第32話 増築費、想定の三倍
「で、見積もりだがな」
ブロム棟梁が、円卓に羊皮紙を広げた。我が家の広間は、本日、工事の商談の場である。
「まず修繕。屋根の大穴と壁、窓三枚。これで金貨1枚と銀貨5枚」
「想定通りね。お願いします」
「で、追加のご注文の“風呂”だがよ」
棟梁は、太い指で、見積もりの二行目を叩いた。
「浴室の増築、湯沸かしの魔道具、水の引き込み、排水。しめて、金貨3枚だ」
「「「「さんまい!?」」」」
「家より高い!!風呂が家より高い!!」
「当たり前よ。言ったろ、風呂は貴族様の設備だって。湯をいつでも沸かせるってのは、そういう贅沢なんだよ」
俺たちは、円卓の隅で緊急の財政会議を開いた。
「現在の残高。氾濫の時の手持ちは、発射の“お会計”の精算と祝勝の宴と弾薬の補充で、ほぼ消えたわ。残りの銀貨1枚と銅貨は生活費に取っておく。工事の元手は特別報酬の金貨5枚。家の代金1枚半を引いて、残り3枚半。……修繕で1枚半消えて、残り2枚」
「風呂は3枚。……1枚、足りない」
「詰んだのでは??」
「待ちなさい。交渉の余地はあるはずよ。棟梁。仕様を落とすとしたら、どこが削れます?」
「ん?そうさな……湯沸かしを一番安い魔道具にして、浴槽を既製の樽にすりゃ、2枚半までは下がる。それ以上は無理だ。手抜き工事は、わしの髭が許さん」
「2枚半。……あと銀貨5枚、か」
その時、円卓の反対側から、声がした。
「銀貨5枚なら、僕が出す」
全員が、振り向いた。ヴィクが、財布らしき小袋を手に、つんとそっぽを向いていた。
「か、勘違いするな。恵んでやるんじゃない。……この家に住む以上、僕も、その、風呂には入る。対価は払う。貸し借りは作らない主義だと言っただろ」
「ヴィク、お前……!」
「それに、壺湯は狭かった」
「切実な本音が出たわね」
「……時に我が眷属よ。その銀貨、出どころは」
「眷属じゃない。……路銀だ。旅の間に、その、依頼とか、拾得物とかで……せ、詮索するな!!真っ当な金だ!!」
「はいはい。ありがたく」
かくして、風呂の予算は成立した。出資比率に応じて「ヴィクの入浴優先権(週二回、一番湯)」が経理により制定され、監視者は満足げに頷いた。
「よっしゃ、商談成立!じゃ、細けえ仕様を決めるぞ。まず浴室の広さだが」
そこからが、長かった。
「棟梁。湯船は“漆黒”にできるか。黒曜石か、せめて黒塗りの」
「できるが、金貨2枚増しだ」
「却下よ」
「即答!?待て、風呂とは魂を清める儀式の場!ならば器にもこだわりが」
「樽です。樽で清めなさい」
続いて、棟梁が図面をなぞりながら、事務的に聞いた。
「脱衣所と浴室の壁だがよ、厚さはどうする?普通か、厚めか」
「…………」
隼人が、一瞬だけ、黙った。ほんの一瞬である。だが、十年の付き合いは、その一瞬を聞き逃さない。
「……別に、普通でいいんじゃね」
棒読みだった。
「棟梁。一番厚いのでお願いします」
沙耶が、即答した。
「あん?構わんが、理由は」
「察してください」
「ガッハッハ!了解だ!」
「おい待て、何をだ!!俺は普通でいいって言っただろ!!」
「その“普通でいい”の声が、いつもより半音高かったのよ」
「観測精度が怖えんだよ!!」
「防音、採用。議事録の理由欄は“隼人対策(なお本人は何も言っていない)”で」
「何も言ってないのに書かれる方がひでえ!!」
ひなたの要望は、明快だった。
「おふろのあと、つめたいぎゅうにゅう」
「風呂の仕様じゃないのよ、それは」
「でも分かるぞ、ひなた。風呂上がりの一杯は文明だ。棟梁、台所の冷蔵の魔道具は」
「金貨2枚」
「文明が高い!!」
——商談がまとまり、工事は五日後からと決まった。棟梁を見送った後、沙耶が帳面を締めた。
「はい、財政報告。工事費を前払いして、私たちの残高は、金貨0枚、銀貨1枚、あとは銅貨連中」
「英雄の全財産が、銀貨1枚」
