第53話 測れないものを測る人
「正式な手続き」は、翌朝、本当に来た。
王宮魔導院の紋章入りの召喚状。差出人、第三研究室・主任導師セヴラン。要件、“未測定事象の学術協力(謝礼あり)”。
「謝礼あり」
「「「「行きます」」」」
「返事の早さが恥ずかしいわね、我ながら」
——王宮魔導院は、学問区の最奥の、蔦の絡んだ古い塔だった。
第三研究室は、その地下にあった。壁一面の計器。天井から吊るされた水晶。床に描かれた巨大な術式円。そして部屋の主、灰色のローブのセヴラン導師が、机の向こうから、飢えた目でこちらを見た。
「来たか。座れ。……いや、座るな。まず、その術式円の中央に立て」
「挨拶の工程がないんですが」
「時間の無駄だ。わしは今年で七十九。無駄にできる時間が、もうない」
導師の研究テーマは、部屋の黒板に、でかでかと書いてあった。
『測定不能事象の分類と解明』
曰く、この世界には、時折“測れないもの”が現れる。壊れた計器、狂った数値、説明のつかない現象。学界はそれを「誤差」と呼んで捨てる。だがセヴラン導師は、五十年、それを拾い集めてきたのだという。
「誤差は、捨てれば誤差のままだ。拾えば、世界の縁が見える」
「世界の、縁」
「計器とは、世界の“ものさし”だ。ものさしが折れる場所には、ものさしより大きな何かがある。……お前たちは、わしの五十年で、最大の“折れ場所”だ」
「(褒められてるのか、これは)」
「(研究対象として最高評価、ってことでしょうね)」
——検証は、徹底的だった。
まず、絆スキルの発動条件。罵倒の種類、声量、距離、人数の組み合わせを、百通り試された。
「罵倒、開始」
「え、ええと……沙耶、お前の、眼鏡は、伊達」
「注文されてやる罵倒って、難しいわね……あんたの、前髪は、無駄」
足元の光は、ぴくりとも、しなかった。
「発動せず、と。では次。台本なしで、自由にやれ」
「自由って言われてもな。なあ沙耶、朝のパン、お前二個目食っただろ」
「はあ!?食べてないわよ!あれはひなたの——あ、あんた、まさか私のせいにして自分が!」
「バレたか」
「バレたかじゃないのよ!!」
ぶわり、と光が灯った。
「発動した。台本では駄目で、実話では発動する、と」
セヴラン導師の羽根ペンが、猛烈な勢いで走る。
「興味深い。実に興味深いぞ。つまりお前たちのスキルは、言葉の“形式”ではなく“中身の真実性”を判定している。……誰が?何が?どこで判定している?スキルにそんな知性があるものか。まるで——」
導師は、そこで、ぴたりと止まった。
「まるで、なんです?」
「いや。仮説を口にするのは、検証の後だ」
続いて、罵倒の“射程”測定である。
「罵倒の距離と効果の関係を測る。二人、離れろ。十歩。……罵倒、開始」
「沙耶ー!!お前の眼鏡は伊達だぞー!!」
「あんたの前髪も無駄よー!!」
「発動。……二十歩」
「さやー!!めがねー!!」
「まえがみー!!」
「発動。……五十歩」
「さ゛や゛ー!!」
「き゛ーご゛ー!!」
「……もう罵倒の原形を留めておらんが、発動しておる。興味深い。内容ではなく“意図”で判定しておるな」
「導師、こっちのスキルの仕様が解剖されていく……」
次は、ひなたの番だった。魔力測定の水晶(特注・最大級)に手を置く。
水晶は、三秒で沈黙した。
「……第三研究室の最終兵器が、三秒か」
「ん。ごめんなさい」
「謝るな。素晴らしい。して、娘。お前の“器”は、いつからそうだ?生まれつきか?」
「んー。……わかんない。でも、かみさまが、“うつわが、きかくがい”って」
