第34話 エース、まさかの戦意喪失
「本日の依頼はこちら。“街道南の湿地にて、マッドワームの群れを駆除”。危険度、中です」
リタさんが依頼票を差し出しながら、心なしか俺たちの顔色を窺った。
「マッドワーム。……どんな魔物です?」
「泥の中に棲む、その、大きな……ミミズ、ですね。体長は大人の背丈の二倍ほどで、群れで畑の用水路を塞いでしまうんです。動きは鈍いので、危険度は中の下。皆さんなら楽勝かと」
「ミミズ」
俺たちは、ゆっくりと、隼人を見た。
俺たちのエースは、笑顔のまま、固まっていた。
「……なあ。今、なんて言った?ミミズ?背丈の、二倍?」
「隼人さん、どうしました?」
「いや。全然。余裕。……ちなみにそれって、ぬめってたり、する?」
「泥の中ですから、それはもう、ぬるぬるかと」
「…………」
エースの笑顔から、光が消えていた。
ここで、十年来の付き合いによる補足をしよう。柴田隼人、スリル中毒、戦闘センスの塊。高いところも火事場も魔物の群れも大好物のこの男には、たった一つだけ、どうしても駄目なものがある。
——ぬめった、細長い生き物である。
前世、釣りに誘った時のことだ。こいつはルアー派を強硬に主張し、俺が餌箱を開けた瞬間、堤防から落ちた。
「大丈夫よ、隼人。あなたの加護は危険度比例。ミミズ相手でも、体はちゃんと動くわ」
「体はな。……問題は、心なんだよ」
——現場の湿地は、フォルテの南、街道から少し逸れた窪地だった。
泥と葦の原。ところどころに、太い蛇がのたくったような跡。用水路の合流点が、盛り上がった泥で完全に塞がっている。
「うわ、本当に塞がってる。これじゃ畑に水が行かないわね」
「ん。……どろのなか、いっぱい、いる」
「加護に反応が?ちなみに、あれって“おいしそう”か?」
「…………びみょう」
「微妙なんだ」
泥だまりのあちこちから、細長い頭が覗いていた。俺は、それを順に視た。
生体反応: 十二。敵意: なし。食欲: あり。
「十二匹だ。敵意はないが、食い気はある。たぶん、近づけば寄ってくるぞ」
「よし、じゃあ隼人、いつも通り——」
「よし、逃げる」
「早い!!見切りが早い!!」
エースは、すでに回れ右をしていた。沙耶が襟首を確保する。
「待ちなさい。あなた、ウルフ十五匹の群れに笑顔で突っ込んだ男でしょ」
「ウルフは毛が生えてる。あれは毛が生えてない。話が全然違う」
「基準がわからないのよ」
——とにかく、戦闘は始まった。
沙耶の采配で、まず隼人とひなたが用水路の詰まりへ接近。俺と沙耶は後方で看破と指示。ヴィク(今日も監視についてきた)は、高台の岩の上で見学である。
隼人が、泥だまりの縁に立った、その瞬間。
ずるり、と。
泥の中から、それは、出た。
体長、大人の二倍。太さ、丸太。色、生成りのぬめり。先端に口らしき窄まりがあり、それが、ぱくぱくと開閉しながら、ゆっくりと隼人の方へ、倒れ込んできた。
「ヒッ」
エースの喉から、聞いたことのない音が出た。
「隼人!落ち着け!敵意はない!そいつはただ、お前を泥と間違えて」
「触った!!今、先っぽが俺の腕に触った!!ぬめった!!おい、ぬめったぞ今!!」
「落ち着けって!加護はどうした、体は動くだろ!」
「動くけど心が動かねえェェ!!無理!!やっぱ無理だこれ!!うわ、二匹目!!三匹目も来た!!囲まれる!!ひなた!!そこにいたか!!任せた!!」
「ん」
「お前、仲間を盾に後退しやがった!!」
エースは、ひなたを残して、飛ぶように後方へ逃げてきた。加護で強化された逃げ足は、見事なものだった。使いどころが違う。
「はっ、はっ、はっ……悪い。マジで悪い。でも無理なんだ。あれだけは、無理なんだ……」
「隼人。落ち着いて聞け。お前は今、十年ぶんの信用を三秒で溶かした」
「知ってる。あとで詫びる。詫びるから、俺を前線に戻すな」
さて。困ったことになった。
