第50話 王都、でかい
それは、丘をひとつ越えた瞬間に、視界の全部を持っていった。
「「「「「でっっっか」」」」」
王都ヴェルナ。
白い城壁が、地平の端から端まで走っている。壁の向こうには家々の屋根が海みたいに広がり、その中心に、天を突く大聖堂の尖塔と、白亜の王城。フォルテの街が、まるごと十個は入りそうな威容だった。
「これが、王都……大陸の中心……!」
「城壁の石材だけで、いくらするんだ、あれ」
「感想が石材からなのね、あんたは」
「たてもの、より、ひとの、におい。ごはんやさんが、いっぱいある、におい」
「嗅覚の縮尺も王都級だな」
そして、俺たちの監視者は、幌の陰から、じっ、と尖塔を見ていた。
大聖堂。サンサーラ教の、本山。大陸でいちばん、あいつに息のしにくい街の、心臓部である。
「……ヴィク。フードの紐、緩んでるぞ」
「っ……あ、ああ」
「予定通りだ。検問は正門を避けて、商人用の東門から入る。おばちゃんの口利きでな」
入都前、馬車の中で、身だしなみ検査が行われた。検査官は、例によって経理である。
「王都は第一印象が大事よ。圭吾、風呂敷の“特売”が表に出てる。畳み直し」
「聖別された面を表に、だな」
「どっちも風呂敷よ。隼人、その懐の空袋、三枚の約束が五枚になってない?」
「気のせいだって」
「二枚没収。ひなた、口の端に朝ごはん」
「ん」
「ヴィクは……ええ、完璧。さすがね」
「た、旅の身だしなみは、基本だからな」
「私たちの新入りが一番ちゃんとしてるの、先輩として複雑だわ」
東門の検問は、商人のおばちゃんの顔パスと、金の封蝋の書状で、あっさり抜けた。
そして、門をくぐった俺たちを、王都の雑踏が呑み込んだ。
すごい人だった。石畳の大通りに、人、人、人。荷馬車と呼び込みと巡礼と役人と冒険者。フォルテの祭りの日の三倍の密度が、こちらでは「平日」らしい。
「は、はぐれるなよ、お前ら!特にひなた!食い物の匂いに釣られて消えるな!」
「ん(もう半分消えかけている)」
「ヴィクは俺の後ろ!壁の陣形だ!」
宣言通り、俺たちはヴィクを真ん中に、四人で緩い壁を作って歩いた。人混みは苦手だといううちの眷属は、最初こそ強張っていたが、四方を見慣れた背中に囲まれているうち、少しずつ、肩から力が抜けていった。
「(……悪くない。この壁)」
「(だろう)」
「(聞こえてたのか。く、口に出てたのか、今の)」
「(出てた)」
「(忘れろ!!)」
——ギルド総本部は、学問区の入り口に建つ、石造りの大殿堂だった。
フォルテ支部が丸ごと吹き抜けに入る広さ。受付が二十窓。行き交う冒険者の平均装備が、明らかに、いい。
その受付の前で、見覚えのある銀縁眼鏡が、書類の山を抱えて立っていた。
「お待ちしていました、《腐れ縁》。予定より半日早い到着ですね。記録します」
「ロズリンさん!お久しぶりです」
「監査官さん、出迎えとは。わざわざ?」
「私が皆さんの“担当”にされたんです。……あの報告書を書いた者が責任を持て、と上が」
挨拶の礼儀として、俺は、監査官さんを一拍、拝見した。
几帳面。睡眠不足。書類だこ。そして、下着の色は——漆黒。
「(————同志ィィィ!!)」
「(急に片膝をつくな!!何があったのよ!!)」
「(この御方は……この御方は、俺と同じ夜の側の住人だ!!事務の鬼の芯は、漆黒であった!!)」
「(理由は知らないけど、絶対ろくでもないから墓まで持っていきなさい)」
俺の中で、ロズリンさんへの敬意が三割増した。理由は、墓まで言わない。
ロズリンさんは、眼鏡を押し上げて、遠い目をした。