「ちなみに計算したんだけど。湯屋は一人銅貨3枚、五人で15枚。毎日通えば月に銅貨450枚、つまり銀貨4枚半。家風呂の工事費(金貨2枚半)も、半年で元が取れるわ」
「聞いたか、お前ら。風呂は“投資”だ」
「その理屈、散財する時のあんたの常套句なのよね。今回は正しいけど」
「氾濫を止めた報酬が、ひと月で家と風呂に消えたわけね。……まあ、悔いはないけど」
「つまり、あれだな」
隼人が、にやりと笑った。
「——また、働かないとな」
「その台詞をお前が楽しそうに言う日が来るとはな」
「働くのは嫌いだけど、金がないのはもっと嫌いなんだよ」
——翌日から、俺たちは久々にギルドの掲示板の前に立った。
「おかえりなさい、皆さん。英雄様の凱旋以来ですね」
リタさんが、にこにこと迎えてくれた。
「その“英雄様”、やめてもらえます?背中がかゆいので」
「あら、街の子供たちは呼んでますよ。“くちじょうずのざこ”って」
「そっちはそっちで複雑なんだよなあ!!」
「依頼、選び放題ですよ。氾濫の後始末系がまだ残ってますし、指名も来てます。ちなみに皆さん、今の残高は」
「銀貨1枚です」
「英雄って、儲からないんですねえ……」
リタさんが、心底不思議そうな顔をした。儲かってはいたのだ。使ったのだ、全部。
「あ、そうだ。台帳の更新もお願いします。皆さんの登録住所、宿から新居に変わるので。ご住所は?」
「西区画の、元・半壊の家です」
「はい、西区画の……正式な通り名で言うと、“くちじょうずのざこ通り”ですね」
「「「「は?」」」」
「あら、ご存知なかったですか?子供たちが呼び始めて、屋台のおやじさんたちに広まって……今や西区画の皆さん、普通に使ってますよ。ほら、正式な地名のない路地って、通称で呼ばれるものですから」
「私たちの住所が、公式に、恥ずかしい!!」
「台帳には通称も記載されます。永久に」
「またか!!また永久記載か!!」
掲示板を物色していると、背後から、聞き覚えのある折り目正しい声がした。
「圭吾さん!お久しぶりです!」
シリルさんだった。《暁の誓約》の面々が、遠征帰りらしい装備で揃っている。
「氾濫の武勇伝、王都街道まで届いていますよ。最下層の主を、四人で……!さすがです」
「いやあ、あれは、その、勢いというか」
「謙遜まで格好いい……!あ、そうだ。新居を構えられたとか。実は僕たち、お祝いを選んでいまして。ご入用の物はありますか?」
「「「「風呂桶」」」」
「せ、生活感……!」
食い気味の四重唱に、シリルさんは面食らい、それから生真面目に手帳へ「風呂桶」と書き付けた。後日、本当に最高級の風呂桶が届くことになる。正しい男は、贈り物まで正しい。
——そして、その日の午後。掲示板の前で、事件は起きた。
「なあ、見ろよ。指名依頼だって」
隼人が剥がしてきた依頼票には、こうあった。
『西区画の下水路にて、スライムの大量発生。清掃と駆除を依頼する。指名: 《腐れ縁》。理由: 氾濫後の点検で最も信頼できるため。危険度、低』
「「「「危険度・低」」」」
「……なあ。この文字列、俺たちにとっては死亡フラグなんだが」
「前科二犯だものね。モーラ森林とコルン村」
「でも報酬は悪くないわよ。下水路なら移動もないし……受けましょ。風呂のためよ」
「風呂のため」
「「「「風呂のため!!」」」」
合言葉が決まった瞬間、背後で小さく息を吸う音がした。
振り向くと、ヴィクが立っていた。買い出し帰りの荷物を抱えたまま、じっ、と依頼票を見ている。
「……下水路。地下、か」
「ん?ああ。……なんだ、ついて来たいのか?」
「べっ、別に!?ただ、その……お前たちが、あの“出鱈目な絆”とやらをどう使うのか、監視者として、確認する義務が——」
「はいはい。じゃ、明日の朝、遅れるなよ」
「〜〜〜っ、命令するな!……朝、何時だ」
素直なのか意地っ張りなのか、判定に困る監視者である。
明日は、五人で(四人+一名は監視)、下水路。風呂への道は、スライムの海の向こうにある。




