第31話 家事分担、全員敗者
新居、二日目の朝。
我が家の広間に、パーティ《腐れ縁》+監視者一名は、円卓(ブロム棟梁が「新築祝いだ」とくれた中古品)を囲んで着席していた。
議題は、家事の分担である。
ちなみに、家の中のヴィクは、フードを外していた。「屋根の下でまで被る理由がない」だそうで、長い紫の髪が、朝の光の中で、さらりと椅子の背に流れている。
その髪を初めて見た時、隼人が、じっ、と首を傾げた。
「(……ん?髪、なげえな。こいつ、まさか、女——)」
「(まさか、なんだ)」
「(いや、ねえな。“僕”っつってたし。言っとくが、ボクっ娘なんてもんは、この世に存在しねえ。俺の持論だ)」
「(持論の根拠が、相変わらず雑なのよ)」
「(髪はあれだろ。長旅で、切る暇がなかっただけだろ。うん)」
俺たちのエースは、三秒で自己解決した。むっつりの平和は、今日も雑な理屈で保たれている。
「では、第一回・家運営会議を始めます。議長は経理の私。まず現状確認。昨日一日、この家で何が起きたか」
沙耶が、帳面を開いた。読み上げられる議事録は、地獄だった。
朝。起きたら台所のかまど二つが両方稼働しており、ひなたが「あさごはんの、しさく」と称して備蓄の三日分を消していた。
昼。圭吾が地下室に籠もり、掃除と称して蝋燭を円形に並べていた(儀式の跡と呼ばれた)。
夕方。隼人の部屋から「なくした」はずの共有財布が発見された。本人曰く「防犯のため預かってた」。
夜。誰も風呂に……ではなく湯屋に行かず、全員が「明日でいい」と言った。
「……ひと言ずつ、弁明をどうぞ」
「試作は、たいせつ」
「地下室の適性を調べていた。あそこは祭壇に向いている」
「防犯意識の高さを責められる家って、何?」
「はい、全員有罪。だから今日、決めます。家事の分担を」
沙耶は、板の切れ端に炭で表を書いた。炊事、洗濯、掃除、買い出し、金庫番。
その瞬間、円卓の空気が、変わった。
十年来の付き合いである。全員、分かっていた。これは、“押し付け合い”という名の、戦争である。
「では立候補から。炊事は?」
「「「ひなた」」」
「ん。やる」
「即決ね。じゃあ量の管理は私がやるとして……次、洗濯」
しん、とした。
「…………」
「…………」
「誰か手を挙げなさいよ」
「フッ……洗濯か。実はな、我が漆黒の衣は“聖別”された布ゆえ、俗な水では洗えん。よって俺は洗濯という概念の外に在る!」
「風呂敷は普通に洗えるのよ。はい圭吾、係決定」
「概念の外だと言っている!!」
「じゃ、俺は掃除で。……あ、でも各自の部屋は各自でやる方式な。俺の部屋には入るな。絶対」
「隠し金庫の場所がバレるから?」
「防犯のためだよ」
「あんたの防犯、全部私利私欲なのよ」
押し付け合いは、白熱した。買い出し係は「市場に行くと屋台に散財する奴」が三人いて難航し、金庫番は満場一致で沙耶に決まり(本人だけが「私の負担が増えてる!」と抗議した)、便所掃除に至っては、全員が一斉にじゃんけんの構えを取った。あうんの呼吸だった。
「「「「じゃん、けん——」」」」
「あ、あの」
小さな声が、円卓の隅から上がった。
ヴィクだった。会議の間ずっと、輪の外で「僕は関係ない」の顔をしていた監視者が、おずおずと手を挙げていた。
「その……家事、僕も、やる。ぶ、分担に、入れろ」
「「「「!!」」」」
「か、勘違いするな!居候……じゃない、監視者として、対価を払うだけだ!貸し借りは作らない主義なんだ!」
「よくぞ言った、我が眷属よ!!ならば栄えある便所掃除を任せ」
「新入りに一番重いのを押し付けるな!!」
沙耶がすぱんと俺の頭をはたき、それから、表に「ヴィク: 買い出し(沙耶と同行)」と書き込んだ。
「あなた、身軽だし目端が利くでしょ。荷物持ちと値段の見張り。……それと、これが一番大事なんだけど」
「な、なんだ」
「私たちの三馬鹿が市場で散財しないよう、監視して。“監視者”なんでしょ?」
「任せろ。それは、得意だ」
ヴィクの目が、初めて仕事を得た者の光を宿した。ちょろい。俺たちの経理は、人を乗せるのがうまいのである。
——会議の後半は、生活規則の制定だった。
「規則その一。“ひなたの試作は、週に一度まで”」
「……はんたい」
「却下。その二。“地下室で儀式をしない”」
「待て。定義を要求する。何をもって儀式と定めるかだ」
「蝋燭を三本以上並べたら儀式です。その三。“共有財布は沙耶が管理し、隼人は半径一歩以内に近づかない”」
「一歩は狭すぎるだろ!生活できねえよ!」
「あなたの前科で決まった距離よ」
規則は十七条まで膨れ上がった。ちなみに第十七条は“風呂敷マントを共有物干しの一等地に干さない”である。解せない。聖別された布なのに。
「……お前たちは、いつも、こうなのか」
会議の終わり、ヴィクが、疲れ果てた顔で言った。
「こう、とは」
