第36話 加護、仕事しすぎ
翌朝。コルン村の北の丘を、俺たちは登っていた。
目的は、ちょっとした確認である。ネズミの群れが追われた元の住処。季節外れに木の実が落ちる雑木林。……何かが、変だ。その“何か”を、ひと目だけ見ておきたい。
「言っとくけど、深追いはなしよ。見て、記録して、帰る。ギルドに報告するのは、それからです」
「分かっている。今日の俺たちは“調査”だ。静かに、堅実に、目立たず——」
「その方針、三日で使い切った前科があるの、覚えてる?」
「今回は大丈夫だ。多分」
「多分、が付いたわね今」
ヴィクも、当然のようについてきていた。むしろ今日は、いつになく真剣な顔で、先頭近くを歩いている。昨日の「木の実が季節外れに落ちる」の話を聞いてから、ずっとこの調子である。
「……時に我が眷属よ。何か心当たりがあるな?」
「はあ……もう訂正しないぞ。……ないと言えば、嘘になる。あると言うには、まだ早い。だから、確かめる」
「相変わらず、言葉に迷いのない奴め」
丘を越えると、雑木林が広がっていた。
なるほど、確かに変だった。足元に、青いままの木の実がぼとぼとと落ちている。葉の色も、どこか薄い。森全体が、少しだけ“疲れて”見えた。
「……病気、かしら。木の」
「一本ならな。だが、視ろ。いや、見ろ。林の奥ほど、ひどくなってる」
と、その時だった。
先頭のひなたが、ぴたり、と足を止めた。
「ん」
「……おい。その“ん”は、どっちの“ん”だ」
「すっごく“まずそうなの”が、ちかくにある」
「「「「…………」」」」
出た。俺たちの探知係の、拒否反応センサーである。前回この反応が出たのは、迷宮の最下層、変質した主の時だ。
「方角は」
「あっち。……いわばのほう」
「距離は」
「……ちかい」
俺たちは、無言で目配せをした。深追いはなし。見て、記録して、帰る。その方針を、全員がもう一度、胸に刻んだ。
刻んだ、はずだった。
「……ちょっとだけ、見に行かね?」
「隼人、お前ってやつは!!」
「だってよ、ここまで来て“まずそうの正体不明”って報告書、リタさんに出せる?“なんで確かめなかったんですか”って言われるだろ」
「ぐ……仕事を盾にしやがった」
「一理あるのが、悔しいわね……偵察だけよ。戦闘はなし」
——岩場は、雑木林を抜けた先にあった。
灰色の岩が積み重なった、小さな谷。その中腹に、ぽっかりと、黒い穴が開いていた。獣の巣穴にしては大きく、洞窟にしては新しい。掘りたての土が、入り口に山になっている。
「……巣穴、ね。それも、大物の」
「ネズミたちの元の住処は、この谷のはずだ。つまり、先住民を追い出した“何か”が、今、あの穴の中にいる」
俺は、穴を正面から視た。
生体反応: 一。大型。深度: 深い。状態: 睡眠中。
「一匹。でかい。寝てる」
「寝てるうちに、そーっと帰りましょ。報告はこれで十分」
「ん。……あ」
ひなたが、鼻先を上げた。加護が、何かを捉えた顔だった。
「どうした」
「あなのおく。まずそうなのの“おく”に、なんか、すっごく“おいしそうなの”も、ある」
「「「「…………は?」」」」
「まずそうなのと、おいしそうなのが、いっしょにある。……へんなの。こんなの、はじめて」
探知係の報告が、初めて矛盾した。まずいのと、うまいのが、同じ穴にいる。
「……なあ、それってつまり」
「考えられるのは、“うまいものを、まずいものが抱え込んでる”ってことよね」
「宝を抱えた、まずい大物。……おい、それはもう、あれだろ。物語で言うところの」
その瞬間である。
ずずん、と。穴の奥から、地響きがした。
生体反応: 覚醒。
「「「「起きた」」」」
「なんで!?静かにしてたわよ私たち!?」
「違う、匂いだ!風向きが変わった!俺たちの、というか、たぶん“弁当の芋”の匂いが、穴に流れ込んで」
ずどん!!と、入り口の土山が、内側から弾け飛んだ。
穴から躍り出たのは、毛のない、灰色の、巨大な獣だった。体は熊ほど。前脚は岩を砕くシャベルのようで、鼻先が異様に長く、そして目が、白く濁って退化している。
