第39話 家出、ではないが
「完成だ!!出来たぞ、お前さんら!!風呂だ!!」
ブロム棟梁の宣言が、我が家に響き渡った。
工事、五日間。増築された浴室は、石造りの床に、どんと据えられた特大の樽(シリルさんの祝いの最高級風呂桶である)、湯沸かしの魔道具、そして沙耶が黙って発注した防音壁(隼人対策・本人は何も言っていない)を備えていた。
「「「「おおおおお……!!」」」」
「見ろ、この湯気!!家で!!湯が!!沸くんだぞ!!」
「文明……これが文明よ……!!」
「ん。おふろのあとの、つめたいぎゅうにゅう(市場で調達済み)」
「監視者よ!!出資者として、一番風呂の権利を行使されよ!!」
「ふ、ふん。当然の権利だ。……い、一時間、誰も近づくな」
かくして、我が家に風呂が来た。俺たちの歴史に刻まれる記念日である。
——そして、その夜から、順番戦争が始まった。
「議題。入浴の順番について。……誰かさんが二時間出てこなかった件を受けて」
「ヴィクを見るな。べ、別に、長風呂じゃない。長めの、その、思索だ」
「思索で指がふやけるのね」
「一番風呂はヴィクの権利(週二回)として、問題は残りよ。ひなたは烏の行水で問題なし。私も普通。問題は、男子二名」
「俺は普通だろ」
「隼人。あなた、脱衣所の棚の“配置”をやたら几帳面に直すのは何?」
「収納の最適化だよ」
「あんたの最適化、全部怪しいのよ」
「そして圭吾。あなたが一番の問題です」
「なぜだ。俺の入浴は完璧だが」
「浴室から詠唱が聞こえるのよ!!“漆黒の湯よ、我が身を清めよ”とか!!湯気の向こうから!!」
「入浴の儀は魂の清めの儀式!!詠唱は不可欠だが!?」
「却下!!黙って入りなさい!!」
さて。風呂が来て、生活の型が定まってくると、逆に、見えてくるものがある。
その夜、俺は気づいてしまった。
深夜。廊下の軋む音。階段を降りる、猫みたいに軽い足音。玄関の閂が、そっと外される音。
……ヴィクが、夜中に、家を抜け出している。
「(おい。起きろ、お前ら)」
「(んあ……?何よ、こんな時間に……)」
「(ヴィクが出てった。ここ三日、毎晩だ)」
「(毎晩!?……え、何。それってまさか)」
「(家出か?家出なのか?)」
「(それとも、その、あれかしら。私たちに言えない、何かの連絡とか……)」
「(おい、待て。俺たちの監視者が、実は何かを“監視されてる”側だったら、どうする)」
「(縁起でもないこと言わないでよ)」
「(ん…………さがす)」
寝ぼけたひなたまで起きてきて、緊急会議の結論は、満場一致だった。
——尾行である。
「言っておくが、詮索ではないぞ。これは“監視者の監視”……つまり、相互監視だ。健全な同居関係の基本だ」
「屁理屈の風呂敷が今日も大きいわね」
「あと、単純に心配なのよね、と素直に言いなさいよ」
「それは、その、あれだ。言わぬが花だ」
深夜のフォルテを、俺たちは尾行した。
俺たちの尾行は、壊滅的に下手だった。
「(圭吾、マントが月光で反射してる)」
「(隼人、お前は気配は消せてるのに、さっきから商店の戸締まりを目測するな)」
「(職業病だよ)」
「(病気の職業が違うのよ)」
「(ん。……まって。ヴィク、とまった)」
前方、月明かりの路地の真ん中で、小柄な影が、ぴたりと立ち止まっていた。
そして、振り返らないまま、はっきりと言った。
「四人とも。いつまでついて来るんだ」
「「「「…………」」」」
「気配の消し方が全員ばらばらで、逆に目立つんだ。……はあ。出てこい」
ばれていた。開始三分でばれていた。俺たちは、路地の陰から、ぞろぞろと出た。
「い、いやあ、奇遇だな、夜の散歩か?俺たちもなんだ」
「四人揃って寝間着でか」
「……で、ヴィク。あなたこそ、毎晩どこへ?」
ヴィクは、しばらく黙って俺たちを睨み、それから、諦めたように、息を吐いた。
「…………ついて来い。見せた方が早い」
