第33話 同居人、仲間にあらず
西区画の下水路は、思ったより広く、思ったより暗く、そして思った通りに臭かった。
「素晴らしい……!見ろ、この闇!この石積みの回廊!地下水路とは、すなわち“街の裏の顔”、夜の血脈だ!」
「臭いは無視なのね、あんたの浪漫は」
「浪漫とは、鼻をつまんででも語るものだ」
「今の台詞、格好悪さの新記録じゃない?」
本日の任務は、下水路のスライム駆除。氾濫の間に地上の騒ぎを避けて流れ込んだスライムどもが、水路のあちこちで詰まりを起こしているらしい。
そして、本日の同行者である。
「……で。なんでお前は、そんなに完全装備なんだ」
ヴィクは、フードを目深に被り、篭手を締め、腰に短剣を二本も差して、臨戦態勢だった。スライム相手に。
「か、監視には、万全の備えが要る」
「相手はスライムだぞ」
「し、知ってる!……ちなみに、参考までに聞くが、この街のスライムは、その、どのくらい強い」
「ひなたの黒パンで一撃だな」
「それは強いのか弱いのか、基準が分からない」
「弱いのよ。安心なさい」
——駆除は、流れ作業だった。
水路の詰まりを見つける。俺が加護で数を看破する。隼人とひなたが処理する。沙耶が魔石を回収して帳面につける。危険度・低の依頼が、危険度・低のまま進む。実に、記録的な平和である。
「三十二匹目。……ん、今日は本当に“何も起きない”わね」
「フラグを立てるな、経理。俺たちの“何も起きない”は、前科二犯だ」
「あら、失礼」
ヴィクは、その間ずっと、俺たちの少し後ろを歩いていた。監視者の位置である。だが、その目が、仕事のたびに、ちらちらと動くのを俺は見ていた。
特に、俺と沙耶が罵り合った時に。
「ほら沙耶、そっちの脇道に三匹逃げた!帳面ばっかり見てるからだ!」
「あんたが数える前に潰しなさいよ、参謀の名折れ!」
「俺は指揮官だ!現場仕事は管轄外だ。うおっ、足元に来た!踏んだ!靴が!靴がぬめった!!」
「ざまあないわね!!」
ぶわ、と足元に、いつもの光が灯る。バフが乗って、隼人の剣速が上がり、脇道の三匹が瞬時に片付いた。
「それ」
ヴィクが、足を止めた。
「それだ。その光。……近くで、よく見せろ」
「見せろと言われてもな。これは俺たちの絆スキルで」
「知ってる。【売り言葉に買い言葉】。罵り合うと、強くなる。……ずっと見てたが、やっぱり、出鱈目だ。理屈が、僕の知ってるどの理屈とも合わない」
ヴィクは、俺たちの足元の光を、食い入るように見つめた。フードの奥の金の瞳が、真剣そのものだった。
「絆スキルは、普通、“型”があるんだ。信頼なら信頼、犠牲なら犠牲。綺麗な形に沿って、力が流れる。……なのにお前たちのは、悪口で強くなって、褒めると弱くなって、喧嘩すると濁る。まるで——」
「まるで?」
「…………いや。いい」
言葉を飲み込む横顔に、また、遠い場所の色が乗った。こいつの言葉の端々には、時々それが混ざる。絆スキルに詳しすぎる知識。綺麗な“型”への、妙に実感のこもった口ぶり。
詮索は、しない主義だ。だが、観察はする。紳士なので。
「時に我が眷属よ。そんなに気になるなら、お前も試してみるか」
「……は?」
「罵倒参加だ。俺たちの絆スキルが“誰の罵倒”まで拾うのか、実は検証したことがなくてな。ほれ、遠慮なく、俺を罵ってみろ」
「な、なんで僕がそんな低俗なこと」
「低俗と言いつつ、目が乗り気だぞ」
「〜〜〜っ、や、やればいいんだろ!」
ヴィクは、こほんと咳払いをして、俺を指差した。
「え、えっと……お前は、その……へ、変なマントの、じろじろ見る奴で……」
「弱い弱い弱い。罵倒が弱い。心はどうした、心は」
「うるさい!初心者に難易度の高いことを求めるな!ええい、こうなったら……お前は!口だけ達者な、出力零点の、自称・漆黒!詠唱は九割九分無駄!加護は公文書に載った変態!それでいて、その、じ、実は、たまに頼りになるのが、一番腹立つ!!」
