第43話 北の風は冷たい
「よう!Dランク様のご一行!また頼むよ!」
ギルドの受付前で、陽気な声が飛んできた。振り向けば、見覚えのある行商のおっちゃんが、依頼票をひらひらと振っている。東の宿場町までの護衛。二度目のご指名である。
「おっちゃん!息災でしたか」
「おかげさんでな。……ん?おや、一人増えてないかい」
おっちゃんの視線が、俺の後ろの小柄なフードで止まった。
「俺の眷属です」
「監視者だ」
「押しかけ女房かい」
「違う!!なんで初対面でも既視感のある間違われ方をするんだ、僕は!!」
御者台のおっちゃんと荷台の俺たちで、馬車は東へ出発した。ヴィクにとっては、初めての「仕事としての」護衛である。本人はフードの下で、やたらと真剣だった。
「……護衛の作法を確認する。隊列は?警戒範囲は?交戦規定は?」
「俺たちの規定はひとつだ。“大抵はパンと隼人で終わる”」
「規定が雑!!」
「あとは、おっちゃんの土産話を聞く。これが護衛の本業だ」
「絶対に違うだろ」
「あとは荷台で揺られて、景色を見て、うとうとする。以上が護衛だ」
「お前たちの職業観はどうなってるんだ。……僕は真面目にやるからな。全周警戒、交代なし」
「新人がいちばん張り切るのも、様式美ではあるな」
だが、道中の空気は、前回と少し違っていた。
すれ違う隊商の数が、目に見えて少ない。街道の茶屋で休憩した時、おっちゃんは同業者と二言三言交わして、渋い顔で戻ってきた。
「……参ったね。北回りの連中、また減ったとさ」
「北回り。……前に言ってた、山向こうと細々やってた人たちですか」
「ああ。今年はもう“ゼロ”だと。山裾の村まで行っても、商売にならんらしい。物が集まらん、人が出てこん。……それどころか、だ」
おっちゃんは、声を落とした。
「北の山裾の連中が、ぽつぽつ南に降りてきてるって話だ。畑を捨ててな。理由を聞いても、はっきりしねえ。“なんとなく、居られなくなった”……そんな言い方をするんだと」
「なんとなく、居られなくなった」
「変な話だろ?魔物が出たとか、飢饉だとか、そういうんじゃねえんだ。ただ、なんとなく。……気味が悪いやね」
「「「「…………」」」」
俺たちは、目配せをした。またこの手の「ちょっとした変」である。
ちなみにこの茶屋、名物は串団子だった。ひなたが二本(予算内)を幸せそうに平らげる横で、ヴィクが団子の皿を、見ていないふりをして三回見た。
「……食うか?眷属」
「た、食べない。仕事中だ。護衛は間食をしない」
「真面目か」
魔物の生息域のずれ。季節外れの木の実。そして、理由のない、人の移動。
ちらりと見ると、ヴィクはフードの奥で、じっと黙っていた。膝の上の拳が、白くなるほど握られていた。
「……ヴィク?」
「なんでもない。警戒に戻る」
嘘の下手な眷属である。だが、詮索はしない主義なので、俺は水筒を押し付けるだけにした。
——ウルフが出たのは、昼過ぎだった。
林の際から三頭。前回とまったく同じ構図である。荷台のひなたが黒パンを構え、隼人が剣の柄に手をかけた。
「待った。僕がやる」
ヴィクが、荷台から音もなく飛び降りた。
「か、監視長?相手は三頭だぞ」
「護衛は初仕事だ。給金のぶんは働く。……見てろ」
ヴィクは、街道の真ん中に、すっ、と立った。腰の短剣は、抜かない。代わりに、フードの奥からウルフたちを、静かに見た。
それだけだった。
先頭のウルフが、ぴたりと止まった。耳が伏せられる。二頭目が後ずさる。三頭目はもう、尻尾を巻いていた。数秒の睨み合いの後、三頭は揃って林の奥へ逃げ去った。
「「「「…………」」」」
「終わった。……なんだ、その顔は」
「いや、その、何をしたのかなって」
「“格”の差を教えただけだ。獣は、勝てない相手が分かる。……戦うだけが護衛じゃない」
