第64話 ただいま、フォルテ
帰りの街道は、拍子抜けするほど、平和だった。
男爵領の検問は携行証明で素通りし、赤鼻団の谷では「警備の詰所」が建ちかけていて(あの頭目が、揃いの制服で手を振ってきた。似合っていなかったが、いい顔をしていた)、宿場の看板娘さんは俺の顔を見るなり襟首の位置を確認した。風評である。
そして、六日目の夕方。
「見えた」
夕日の向こうに、見慣れた城壁が現れた。
フォルテ。俺たちの、最初の街。
「「「「ただいまー……」」」」
「おかえり!!《腐れ縁》!!」
東門で、いつもの門番さんが、手を挙げて迎えてくれた。
「王都はどうだった」
「何も起きませんでした(王盤の沈黙と大司教との面会と正体不明の灰色を除く)」
「今日の括弧、長くないか!?」
——家は、無事だった。
いや、無事どころではなかった。ブロム棟梁は約束通り屋根を点検し(ついでに庭に石畳の小道が増えていた。「暇だったんでな!ガッハッハ!」)、コタは冷蔵庫を守り抜き(中身は空のままピカピカに磨かれていた)、観測当番の新人三人組は、日誌を一日も欠かさずつけていた。
「おかえりなさい、皆さん!!観測日誌、全部つけました!!“朝飯の味”の欄も!!」
「うむ。……どれどれ。“靄、異常なし。屋台のスープ、うすい”……よし、合格だ」
「監視長さんに合格もらった!!」
ギルドに顔を出すと、リタさんが受付から飛び出してきた。
「おかえりなさい!!ああ、もう、無事で……で!?胃薬は!?」
「挨拶より先ですか」
「先です!!」
四瓶(おまけ込み)を渡すと、リタさんはその場で一瓶の封を切った。台帳を見れば、理由は分かった。留守中のうち宛ての問い合わせ・依頼・紹介状の山が、受付の棚をひとつ、占領していた。Cランク昇級の報は、俺たちより早く着いていたのである。
「今夜は詮索しません!でも明日、王都の話、全部聞かせてくださいね!全部です!!」
「善処します」
夜は、ギルドの酒場が、勝手に祝勝会になった。
グスタフさんが樽を開け、ヘクトルさんが「ふん、Cランクごときで」と言いながら誰より早く来ており(土産の「配る用」の菓子は、無言で受け取られた)、じいさんは眼鏡拭きを検分して「上物ですじゃ」と目を細め、コタはひなたの王都食レポを正座で拝聴していた。
「で、だ」
宴のあと、支部長室に、俺たちは呼ばれた。
グスタフさんとヘクトルさん。扉は、閉められた。祝いの顔は、そこには、なかった。
「王都の“土産話”、聞かせろ。……リタに話せん方のやつをだ」
俺たちは、話した。写本のこと。北の記憶の欠番のこと。そして——灰色の巡礼のこと。
聞き終えた支部長は、腕を組んで、長いこと唸った。
「……灰色の外套、か。実はな、こっちでも、妙な話がひとつある」
「妙な話?」
「お前らの留守中だ。コルン村の先の、山裾の集落から、報せが来た。“灰色の外套の二人連れが、村を通っていった。何もせず、ただ、歩いて”……とな」
「「「「…………」」」」
「報せた村長は、笑ってたそうだ。“変な巡礼さんだ”と。……だがな、俺はお前らの顔を見て、確信したよ。笑い話じゃ、ないんだろう」
俺は、支部長の目を、まっすぐ見返した。
「はい」
「ふん。……ま、いい。Cランクの帰還初日に、辛気くさい顔は、ここまでだ」
グスタフさんは、切り替えるように、机をばん、と叩いた。
「明日から、通常営業!依頼は山積みだ!稼げ、英雄ども!」
「ガハハ、と笑わないんですね、今日は」
「……笑うさ。お前らが揃って帰ってきた日に、笑わん支部長がいるか。ガハハ!!」
やや、無理のある「ガハハ」だった。それでも、その心遣いが、フォルテだった。
——夜半。我が家。
風呂を沸かした。我が家の風呂は、やはり最高だった。
なお、順番決めで、恒例の議事が発生した。
「一番風呂は、旅の垢がいちばん多いやつからだ。つまり、俺——」
「却下。一番風呂は監視長のヴィクよ。六日間、幌の陰で一番窮屈だったんだから」
「ぼ、僕はべつに、後で……」
「ん。ヴィク、いちばん。せんぱいのめいれい」
「後輩の命令では?」
「我が家では飯を作る者がいちばん偉いんだ。諦めて浸かってこい」
「……っ、す、すまない。じゃあ、お先に」
ぱたぱたと消える足音を聞きながら、隼人が、ぼそりと言った。
「……あいつ、絶対、風呂で鼻歌うたうよな」
「聞くな。聞いても、言うな。それが紳士だ」
三十秒後、脱衣所の方から、小さな鼻歌が聞こえた。全員、無言で茶を飲んだ。紳士協定は、五人目の知らないところで、今日も固い。
風呂のあと、冷蔵庫に牛乳を補充し(コタが明朝ぶんを買っておいてくれた)、五人で腰に手を当てて一気飲みをして、それぞれの部屋に散った。
俺は、寝る前に、屋根に登った。
先客は、もちろん、いた。
「……定位置だな、我が眷属」
「ん。……フォルテの屋根は、やっぱり、走りやすそうだ」
ヴィクは、膝を抱えて、北の空を見ていた。旅の間に増えた、観測日誌の新しい欄。“北の空の色”。今夜のフォルテの北の空は、雲もなく、静かな藍色だった。
「なあ、圭吾。……僕は、決めたことがある」
「ほう」
「写しを、全部読み解く。地図を、確かめる。準備をして、力をつけて、それで、いつか」
「いつか?」
「——北に、行く。“見張りの塔”に。……確かめなきゃいけない人が、いる」
初めて、ヴィクは「探し物」を「人」と言った。
俺は、夜空を見上げたまま、いつも通りに答えた。
「そうか。なら、俺たちも準備しておこう。北は寒いらしいからな。ひなたの弁当が凍らん工夫が要る」
「……ふ。心配の順番が、お前たちらしいよ」
「あとは、そうだな。北方古語も、少し習っておくか。先生を、ひとり知ってる」
「……仕方ないな。月謝は、甘いのでいい」
夜風が、二つのフードと一つの前髪を撫でて、北へ抜けていった。
——王都編、これにて閉幕。
腐れ縁四人と眷属一人の物語は、次の章へ続く。北の空の色を、毎晩記録しながら。




