危険度、低よ」
「静かな依頼ほど、何かが起こるものだ。物語とはそういう構造をしている」
「変なフラグ立てるのやめてくれる?」
——と。
先頭を歩いていたひなたが、ぴたり、と足を止めた。
「……ん」
「どうした」
ひなたは、街道の先——モーラ森林の方角を、じっ、と見た。
「あのね。すっごーく、おいしいものの方角が、あっち」
「ほう。森の果実か何かか?」
「ちがう。もっと、こう……すっごーいの」
「「「「…………」」」」
ひなたの指す方角と、依頼書の地図が示す採取場所は——完全に、一致していた。
嫌な予感しか、しなかった。
「…………なあ」
沈黙を破ったのは、隼人だった。こいつは、こういう時に限って、実にいい顔で笑う。
「面白そうじゃん」
やめろ。その顔をやめろ。