「「「「…………」」」」
「ど、どうだ!」
足元の光は——ぴくりとも、しなかった。
「……無反応、ね」
「俺たちのスキル、ヴィクの声は拾わないみたいだな」
「最後のやつ、罵倒っていうか、半分褒めてたしね」
「な、なんでだ!今の、結構ひどいこと言ったぞ僕は!」
ヴィクは、光らない床を、悔しそうに何度も見た。それから、はっと我に返って、フードを被り直した。
「……ふ、ふん。別に、悔しくない。お前たちの出鱈目に、僕が混ざれなかったところで」
「悔しそうなのよねえ、どう見ても」
「悔しくない!!」
「ちなみに我が眷属よ。今の罵倒、採点してやろう。58点だ」
「だ、誰が眷属だ。……で、それは高いのか低いのか、分からない」
「低い。俺たちの基準では、罵倒は“愛想”と“実情把握”と“謎の勢い”の三点満点でな」
「その採点基準を真顔で語るな」
契約者以外の声は、届かない。それが絆スキルの仕様である。分かっていたことだ。分かっていたことだが……あの光らない床を見た時のヴィクの顔は、少しだけ、胸に残った。
輪の中に、入りたくないと言った奴が。輪の光を、あんな顔で見るのだ。
「……ま、気にするな、我が眷属よ。スキルはスキル、それだけの話だ」
「気にしてない」
「それにな。俺たちの罵倒は、十年物の年季が要る。お前のはまだ“悪口一年生”だ。焦らず精進——」
「精進しない!!誰が悪口の道を極めるか!!」
——駆除の終盤、ちょっとした騒ぎがあった。
水路の最奥に、大詰まりの主犯が隠れていた。牛ほどもある特大スライム(通称・ヌシ的なやつ)である。
「でかっ!?スライムってあんなになるの!?」
「圭吾、看破!」
「視た!核は中心、深さ半分!だが待て、あの大きさ、素材としては上物だぞ!丸ごと欲しい!」
「じゃ、いつも通り、俺が斬って」
「待ちなさい。斬ったら核が割れて、素材の値が下がるわ。……ひなた、“抜けます”?」
「ん。とれる」
ひなたは、するすると特大スライムに歩み寄り、ずぼっ、と両腕を突っ込んで、核だけを引っこ抜いた。
スライムは、ぷるん、と震えて、ただの水たまりになった。
「「「「おお〜」」」」
「なにあれ」
「俺たちの最終兵器は、素材回収も一級なんだ」
「芋掘りの要領だな」
「お前たちの戦闘、本当に、僕の常識のどこにも引っかからない……」
ヴィクが、疲れた声で言った。監視者は今日も、報告書に書けないものばかり見ている。
——帰り道。夕暮れの大通りで、ヴィクがぽつりと言った。
「……なあ。ひとつ、聞いていいか」
「なんだ」
「お前たちの絆値が“測定不能”だって話。……あれは、本当なのか」
「ああ。二回測って、二回とも機械に匙を投げられた」
「二回とも……」
ヴィクは、少しの間、黙って歩いた。石畳を蹴る爪先が、何かを迷っていた。
「僕がこの街に来たのは、その噂を聞いたからだ」
「……ほう?」
「理由は、言わない。言えない。ただ……“測定不能の絆”ってやつを、確かめる必要が、僕にはあった。だから、監視してる。それだけだ」
「そうか」
「そうか、って……詮索、しないのか」
「する必要があるか?お前は今、俺たちの買い出し係で、風呂の出資者で、悪口一年生だ。身元より、よほど大事なことを知ってる」
「〜〜〜っ、お前は、本当に、変な奴だ!!」
ヴィクはずんずん先に歩いて行った。それから、角のところで立ち止まって、こちらを見ずに言った。
「……夕飯、なんだ。今日は」
「ひなた曰く、芋と燻製の“しさく”だそうだ」
「……そうか。……悪くない」
我らが監視者は、今日も家の飯を食って帰るのである。
依頼報酬、銀貨2枚と、特大スライムの核(上物)の売却益が銀貨3枚。風呂までの道のりは、着実に縮まっている。