「神様が」
「ん。てちょうを、みながら」
「「「「(おい、ひなた、それは)」」」」
セヴラン導師は、しばらく黙って、それから、ぽつりと言った。
「……お前たちのような手合いは、たまに“神に会った”と言う。学界はそれを妄言と呼ぶ。……わしは、呼ばん。妄言にしては、お前たちの“測れなさ”は、系統立ちすぎている」
飢えた目が、すっ、と細くなった。
「四人全員が、揃って測定不能。加護は四つとも、規格の外。……偶然に四つは、重ならん。お前たちは“設計”されている。誰かに。何かの目的で。——違うか?」
地下室が、静かになった。
俺たちは、顔を見合わせた。設計。心当たりは、ある。あの白い空間の、雑で生真面目な事務員に。だが、口には出さなかった。
「……さあ?俺たちはただの、フォルテの野良ですよ」
「ふん。……時に、そこの、隅のフード」
導師の飢えた目が、不意に、見学席のヴィクへ向いた。
「お前……常時、何か“纏って”おるな?朝からずっと、壁際の計器が、お前にだけ小さく鳴いておる」
「うっ。た、旅の護符だ。古いやつで、その、効きっぱなしの」
「ほう。護符、な。……ずいぶんと上等な“護符”もあったものだ」
導師は、それ以上追わなかった。追わなかったが、手元の帳面に、何かを一行、書き付けた。ヴィクのフードの奥から、冷や汗の気配がした。
「まあいい。今日はここまでだ。謝礼は受付で受け取れ」
導師は、あっさりと引いた。引いて、机の書類に戻り、顔を上げずに、付け足した。
「ひとつ、忠告だ。野良ども」
「はい?」
「“測れないもの”はな、二種類いる。ものさしより大きいものと、ものさしの“外”から来たものだ。わしは五十年かけて、後者の記録を三件だけ見つけた。三件とも、古い古い、北の記録だ」
「北……」
「お前たちが、どちらなのかは知らん。だが、お前たちのような“外れ値”が動くとき、世界の縁も、動く。……せいぜい、気をつけることだ」
なお、退出間際、ひなたが導師の机に、包みをひとつ、置いた。
「ん。さしいれ。けんきゅう、がんばって」
「?……なんだ、これは」
「おやつ。あさごはん、わすれるひとは、つくえに、おやつを、おいておくと、しぬのを、ふせげる」
「死ぬのを防ぐ……ふ、ふん。子供扱いを……」
導師はぶつくさ言いながら、包みを、机の一番いい場所に置いた。後日談だが、以後、我が家に届く導師の手紙には、毎回「例の菓子の店の名を教えよ」と追伸が付くことになる。餌付けは、七十九歳にも効く。
——帰り道、謝礼の銀貨3枚を分けながら、俺たちは無言だった。
口を開いたのは、ずっと黙って検証を見学していた、ヴィクだった。
「……あの爺さん、危険だぞ」
「悪い人間には、視えなかったが」
「悪くないから、危険なんだ。あの手の“知りたいだけ”の人間は、止まらない。……それに」
ヴィクは、フードの奥で、声を落とした。
「“北の記録、三件”。……あれが何のことか、僕は、たぶん知ってる。あの爺さんは、僕の探し物の、すぐ隣を掘ってる」
「……ほう?」
「隣を掘ってる奴は、いつか、僕の穴に落ちてくる。監視対象が、増えた」
俺たちの眷属の帳簿に、七十九歳の研究狂が追加された。王都の面倒は、どうやら味方でも敵でもない顔でやってくる。
「ま、考えても仕方ない。飯にするか。市場区の食堂街、まだ行ってないだろ」
「ん!!」
「返事が今日一番いいんだよなあ」
夕暮れの王都を、五人で市場区へ歩く。明日は沙耶の待ちに待った、大書庫の日である。




