第44話 覗き犯は誰だ
その報せは、朝のギルドを駆け抜けた。
「湯屋に、覗きが出た」
大通りの公衆浴場“湯屋”。その女湯で、ここ数日、視線を感じるという訴えが相次いだのだという。脱衣所の籠が荒らされ、小物が消えた日もあった。街の女性陣は怒り心頭、湯屋のあるじは涙目、憲兵は手がかりなし。
そして、ここからが本題である。
「な、なんで俺が事情聴取なんですか!?」
ギルドの応接室で、俺は憲兵二人に挟まれていた。
理由は、聞くまでもなかった。机の上に、写しが置いてある。ギルドの台帳、俺の欄。【変態紳士の加護】(正式名称・永久記載)。
「いやあ、疑いたくはないんだがね。“視線の魔の手”と聞くと、どうしても、その、記録が」
「公文書が!!公文書が俺を殺しに来た!!」
「日頃の行いと書類は、裏切らないのよねえ」
「沙耶さん、弁護側ですよね!?検察に回らないで!?」
誤解は、三十分で解けた。
訴えのあった時刻、俺には毎回、鉄壁の証明があったのである。すなわち、家族(と監視者)全員の証言付きの、夕飯と風呂と観測当番。
「……私たちの変態は、夜は家で牛乳を飲んでます。腰に手を当てて」
「そ、そうか。仲がいいんだな……」
「それに、です」
沙耶が、憲兵に向かって、きっぱりと言った。
「私たちのが覗きなんて、器用な真似、できるわけないんです。この男の変態は、“隠れられない”仕様なので」
「フォローなのか、それは!?」
だが、事実だった。俺の加護は、こそこそ見た瞬間に止まる。堂々とした変態にしか、神は力を貸さない。つまり“覗き”は、俺の流儀の対極だ。変態界における、最も唾棄すべき下の下である。
「……許せんな」
応接室を出た俺は、静かに拳を握った。
「圭吾?」
「聞け、お前ら。この事件、俺たちで解決する。覗きは、紳士の敵だ。同じ“視線”を扱う者として、あの下衆を野放しにはできん。それに」
「それに?」
「犯人が挙がらん限り、フォルテの視線への疑いは、全部俺に来る!!」
「本音が出たわね」
「両方本音だ!!」
かくして、《腐れ縁》+監視者による、覗き犯捜査が始まった。
まず、聞き込みである。湯屋の常連である、夕方の女湯を根城にする街のご婦人がた(平均年齢七十歳)に話を聞いた。
「あらまあ、圭吾ちゃんじゃないの!話は聞いたよ、疑われたんだって?可哀想にねえ!」
「ご婦人がた……!俺の無実を信じてくれるのですか」
「当たり前だよ!あんたの視線は“堂々とした変態”!こそこそ覗くタマじゃないもの!」
「信じ方に棘がある!!ありがたいが棘がある!!」
ご婦人がたの証言で、視線の時刻はいつも夕方過ぎ、方角は物置側と判明した。シニア情報網、恐るべし。なお同じ質問を若い女性客にしようとした瞬間、俺は沙耶とヴィクに両襟を確保された。聞き込みにも、管轄がある。
次に、現場検証である。湯屋のあるじに頼み込み、営業前の女湯を検分した。
「脱衣所の窓は高さ二階相当。塀の外は路地。……人が覗くには、梯子か、屋根が要るわね」
「ん。あしあと、ある」
ひなたが指したのは、塀の上の瓦だった。小さな、四つ足の跡。点々と、屋根伝いに続いている。
「四つ足。小型。……人間じゃ、ないな」
「俺の出番じゃなさそうで、心底ほっとしたよ」
「隼人、あんたも容疑者リストには載ってたのよ、一応」
「なんでだよ!?」
「日頃の行い」
跡を視る。加護が、匂いの残滓を拾う。獣。小型。夜行性。そして、微かに、石鹸の匂い。
「石鹸の匂いを付けた獣……つまり犯人は、湯屋に出入りしてる。堂々とな」
「住み着いてるってこと?」
「夜を待つぞ。張り込みだ」
「ん。はりこみ、とくい」
