第30話 腐れ縁、家を買う
氾濫の終息から、三日。
フォルテの街は、驚くほどの速さで日常を取り戻しつつあった。市場が開き、屋台に火が入り、迷宮には調査隊が入って「湧き、平常値。魔素、清浄」の報告を持ち帰った。
そして俺たち《腐れ縁》は、ギルドの支部長室で、人生の岐路に立っていた。
「特別報酬、金貨5枚。それと、これが例の“面白い話”だ」
グスタフさんが机に広げたのは、街の西区画の地図だった。一箇所に、印がついている。
「氾濫の避難騒ぎで持ち主が街を出た、二階建ての空き家だ。第一波の流れ弾で屋根と壁が壊れてる。街としては、修繕して住んでくれる者に払い下げたい。……相場は金貨10枚。半壊だから、金貨2枚でいい」
「「「「金貨2枚」」」」
「お前ら、宿住まいだろう。英雄が宿のツケ暮らしでは、街の沽券に関わるんでな。どうだ、買わんか。“家”を」
家。
俺たちは、顔を見合わせた。
異世界に来て、およそひと月半。野宿から始まり、四人部屋のツケ暮らしを経て——家。
「か、買う!買います!買うに決まって——」
「待ちなさい」
飛びつきかけた俺の襟首を、経理が確保した。
「半壊の程度を見てから。あと、金貨2枚は“相場より安い”だけで“適正”とは限らないわ。内見と、値切り交渉をさせていただきます」
「英雄の返事が値切りか!!ガハハ!!いいぞ、ますます気に入った!!」
——内見には、援軍を呼んだ。
大食い大会の司会にして賭けの胴元、そして本業は建築の棟梁だという、あのドワーフである。名を、ブロムという。
「おうおう、嬢ちゃんたちが例の家を買うってか!見立ててやるよ、恩もあるしな!」
「恩?」
「あの試験じゃ、わしも客よ。お前さんらの合格に11倍賭けて、儲けさせてもらった恩よ!ガッハッハ!」
西区画の現地に着くと、そこに立っていたのは、なるほど、見事な半壊だった。
二階の屋根に大穴。壁は一面が崩れ、窓は三枚割れている。だが、骨組みはしっかりした石造りで、部屋数は二階を合わせて六つ。裏には小さな庭と、物置まである。
「ふむ……骨は良い。土台も生きてる。屋根と壁で金貨1枚半ってとこだな。直せば、相場通り金貨10枚の上物よ」
「聞いた?つまり“2枚+修繕1枚半”で、10枚の家。……悪くない。悪くないけど」
沙耶の眼鏡が、きらりと光った。
「壊したの、氾濫よね。氾濫を止めたの、私たちよね。値引きの余地、あると思わない?」
「お前の交渉、やる前から勝ってる顔なのよ」
交渉の結果。
“氾濫討伐の功労者割引”なる前例のない名目が誕生し、払い下げ価格は金貨1枚と銀貨5枚になった。役所の担当者は最後、笑いながら判を押した。「英雄に値切られたのは、フォルテ史上初です」とのことである。歴史に、また変な残り方をした。
「ちなみに圭吾さんの加護の記載もあるんで、書類はすぐ通ります」
「公文書が身分証になってる……!」
「良かったわね、永久記載」
「良くはない」
——そして、探索である。買ったばかりの我が家を、俺たちは隅から隅まで検分した。
「見ろ!地下室があるぞ!石積みの、ちゃんとした地下室だ!!」
「食料庫ね。涼しいし、ちょうどいいわ」
「何を言う!ここは祭壇だ!我が“漆黒の間”に——」
「食料庫よ」
「しょくりょうこ」
「多数決で食料庫だな」
「俺の家でもあるんだが!?」
隼人は隼人で、二階の床板を一枚ずつ叩いて回り、「ここ、床下に空洞ある。隠し金庫にちょうどいい」と目を輝かせていた。何を隠す気だ。
ひなたは台所に立ったまま、動かなくなっていた。
「……かまどが、ふたつ、ある」
「よかったな」
「ん。……あたし、ここに、すむ」
「台所に住むな。部屋を取れ、部屋を」
そして、全部屋を検分し終えて、俺たちはひとつの重大な事実に直面した。
「風呂が、ない」
「ないわね」
「探したが、ない。浴室という概念が、この家にない」
慌ててブロムに聞くと、棟梁は当然の顔で言った。
「風呂ぁ?そりゃお前さん、貴族様の設備だぞ。庶民は公衆浴場よ。ほれ、大通りの“湯屋”。銅貨3枚で入れる」
この世界、一般家庭に風呂はないのである。文化の壁が、また一枚。