「モグラ!?モグラのでかいやつ!?」
「土竜獣ね!加護が降りた!深い岩場に棲む、目の見えない大食らい!音と匂いで狩りをする!普段は温厚だけど、縄張りでは凶暴、って、思いっきり縄張りだわ、ここ!!」
土竜獣の長い鼻が、ひくひくと動き、俺たちの方角で、ぴたりと止まった。
正確には、俺たちの持つ、弁当袋の方角で。
「……なあ。あいつの狙い、俺たちか?それとも」
「おべんとう」
「だよなあ!!」
土竜獣が、咆えた。そして、シャベルの前脚で地面をかき、猛然と突進してきた。目が見えないくせに、迷いのない直進だった。芋の匂いは、偉大である。
「「「「うわあああああああ!!」」」」
「散れ!!いや待て、散るな!!弁当を持ってる奴に集中する!!弁当は誰だ!!」
「ひなたよ!!」
「あたし」
「よりにもよって一番渡したがらない奴ゥゥ!!」
逃走が、始まった。先頭はひなた(弁当持ち)、追うは土竜獣、その脇を並走する俺たち三人+ヴィク。
「ひなた!!弁当を捨てろ!!命あっての物種だ!!」
「……やだ」
「やだじゃないんだよ!!」
「おべんとうは、なかま」
「仲間の定義がおかしい!!」
「なあ、これ、デジャヴなんだけど!!センサーに釣られて奥に行って、大物に追いかけられて!!ボアの主と、まるっきり同じ流れ!!」
「二回目だぞ、この流れ!!俺たちの探知はなんで毎回、巣に直行するんだ!!ひ゛な゛た゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!!!」
「……あたしの加護は、しごとを、しただけ」
「仕事しすぎなんだよ!!」
「圭吾!!岩場に追い込まれる!!このままだと行き止まりよ!!」
見れば、逃走ルートの先は、岩壁に挟まれた狭い谷だった。まずい。追い詰められる。
いや。
「待て。逆だ。これは“追い込まれてる”んじゃない」
俺は、走りながら、周囲の岩の形を視た。奇妙な既視感。狭まる谷。反響する足音。この地形、どこかで見た。
「思い出した!!ここ、ボアの主の時と同じだ!!“巨体は急に曲がれない”!!」
「あ!!」
「沙耶!!あの時の倒木作戦!!岩場でもいけるか!!」
沙耶の目の焦点が、ふっ、と溶けた。
「降りた!!いける!!谷の入り口、右の岩が脆い!!あれを崩して脚を取れば、突進の勢いで勝手に転ぶ!!」
「脆い岩ってどれ!?見た目じゃ分から——」
「ん。あそこ」
ひなた(弁当死守中)が、走りながら黒パンを一投した。ゴッ、と命中した岩に、ぴしり、と亀裂が走る。
「見えるのかよ、脆い岩!!」
「たたいた音で、わかる。……くだものと、いっしょ」
「果物と一緒にするな!!」
「隼人!!仕上げはお前だ!!亀裂に一撃!!」
「はいよォ!!」
エースの剣が、亀裂に吸い込まれた。岩が崩れ、突進してきた土竜獣の前脚が、崩れた岩塊に、ずぼりと取られた。
世界が、傾いた。
熊ほどの巨体が、勢いそのまま、盛大に転がった。土煙。地響き。そして、きゅう、と鳴いて、土竜獣は目を回した。
「「「「勝っ……た?」」」」
「まだよ!!気絶してるだけ!!ど、どうするの、これ。とどめ、刺す?」
全員が、顔を見合わせた。
目を回した土竜獣は、腹を見せて転がっていた。よく見れば、脇腹はあばらが浮いて、痩せている。
「……こいつも、腹が減ってるのか」
「元の棲み処を出て、ネズミの谷を乗っ取って、それでも足りずに、芋弁当に突っ込んできた。……何かから、押し出されてきた口ね、こいつも」
またか。ボアの主。ゴブリン。ホリネズミ。そして、こいつ。
——みんな、押し出されてきている。どこかから。何かに。
「……ねえ。あの穴の奥の“おいしそうなの”って、結局何なの?」
「確かめるしか、ないだろうな。幸い、家主は当分お休みだ」
俺たちは、気絶した土竜獣を横目に、巣穴の入り口を覗き込んだ。
暗い穴の奥から、ひやりと、覚えのある匂いの風が吹いてきた。
迷宮の底で嗅いだ、あの匂いだった。
「嘘だろ、おい」
隣で、ヴィクが、小さく息を呑むのが聞こえた。




