第45話 そよ風、就職する
「沙耶さーん!お約束の、練習会に来ましたー!」
朝のギルド裏訓練場に、白いローブと明るい声が現れた。《暁の誓約》の魔法担当、ミアさんである。
祝勝会の夜の「今度、魔法の練習をご一緒に」。あの社交辞令みたいな約束を、この善人は律儀に覚えていて、遠征の合間を縫って本当に来たのだった。
「ようこそミアさん。……で、圭吾。あんたはなんで居るの」
「見学だが?淑女二人の研鑽を見守るのは紳士の務めであってだな」
「「出禁です(出禁よ)」」
「両者一致!?」
俺は訓練場の柵の外に追放された。ちなみに柵の外には先客として、非番のじいさんと、暇な新人三人組が居た。見学席が地味に賑わっている。
「先輩、出禁って」
「言うな、新人。……いいか、あの二人の練習をだな、俺は“純粋な魔導的関心”で見学したかっただけなんだ。淑女の研鑽とは即ち魂の輝き、輝きとは即ち観察対象、つまりそういう理屈だ」
「(はじまった)」
「(先輩の理屈、長いっすね)」
「ちなみに賭けるか、諸君。本日の練習会で沙耶の風が“化ける”か否か。俺は化けるに銅貨5枚だ」
「乗った!」「乗ります!」
「こら、お前さんら。賭け事は感心せん。わしは“化けん”に10枚じゃ」
「じいさんが一番乗り気なんだよなあ!!」
——練習会は、真剣だった。
「では沙耶さん、まず基礎出力から!詠唱はいつも通りで!」
「ええ。風よ、集いて刃と成れ」
完璧な詠唱。完璧な発音。完璧な魔力循環(ミアさん談)。
出てきたのは、いつもの、そよ風だった。
「…………やっぱり、そよ風」
「うーん……詠唱も術式も、教本より正確なくらいなんです。なのに出力だけが通らない……こんな症例、初めてです」
「症例って言われた。私、患者なんだ」
「あっ、ご、ごめんなさい!そういう意味では!」
「いいのよ。……ふふ、慣れてるから。二属性の天才(出力零点)には」
沙耶の愚痴には、年季が入っていた。ミアさんは真剣に唸って、あれこれと処方を試した。杖を替える。詠唱を短くする。姿勢を変える。呼吸を合わせる。
結果は、そよ風。そよ風。そよ風。
「くっ……なんでよ!理論は!完璧なのに!」
「さ、沙耶さん、落ち着いて」
「これで落ち着いてられる!?私はね、前世からずっとこうなの!理屈は満点、実技は零点!頑張れば頑張るほど空回って、あーもう!世界の設計ミスでしょ、こんなの!!」
素の愚痴が、爆発した。
——その瞬間である。
ぶわり、と。
沙耶の足元から、風が渦を巻いた。砂が舞い、ミアさんのローブがはためき、柵の外の俺の風呂敷が翻った。
一瞬だけ。本当に、一瞬だけ。
「「今の」」
「え?……え?今、私、何か」
「風でした!そよ風じゃなくて、風!沙耶さん、今の、どうやって!?」
「わ、分かんないわよ!普通に愚痴ってただけなのに」
「もう一回!今の愚痴、もう一回!!」
「愚痴は注文されて出るものじゃないのよ!?」
再現は、ならなかった。姿勢を戻し、呼吸を整え、さっきの文句を一言一句なぞっても、そよ風。
ミアさんは、顎に手を当てて、長いこと考え込んだ。
「……沙耶さんの出力、たまに“いい方に”ぶれるんです。今のがそれ。条件は分からないですけど……なんというか、その」
「その?」
「——“取り繕うのをやめた瞬間”に、通ってる気がします」
「「「…………」」」
柵の外で、俺とじいさんは、そっと目を見交わした。試験の日の風。ヘクトルさんの呟き。“素が出た一瞬だけ、出力が化けた”。
……やはり、あれは偶然ではないのだ。こいつの魔力の栓は、たぶん「品行方正な自分」の演出と、同じ場所に付いている。
本人だけが、まだ気づいていない。いや、気づきたくないのかも、しれない。