「ひなたのスライム避けと同じ原理か?」
「ん。なかま」
「一緒にするな!?」
御者台のおっちゃんは、口をあんぐり開けていた。
「……あんたら、ほんとに何なんだい。パンで狼を落とすわ、睨んで狼を帰すわ」
「「「「《腐れ縁》の通常営業です」」」」
「監視者を“腐れ縁”に数えるな!」
宿場町に着くと、前回と同じ宿だった。
そして、前回と同じ看板娘さんが、酌に来てくれた。
俺は、姿勢を正した。前回は「その髪留めの職人の腕、実に」まで言ったところで沙耶に回収された、あの決着をつける時が来たのである。
「ご息女。ひと月ぶりにお目にかかる。その髪留め——」
言い終わる前に、襟首が確保された。ただし、いつもの手ではなかった。小さくて、握力の強い手だった。
「監視対象の風紀は、僕が管理する。座れ」
「ヴィク!?お前、いつの間に沙耶の技を!?」
「同居して学んだ。お前は襟首を掴めば止まる、と」
「あら、優秀ね。じゃあ今後、圭吾の風紀はヴィクの管轄で」
「引き継ぎするな!!俺の風紀を役職にするな!!」
看板娘さんは、きょとんとしてから、ころころ笑った。「仲良しなんですねえ」。違う。これは管理体制の話だ。
——荷下ろしを済ませた夕方。
俺は、宿の裏手で、一人で北の空を見ているヴィクを見つけた。夕焼けの向こう、山脈の稜線が黒く沈んでいる。
「……また、考え事か、我が眷属よ」
「圭吾か」
ヴィクは、振り向かなかった。北の空を見たまま、ぽつりと言った。
「“なんとなく、居られなくなった”……昼間の、あの話」
「ああ」
「……あれは、たぶん、嘘じゃない。本当に“なんとなく”なんだ。理由が、本人にも分からない。……そういう離れ方を、僕は、知ってる」
俺は、何も言わなかった。
「土地と人の縁が、細くなると、ああなる。誰も悪くないのに、誰も居着けなくなる。……昔、そういう場所を、見たことがある」
夕焼けが、フードの縁を赤く染めていた。その横顔に、また、遠い場所の色が乗っている。故郷。ばあや。そして、たぶん、父。
「なあ、ヴィク。ひとつ聞いていいか」
「……内容による」
「お前の探し物は——北にあるのか」
長い、沈黙があった。
やがてヴィクは、フードを目深に直して、俺の横をすり抜けた。
「夕飯、先に食うぞ。今日の宿は、川魚らしい」
「答えになってないぞ、我が眷属」
「聞こえない。腹が減った」
……まあ、いい。答えは急がない。あいつの足が毎晩家に帰ってくる限り、聞く機会は、いくらでもある。
ただ。
宿の夕飯の席で、ひなたが川魚の塩焼きを二本(予算内)平らげるのを眺めながら、俺は考えていた。
北の隊商、ゼロ。山裾の村から、南へ降りる人々。「なんとなく、居られなくなった」。
世の中の底のざわざわは——どうやら、北から来ている。
そして、俺たちの眷属の探し物も、たぶん、同じ方角にある。
「けーご。かんがえごとの、かお」
「おっと」
「はい、あーん」
「自分で食べられるが!?」
塩焼きの尻尾を口に突っ込まれて、思考は中断された。まあ、いい。謎は逃げない。魚は冷める。
——翌朝。帰りの馬車の荷台で、ひなたが宿の土産(川魚の燻製)を抱え、沙耶が帳面を締め、隼人が「燻製って王都で売ったらいくらかな」と呟いて沙耶にはたかれた。
ヴィクは、荷台の一番後ろで、遠ざかる北の山脈を、ずっと見ていた。
「我が眷属よ。護衛の初仕事、上がりだぞ」
「……ん。ああ」
「給金、出たら何に使うんだ」
ヴィクは、少し考えて、ぽつりと言った。
「甘いの」
「だと思った」
「べ、別にいいだろ!!労働の対価だ!!」
フォルテの城壁が見えてくる頃には、俺たちの眷属はいつもの生意気に戻っていた。それでいい。北の話は、逃げない。
俺たちの家は、今日も西区画で待っている。