俺たちの戦闘ドクトリンは「大抵の敵は隼人で終わる」を大前提に組まれている。そのエースが戦意喪失。ひなたの黒パンは有効だが、相手は十二匹、泥に潜られると当たらない。大砲は論外だ。費用も、そもそも撃つ金もない。
「作戦会議!早口で!」
「現状、火力不足!エースは戦意喪失、大砲は資金難!」
「ひなたが一匹ずつ押し返してるけど、潜られると追えないわ!このままだと日が暮れる!」
「高台の我が眷属よ!何か案は!」
「な、なんで僕に振る!?……だ、だが、そうだな。ワームの類なら、乾燥に弱いはずだ。ぬめりが取れると、動けなくなる」
「乾燥……!」
その一言で、沙耶の目の焦点が、ふっ、と溶けた。加護が、降りている。
「マッドワームの体表は粘膜。乾いた土や砂に触れると、粘膜が奪われて、急速に弱る。だから雨の日にしか移動しない。……つまり、“乾いた地面に誘い出せば”勝てる!」
「あそこだ!窪地の南の縁、日当たりのいい砂地がある!あそこまで誘導する!」
「誘導って、どうやって!?あいつら、泥から出ないわよ!?」
「食い気はある、と俺の眼が言っている。つまり、“餌”で釣る」
「餌って、何を」
俺たちの視線が、自然と、一点に集まった。
俺たちのエース(戦意喪失中)に。
「おい。まさか」
「隼人。さっきワームはお前に寄っていった。……つまりお前は今、この湿地で一番“美味そうな餌”なんだ」
「断る!!絶対に断る!!」
「仲間を三秒で盾にした男が、何か言ってるわ」
「うぐ……!」
「それにな、隼人。よく考えろ。逃げるだけでいい。触られる必要はない。追いかけられて、走る。それはお前の大好きな“スリル”では?」
エースの目が、揺れた。恐怖と、性癖の間で。
「……追いかけられて、走る……ぬめりから、全力で、逃げる……」
「ほら、乗ってきた」
「畜生!!やってやるよ!!ただし言っとくが、これはスリルじゃなくて、ただの地獄だからな!!」
——かくして、フォルテ南の湿地に、伝説の光景が現出した。
絶叫しながら砂地へ走るエースと、それを追って泥から次々と身を乗り出し、地を這い進む十二匹の大ミミズの行列である。
「うわああああああ!!来てる!!めっちゃ来てるゥゥ!!」
「いいぞ隼人!!その調子だ!!ちなみに二匹目がもう肩の高さまで迫って」
「実況するなァァァ!!」
「振り向くな!!振り向いたら心が死ぬぞ!!」
「もう死んでるよ心はァァ!!」
並走する俺と沙耶の罵倒と実況でバフは全開、エースの逃げ足は音速に迫り、ワームの行列は一直線に砂地へ吸い込まれた。
そして、沙耶の知識の言う通りになった。
乾いた砂の上で、十二匹のぬめりは、みるみる勢いを失い、のたくり、動きを止めていく。
「今よ!!ひなた!!」
「ん。とう」
ゴッ、ゴッ、ゴッ。黒パン(新調した弾薬)の雨が、動けないワームの急所を、順番に、正確に打ち抜いていった。
戦闘終了。駆除数、十二。負傷者、ゼロ。心が死んだ者、一名。
「…………終わった?」
砂地の端で膝をつくエースに、俺は肩を叩いて労いを贈った。
「見事な餌だった」
「その労い、二度と言うな」
「でも、ちゃんと走り切ったわね。えらいえらい」
「子供扱いもやめろ。……ちくしょう、なんで俺、異世界まで来てミミズから走ってんだよ……」
高台の上では、ヴィクが腹を抱えていた。
「く、くく……お前たち、本当に……戦闘の教本を、どこに捨ててきたんだ……」
「我が眷属よ、笑いすぎでは?」
「わ、笑ってない!これは、その、記録のための観察で——ぷっ、く、くく……えさ……エースが、餌……」
「おい、笑いのツボが浅いぞ、俺たちの監視者」
——帰りのギルドで、報酬の銀貨4枚を受け取りながら、リタさんに一部始終を報告した(隼人の名誉に関わる部分は、少しだけぼかした)。
「なるほど、砂地への誘導で……さすがです。あの、ちなみに誘導って、どうやって」
「「「「企業秘密です」」」」
「隼人さんだけ目が死んでるの、なんでですか?」
風呂まで、あと少し。エースの名誉の回復は、もう少し先である。




