第58話 検分の日
検分の日は、朝から小雨だった。
外書庫では、虫干しの最終日作業が進んでいた。棚に本を戻し、目録に印を付け、床を掃く。俺たちの五人は、完璧に、真面目な作業員だった。真面目な作業員なので、回廊側の窓に近い持ち場を、ごく自然に、確保していた。
「(……来た)」
昼過ぎ。回廊の向こうから、足音の列が近づいてきた。
先頭に、白と金の法衣の老人。大司教だ。その後ろに司祭が二人、書類箱を抱えたトマ司祭、そして殿に、鎖帷子の聖堂騎士が一人。
一行は、俺たちの居る外書庫の前を通り、回廊の突き当たりへ。階段を、降りていく。
「(いいか、全員、自然に。自然にだぞ)」
「(あんたの“自然”が一番不自然なのよ。マントの裾、さっきから三回直したでしょ)」
「(武者震いだが!?)」
「(ん。おなか、なりそう)」
「(こらえろ、兵站長!!今日だけは!!)」
「(はらぺこの加護が、緊張で加速してる……)」
「(配置につけ。作業をしながら、だ)」
俺は、窓際の棚に本を戻す係。窓際からは、階段の下り口までの視線が、一本だけ通る。あとは、扉が開くのを待つだけだ。
がこん、と。重い音が、地下から響いた。
印章が、合わさった音。続いて、石の擦れる長い音。
——開いた。
俺は、本を棚に収めた。窓の前へ進み、顔を上げて、階段の奥を正面から視た。
暗い。深い。扉の向こうは、ほとんど闇だ。だが、検分の灯りが、ひとつ、ふたつ、点いていく。
加護が、走った。
奥書庫。広さ、外書庫の半分。棚、十二列。書物、多数。保存状態、古い。とても、古い。
視える。読める。行ける。
本の文字を読むには、灯りと、そこまで通る視線が要る。人を視た時に出る特記とは、勝手が違う。下着の色は頼まなくても流れ込んでくるくせに、閉じた本の続きは読ませてくれない。大書庫でも、そこは駄目だった。今、拾えるのは、開いた扉の向こうで灯りを受けている背表紙だけだ。
「(……番号、二列目。北方関連の棚だ)」
俺は、視線の焦点を、絞りに絞った。開いた扉の奥、灯りに照らされた棚の背表紙の文字を、遠目のまま、一冊ずつ拾っていく。
『北方古謡集』。あった。大書庫の欠番だ。
『山向こうの昔話』。ある。
『大陸伝承集成・第十九巻』。ある。全部、ここだ。消された北の伝承が、全部、この地下で埃を被っている。
「(あとは、黒い写本。留め金の壊れた……)」
視線を、棚の下段へ。古い革の背。黒。黒。違う。黒。
——見つけた。
最下段の隅。黒い革の写本。留め金が、片方、千切れている。表紙の文字は、視線の角度が浅くて、読み切れない。だが、大きさ、装丁、古さ。ヴィクの言った特徴と、全部、重なる。
「(在った)」
その時だった。
「——そこの、作業の者」
背後から、声がした。
振り向くと、聖堂騎士が、立っていた。鎖帷子。腰の剣。無表情の目が、俺と、俺の立つ窓際を、順番に見る。
「先ほどから、視線が階段の方に向いているな。……何を見ている」
「(まずい)」
隠れて覗けば、この眼は働かない。だから、堂々と視た。堂々と見つかった。
「これは失敬。作業中、つい、気になってしまいまして」
「気になる?何がだ」
「雨漏りです」
「雨漏り?」
「ええ。階段の上の梁。雨の日は、あそこに水が回る筋が視える。書庫番として、本の敵は虫と湿気。地下に水が落ちては一大事と、つい、目で追っておりました」
聖堂騎士は、俺の指した梁を見上げた。実際、視えていたのである。梁の木目に沿った、薄い水の筋が。嘘は、言っていない。優先順位を、少々入れ替えただけだ。
「……ふむ。確かに、染みがあるな」
「トマ司祭に、後ほど報告をと思っておりました」
「そうか。……感心な作業員だ」
聖堂騎士は、頷いて、持ち場に戻っていった。俺は、本を棚に戻す作業を再開した。手のひらの汗は、本に付く前に、ズボンで拭いた。
——検分は、半刻で終わった。
石の扉が閉まり、印章が外され、白と金の列が回廊を戻っていく。すれ違いざま、大司教の目が、一瞬だけ、俺たちの作業場を撫でた。深い、静かな、何を考えているか読めない目だった。
……そして、俺の加護は、その一瞬に、妙なものを拾った。
大司教。健康状態: 良好。機嫌: 平静。特記あり。
“懐中に、黒い写本。留め金、破損”。
「(は?)」
視線が、追う。法衣の懐。間違いない。さっき、奥書庫の最下段で視た、あの黒い写本が、大司教の懐に、入っている。
検分で、持ち出したのだ。今日。よりにもよって、今日。
一行は、回廊の向こうに消えた。
——作業終わりの鐘が鳴るまで、俺は、真面目な作業員を演じ切った。演じ切って、聖堂を出て、西広場の隅で、待っていた四人に、報告した。
「まず、朗報だ。写本は、実在した。奥書庫の二列目、最下段。黒革、留め金片方破損。お前の探し物は、五年ぶりに、実在が確認された」
「っ!!」
ヴィクのフードの奥で、金の瞳が、大きく見開かれた。
「それで、次が、問題だ。その写本は今、奥書庫に、ない」
「……は?」
「検分の帰り、大司教の懐に入っていた。……持ち出されたんだ。今日、たった今」
「「「「…………」」」」
雨上がりの西広場に、沈黙が落ちた。
五十年、地下で埃を被っていた本が。俺たちが辿り着いた、まさにその日に、動いた。
「……偶然、かしら」
「偶然にしては、出来すぎている。……なあ、ヴィク。ひとつ、聞かせろ」
俺は、震えている小さなフードに、静かに聞いた。
「“見張りの手引き”。あの写本を探しているのは、この大陸で、お前だけか?」
ヴィクは、長い、長い沈黙の後、首を、横に振った。
「分からない。でも……僕より先に、あの棚の“空き”に触り続けてた誰かが、いる。大書庫の、埃の薄い欠番の棚。……思い出せ。あれと、同じ手だ」
誰かが、北の記憶を、系統立てて集めている。五十年前から。そして今日、その手が、また動いた。
「……追うぞ」
「追うって、相手は大司教よ!?」
「だからこそだ。大司教が“個人的に”動いたのか、教会が動いたのか、それとも、別の誰かの手が、法衣の袖に入っているのか。……確かめる方法は、ひとつしかない」
俺は、雨上がりの尖塔を見上げた。
「——正面から、頼みに行く。俺たちの流儀で」
「「「「正面から!?」」」」
明日、大聖堂に、面会を申し込む。相手は、大司教。議題は、黒い写本。
無謀?承知の上だ。だが、忍び込めば罪になり、諦めれば五年が消える。なら、堂々と扉を叩くのが、俺たちの流儀である。