「取り繕うって何よ!私は素で品行方正なの!!」
「(神様の帳簿に否定されてたな、それ)」
「(言わぬが花ですじゃ)」
——さて。練習会は出力の謎を残して終わったが、この日、もうひとつの収穫があった。
見学していたじいさんが、沙耶のそよ風を見て、ぽつりと言ったのである。
「……沙耶さんや。お前さんのそよ風、氾濫の時に“魔素の風見鶏”をやったそうですな」
「え?ええ。弱すぎて、逆に流れが読めるっていう……」
「それですじゃ」
じいさんは、ギルドの奥から、ほこりを被った古い書類を持ってきた。
「“魔素観測係”。昔はどこの支部にもあった役目ですじゃ。観測の魔道具が普及して、廃れましたがな。ところが、先の氾濫で、機械は濃い魔素で軒並み壊れた。じゃが、お前さんのそよ風は、壊れなんだ」
「機械より弱くて、機械より確かな観測手段、ってことですか」
「支部長に話は通しました。週に一度、迷宮と丘の魔素を観測して報告する。嘱託の給金は、銅貨80枚。……やりますかな?」
沙耶は、目を丸くして、それから、眼鏡の位置を、ゆっくり直した。
「……私の、そよ風が。仕事に、なるんですか」
「なりますじゃ。大陸広しといえど、“そよ風の観測官”はお前さんだけですな」
「や——」
「や?」
「やります!!やりますとも!!ふふ、ふふふ、聞いた!?私、この世界で唯一の観測官!きゃっ」
勢いよく振り向いた拍子に、机の書類の山に袖を引っかけ、盛大にぶちまけた。
「「「三百三十七件目」」」
「今のはノーカン!!就任初日はノーカンなの!!」
なお、柵の外の賭けは「化けた」判定を巡って紛糾し、じいさんが「一瞬だけでは“化けた”とは言えん」と粘り、最終的にリタさんの裁定で引き分け・全額返金となった。ギルドの賭けの裁定権は、なぜか受付にある。
「私の魔法で賭けてたの!?あんたたち!!」
「三百三十八。いや、これは俺たちの空回りか」
「そうよ!!反省しなさい!!」
「就任と同時に計上される観測官、大陸初では?」
——帰り道。夕暮れの大通りを、俺たちの新人観測官は、辞令の紙を大事そうに抱えて歩いた。
「ふふ。ふふふ。給金、銅貨80枚。串焼き二十六本」
「換算がひなたに感染ってるぞ、観測官」
「いいのよ、今日は。……ね、圭吾」
「ん?」
「私の“そよ風”、ずっと欠陥品だと思ってたけど。……使い道って、あるものね」
「ふっ。言ったろう、経理。俺たちのパーティに、無駄な欠陥はひとつもない。俺の変態も、隼人の非力も、ひなたの燃費も、お前のそよ風も、全部、使いようだ」
「あんたの変態の使い道は、まだ発見されてないけどね」
「看破と索敵!一級品だと公文書にもある!!」
「はいはい」
帰り際、ミアさんが、思い出したように振り向いた。
「そうだ!ヘクトル教官に、伝言をお願いできますか?“次の合同訓練、暁は喜んで参加します”って」
「お安い御用です。……ちなみにあの教官、伝言を渡すと“ふん”しか言いませんが、あれは喜んでる方の“ふん”なので」
「ふふ、知ってます。シリルが“教官のふんは七種類ある”って研究してました」
「あの人、そんな研究を!?」
「はい!“正しいふん分類表”、今度お持ちしますね!」
正しい男は、研究まで正しかった。俺たちにも一部、写しがほしい。
なお家に帰ると、監視長が観測日誌を差し出してきた。
「観測官への就任、祝ってやる。ついては、僕たちの定点観測の書式と、ギルドの報告書式の統一を提案する。二重記録は非効率だ」
「あら、いいわね。じゃあ月齢の欄はそっちに合わせましょう」
几帳面二人の書式会議は、夕飯を挟んで三時間続いた。俺たちの家の観測体制だけが、異世界最先端になっていく。