「家事ひとつ決めるのに、二時間。罵倒、数えたら四十回超えてた。……なのに、誰も本気で怒ってない。じゃんけんの構えだけ、息が揃ってる。僕の知ってる“仲間”と、全然違う」
「ヴィクの知ってる仲間って、どんなよ」
「…………綺麗なもんだよ。役割があって、序列があって、無駄口がなくて」
一瞬だけ、ヴィクの声に、遠い場所の色が乗った。触れるべきか迷う間もなく、本人がぱっと顔を上げて、いつもの生意気に戻る。
「と、とにかく!効率が悪すぎる!僕が来たからには、この家の運営を正して……」
「ん。ヴィク、はい」
ひなたが、会議の間に焼いていたらしい芋を、ヴィクの手に握らせた。
「……なんだ、これ」
「かいぎのおやつ。あまいよ」
「〜〜〜っ、だ、だから、こういうのが効率が悪いって言って……」
言いながら、齧っていた。もぐもぐと齧りながら文句を言うので、迫力は皆無だった。
——午後。分担の初仕事が、一斉に始まった。
結果を、議事録から抜粋する。
炊事係、備蓄を使い切り「しさく、だいせいこう」と評した(規則その一、初日に発動)。
洗濯係、風呂敷を“聖別の儀”と称して干し、物干しの一等地を占拠した(規則十七条、初日に発動)。
掃除係、掃除中に床下の空洞をもう二箇所発見し、黙っていたのがバレた(新規則十八条が制定された)。
買い出し係(監視者)、市場で「はじめて見る菓子」に立ち止まり、監視対象より先に散財しかけたところを、監視対象(沙耶)に確保された。
「……全員、敗者じゃないの」
夕暮れの広間で、沙耶が帳面を閉じて、天を仰いだ。
「この家、回るのかしら。本当に」
「回るだろ。……前世から、ずっとこうで回ってきたんだ」
「回ってた?あれで?」
「回ってた、ことにしておけ」
窓の外で、夕焼けが、屋根の大穴から広間に差し込んでいた。そう、屋根の穴は、まだ開いているのである。今夜も星が見える我が家だ。
「……ところで、そろそろ真剣に考えない?湯屋、行くわよ。三日目よ、みんな」
「「「「あ」」」」
——湯屋(初回)の顛末は、こうである。
まず、暖簾の前で一悶着あった。
議題は、ヴィクはどっちに入るのか、である。
「男湯だろ。“僕”って言ってんだから、男」
隼人が、男湯の暖簾を親指で指した。ヴィクが、全身で跳ねた。
「い、嫌だ!!絶対に嫌だ!!お前たちと入るくらいなら、僕は一生入らない!!」
「なんでだよ。男同士だろ?」
「〜〜〜っ、と、とにかく!!嫌なものは嫌なんだ!!」
フードの奥まで真っ赤にして、ヴィクは湯屋の柱の陰に半分隠れた。そこへ、沙耶があっさりと割って入った。
「はいはい、そこまで。ヴィクはまだ子供なんだから、女湯でいいのよ。ね?」
「こ、子供でもない!!」
抗議の声が、男湯の時の半分だった。本人も女湯なら実害がないと踏んだらしい。
「ん。いこ」
ひなたが、ヴィクの袖を掴んで、ぽてぽてと女湯の暖簾へ歩いていく。ヴィクは引きずられながら「ひ、一人で入るからな!!個室があるなら個室だからな!!」と最後の抵抗を叫んでいた。
俺は——何も、言わなかった。
紳士は、視えているものについて、時に沈黙するものである。
そして隣では、隼人が、女湯の暖簾をくぐる小さな背中を見送りながら、拳を震わせていた。
「こ、この……男の癖に女湯に入るとは……」
「やめておけ、隼人。……世の中には、知らない方が幸せな真実もある」
「なんだよそれ」
なんでもない。さあ、湯だ。
男湯と女湯は、一枚の高い壁で仕切られていた。壁の向こうから、沙耶とひなたとヴィク(「一人で入る」と言い張って個室の壺湯に立て籠もった)の声が聞こえる。
「いいか、隼人。紳士の湯とは、静寂の湯だ。……間違っても、壁の向こうに意識を向けるな」
「向けてねえよ。……向けてねえけど、お前のその“向けるな”が一番意識させてんだよ」
「フッ、俺は大丈夫だ。なにせ視線を向けなければ、俺の加護は発動せん。つまり壁がある限り、俺は完全なる紳——」
その時、壁の向こうで、ひなたの声がした。
「さやちゃん、せなか、ながしてあげる」
「ありがと。……って、ひなた、あなた、また少し育って……」
男湯に、恐ろしい沈黙が落ちた。
湯船の中で、俺と隼人は、彫像になった。動かない。何も聞いていない。俺たちは湯を楽しむ、ただの求道者である。
「(おい圭吾……今の、聞いた……)」
「(聞いていない。我々は何も聞いていない。いいか隼人、ここで反応した瞬間、我々は敗北する)」
「(お、おう……さすが紳士、鋼の精神だな)」
「(ただし脳内の想像は加護の管轄外なので今、俺の紳士力は延焼している)」
「(結局燃えてんじゃねえか)」
なお、壁のさらに向こうの壺湯から「お前たち、声が全部響いてるからな」というヴィクの死んだ声がして、男湯の求道者二名は湯に沈んだ。
家に風呂が、早急に必要である。切実に。