「お前の得意は張り込み後の夜食だろ」
——夜。湯屋の屋根の上。
月明かりの下、俺たちは瓦に張り付いていた。眼下は女湯の脱衣所の窓。ではなく、その手前の物置の屋根である。念のため言っておくが、視線は全員、路地側に固定してある。紳士の張り込みは、角度が命だ。
「(……来た)」
ひなたが、囁いた。
路地の暗がりから、するり、と影が現れた。猫より大きく、犬より低い。長い尻尾。艶のある毛皮。前脚で器用に雨樋を掴み、するすると塀を登っていく。
「(視た。“カワネズミ”の亜種、いや……“湯守イタチ”ね。加護が降りたわ。温泉地に棲む魔獣。湯気と石鹸の匂いを好んで、温かい場所に巣を作る。そして、ね)」
「(そして?)」
「(——“光り物を集める習性”)」
「(籠の小物泥棒、確定だな)」
イタチは、慣れた足取りで脱衣所の窓枠に乗り、中を、覗き込んだ。誰もいない夜の脱衣所を、物欲しそうに。
「(いたぞ。“視線の魔の手”の正体だ)」
「(あれが毎晩ああやって覗くから、営業中も“視線を感じた”わけね)」
「(ちなみに大将、あれって売ったらいくら——)」
「(魔獣の密猟は犯罪よ)」
「(だよなあ)」
「(確保する?隼人、いける?)」
「(イタチなあ……毛は生えてるから、俺の管轄だけど……すばしっこいぞ、あの手の獣は)」
「(策がある。ひなた、あれを)」
俺の合図で、ひなたが袋から取り出したのは、冷蔵庫で冷やした燻製の切れ端だった。宿場町土産の、川魚の燻製である。
物置の屋根に、ぽとり、と置く。
イタチの鼻が、ぴくりと動いた。窓枠から、するする、と降りてくる。匂いに誘われ、燻製に前脚を伸ばした。
ぱさり。
上から被せた俺の風呂敷マントが、イタチを包み込んだ。
「確保ォ!!」
「出た!!風呂敷の正しい使い方!!」
「マントだ!!聖別されたマントの、緊急運用だ!!」
——翌朝。ギルドに、珍妙な報告が上がった。
『湯屋の覗き事件、解決。犯人、湯守イタチ一匹(小物の隠し場所も発見・全品返却)。逮捕術、風呂敷』
憲兵は笑い、湯屋のあるじは泣いて喜び、リタさんは備考欄に何かを書き足した。もう聞かないことにした。
「それで、この子はどうするの?」
沙耶の腕の中で、イタチは燻製を齧っていた。籠の中の小物は、物置の巣から全部出てきた。悪意はない。ただ、温かくて、いい匂いで、きらきらした場所が好きだっただけの獣である。
「飼うのは無しだぞ。我が家は、ペット禁止の家訓——」
「ん。だいじょうぶ」
ひなたが、イタチを抱き上げて、湯屋のあるじに、ずい、と差し出した。
「このこ、おふろのばんにん、むいてる。ねずみ、とるし。ひとの覗きも、みはれるし」
「……お、おう?」
「やとって、あげて。きゅうりょうは、おさかな」
湯守イタチは、その日から湯屋の“番人”として正式雇用された。
首に小さな鑑札を下げ、営業中は入り口の看板の上が定位置である。以来、湯屋の覗きはゼロ、ネズミもゼロ、客足は「番人イタチを見に来る子供」で微増したという。俺たちの台所係は、就職の斡旋までするのである。
「一件落着、と。……ちなみに圭吾。あんたの容疑も晴れたわよ、完全に」
「当然だ。……だが沙耶よ、俺は今回の件で、深く学んだ」
「何を」
「公文書は、一生ついてくる」
「二か月前から分かってたことでしょ、それ」
——なお、後日談がひとつ。
湯屋のあるじから、礼として「家族湯・無料券(五名様)」が贈られた。家に風呂があるので使い道に困ったが、ヴィクが無言で券を三回見たので、貸し切りの壺湯付きであることを確認して、監視長の給金日の楽しみに取っておくことになった。
覗きのいない湯は、今日も平和である。