——連れて行かれたのは、街の西の、例の丘だった。
迷宮の入り口を見下ろす、丘の中腹。夜風の吹く岩の上に、ヴィクは腰を下ろした。
「……ここで、毎晩、あれを見てるんだ」
指差す先、迷宮の“穴”から、うっすらと、魔素の靄が夜空に立ち上っていた。月明かりに透けるそれは、氾濫の時の禍々しさはなく、蛍火みたいに淡い。
「淀みは、祓われた。お前たちが芯を砕いたから。……でも、僕は確かめ続けなきゃいけない。“戻ってこないか”を。……岩場の、あの小さい淀みを見ただろ。ああいうのが、また育たないか」
「……それを、毎晩、一人で」
「監視者だからな、僕は」
こともなげに言って、ヴィクは膝を抱えた。
夜風が、フードの端を揺らす。小さな背中だった。この背中は、たぶん、ずっとこうやって、どこかの何かを、一人で見張って、一人で確かめて、旅をしてきたのだ。
「「「「…………」」」」
俺たちは、顔を見合わせた。それから、誰からともなく、ヴィクの岩の周りに、ぞろぞろと座り込んだ。
「な、なんだ。帰れよ。監視は一人で足りる」
「まあ、そう言うな。沙耶、あれを」
「はい。夜食の芋餅。ひなた印よ」
「よもぎ入りが、おすすめ」
「聞け!!帰れって言って——……よもぎ、入り?」
「あと、これは提案なんだがな、我が眷属よ」
俺は、夜空の靄を見ながら言った。
「監視の“当番制”を導入しないか」
「……当番?」
「毎晩見張るのが仕事なら、五人で回せば、一人あたり五日に一晩だ。お前の睡眠時間は五倍になる。長風呂の思索の時間も増えるぞ」
「なッ……お、お前たちに、僕の監視を任せる理由が——」
「あるだろ。俺の眼は、遠目の異常なら誰より早く視える。ひなたのセンサーは“まずいもの”に大陸一敏感。沙耶は記録の鬼で、隼人は……まあ、夜更かしが得意だ」
「雑な人選になった奴が一名いるな」
「い、いや、しかし、これは僕の……僕が、やらなきゃいけないことで……」
ヴィクの反論は、だんだん小さくなった。芋餅(よもぎ入り)を齧りながらだったせいもある。
「……分かった。当番制、採用してやる。ただし!異常があったら、必ず、真っ先に僕に報告しろ。いいな!」
「はいはい、監視長」
「か、監視長……ふ、ふん。悪くない響きだ」
ちょろかった。役職に弱いのである、俺たちの監視者は。
「ちなみに監視長。当番の引き継ぎには、業務日誌が要るぞ。“異常なし”の四文字でも、記録は記録だ」
「ぎょ、業務日誌……ふ、ふん。いいだろう。書式は僕が決める」
翌日、ヴィクの決めた書式は、異常の有無・靄の高さ・風向き・月齢まで記録する本格仕様で、俺たちの経理を唸らせた。几帳面なのである、俺たちの監視長は。
帰り道。先を歩く沙耶とひなたとヴィク(芋餅の追加を交渉中)の背中を見ながら、隼人がぽつりと言った。
「なあ。あいつさ、結局、何を探してんだろうな」
「さあな。……ただ、あいつの“確かめなきゃいけないこと”は、たぶん、俺たちが思ってるより、ずっと重い」
「……らしくねえな、お前が踏み込まないの」
「踏み込む必要がないんでな。あいつ、毎晩ちゃんと、家に帰ってくるし」
「……ま、そうだな」
家出ではないのだ。あいつは毎晩、見張りに出て、そして毎晩、あの家に帰ってくる。今のところ、それで十分である。
——翌朝。
寝不足の五人が朝食の席で舟を漕いでいると、玄関が、どんどん、と叩かれた。
リタさんだった。息を切らせて、手に一通の、豪奢な封筒を持っている。
「皆さん!!大変です!!」
「どうしたんです、朝から」
「王都から、ギルド本部から、お客様が来ます!!《腐れ縁》を、名指しで!!」
封筒の封蝋には、見たこともない、いかめしい紋章が捺されていた。
「「「「…………」」」」
「なあ。これ、褒められるやつ?怒られるやつ?」
「今回ばかりは、読めないわね……」
嫌な予感と、面白い予感が、半々だった。