「正直に言います。私がフォルテから戻ってから今日までの一か月、私は総本部中から質問攻めでした。“パンで狼というのは本当か”“罵倒で強くなるとは何だ”“備考欄が本文より長いのはなぜだ”、と」
「「「「すみませんでした」」」」
「謝罪より、明日からの検分で実物を見せてください。その方が早い。本日は宿舎に案内します。それと」
ロズリンさんの視線が、すっ、とヴィクに移った。
「“同行者一名”……ですね。書類は通っています。詮索もしません。ただし——」
「ただし?」
「王都では、フォルテと同じようには歩けません。特に、大聖堂の周辺は。……担当として、それだけは言っておきます」
ヴィクは、フードの奥で、小さく頷いた。事務の鬼は、詮索をしない代わりに、警告は正確にくれるらしい。ありがたいことである。
宿舎は、総本部の裏手の三階建てだった。
食堂付き。風呂付き(!)。個室が五つ。タダ。
「「「「文明だ!!」」」」
「はしゃがない。備品を壊したら弁償よ」
夕食も、出た。白パン(柔らかい)、肉の煮込み、温野菜、果実水。
「おかわり、いる子はいるかい?」
「ん」
「あいよ。……お、いい食べっぷりだね!もう一杯いくかい?」
「ん」
「あっはっは、いいねえ!ほら、三杯目!」
「ん」
「……あんた、その細い体のどこに入ってるんだい!?四杯目!?」
「(始まったわね、いつもの)」
「(どこの台所でも三十分で餌付け返しされるの、もはや才能よね)」
ひなたは四回おかわりして、食堂のおばちゃんに完全に気に入られ、「明日からあんたの分は大盛りにしとくよ」の言質を取った。俺たちの台所係は、どこの台所でも最強である。
——夜。
俺は、宿舎の屋上に出た。先客が、いた。もう、驚かない。
「……屋根の上は、どこの街でも落ち着くか。我が眷属よ」
「ん。……ここの屋根は、走りにくそうだけどな。人が多すぎる」
ヴィクの視線の先には、月明かりに白く浮かぶ、大聖堂の尖塔があった。
「なあ、圭吾。……明日から、お前たちは検分だろ。僕は、その間——少し、一人で動く」
「……大聖堂か」
「どうして、そう思う」
「お前がずっと、あれから目を離さんからだ。着いてから、ずっとな」
ヴィクは、しばらく黙った。それから、観念したように、息を吐いた。
「……教会の本山には、大陸中の“記録”が集まる。古い、古い記録もだ。……僕の探し物の手がかりが、あるとしたら、あそこの書庫だ。危ないのは分かってる。でも、ここまで来て、素通りはできない」
「そうか。なら、段取りの相談だな」
「え」
「一人で行かせるとは言ってない。だが、行くなとも言わん。……五人で知恵を絞れば、フード頭が本山の書庫に近づく道くらい、見つかるだろう。俺たちには書類の魔王と、変装向きの演技派と、聖職者に好かれる飯の天才がいる」
「変装向きの演技派って、誰のこと?」
「お前だ、沙耶。“商家の子女”の実績がある」
「あれ門番に三秒でバレたでしょうが!!」
いつの間にか、屋上の入り口に、全員が揃っていた。盗み聞き、ではなく、夜風に当たりに来ただけらしい。全員が。同時に。偶然。
ヴィクは、俺たちの顔を、ぐるりと見回した。
「……お前たち、本当に、聞いてから来ないよな。誘う前に、もう居る」
「腐れ縁とは、そういうものだ」
「僕は腐れ縁じゃ、ない。……ないが」
俺たちの眷属は、フードの奥で、小さく笑った。
「段取り会議、始めるぞ。夜は長い」
眼下には、眠らない王都の灯り。頭上には、フォルテと同じ星座。
前半戦の新しい舞台で、俺たちの会議は、夜半まで続いた。