「……なあ、お前ら。俺は、風呂が欲しい」
「奇遇ね。私もよ」
「俺も」
「ん」
「よし、満場一致だ。ブロム棟梁!増築の見積もりを頼む!!」
「毎度あり!ガッハッハ!」
「ときに棟梁。湯船は、広めに頼みたい。四人で一度に浸かれるくらいに」
「なんでよ」
「湯を沸かすのは薪だろう。一度に入れば、薪も湯も一回で済む。湯屋の銅貨三枚も要らなくなる。……つまりこれは、経理への献策である」
沙耶は、二秒だけ黙った。それから、実に静かに言った。
「順番に入ればいいでしょ。湯は張ったままなんだから、薪は一回よ」
「…………」
「棟梁。今の話は、聞かなかったことにしてください」
「あいよ」
「早い!!判断が早い!!」
「経理の言うことを聞くのが、長生きのコツよ。ガッハッハ!」
こうして、修繕と増築の話が転がり始めた。金勘定は、来週の俺たちに任せよう。
引っ越しは、その週のうちに始まった。
荷物は少ない。全財産が袋三つである。運搬の人手には、なぜか犬耳の青年が志願してきた。聞けば名を、コタというらしい。
「ひなたさんの新居のためなら、俺、いくらでも運びます!!」
「ん。コタ、ちからもち」
「名前!!覚えててくれた!!俺、今日は眠れません!!」
「(いい奴すぎて、そろそろ幸せになってほしいのよね)」
「(遠いだろうなあ、道のりは)」
そして、引っ越し当日の夕方。事件は起きた。
二階の一室。掃除のために扉を開けた沙耶が、固まった。
「……ねえ。この部屋、荷物があるんだけど」
「は?誰のだ」
全員で覗き込んだ。小ぶりの旅袋がひとつ。畳まれた毛布。壁に立てかけられた、見覚えのある篭手。そして窓辺に、飴玉の包み紙が、几帳面に畳んで置いてあった。
「「「「…………」」」」
心当たりが、一人しかいなかった。
その心当たりは、夕暮れの窓枠に、音もなく現れた。フードの下から、気まずそうな金の瞳がこちらを覗く。
「……あ」
「“あ”、じゃないんだよ。おいヴィク。ここは我が家なんだが」
「し、知ってる」
「知ってるのか」
「……役所の前で、お前たちが騒いでたから。“英雄に値切られたのは史上初”って」
「あの騒ぎ、聞かれてたの!?」
ヴィクは、窓枠から部屋に降りて、居直るように腕を組んだ。耳が、フードの上からでも分かるくらい赤い。
「べ、別に、住みたいわけじゃない。……お前たちは、あの穴の“芯”を見た、唯一の連中だ。僕には、その、確かめることが残ってる。だから……」
「だから?」
「お前たちの監視のためだが?文句あるか」
言い切った。開き直りである。
俺たちは、顔を見合わせた。そして、示し合わせたわけでもないのに、全員の答えが揃った。
「「「「どうぞどうぞ」」」」
「…………え」
「部屋は余ってる。六部屋あるからな。それに、だ」
俺は、風呂敷マントの裾をさばいて、宣言した。
「この家は今日より、漆黒の存在たる俺の“居城”。そして居城に住まう夜の住人は、すなわち、我が眷属。つまりお前は本日づけで、我が眷属だ。歓迎しよう」
「だ、誰が眷属だ!!僕は監視者だと言っているだろ!!」
「家賃は取らないわ。その代わり、家事の分担には入ってもらうけど」
「めし、いっしょにたべる?」
「歓迎会やろうぜ、歓迎会」
ヴィクは、口を半開きにして、俺たちを順番に見た。警戒の壁の置き場を見失った顔だった。
「な、なんなんだお前たち……もっとこう、警戒とか、詮索とか」
「するだけ無駄だと判明してるんでな。俺の眼でも読めん奴だし」
「それに、貸し借りの帳尻なら合ってるのよ。あなたの警告で、この街は救われたんだから。……ようこそ、変な同居人さん」
「ど、同居人じゃない!監視者だ!」
「はいはい、監視者監視者」
「ん。かんししゃの、ヴィク」
「軽い!!扱いが軽い!!」
——その夜。
初めての我が家の、初めての夜だった。家具はまだほとんどなく、俺たちは広間の床に毛布を並べて、雑魚寝をした。修学旅行の夜と、まったく同じ天井談義である。ヴィクは「僕は部屋で寝る」と言い張って二階に上がり、五分後、毛布を抱えて降りてきて、輪の一番外側に、無言で場所を取った。誰も、何も言わなかった。
「なあ。俺たち、家、買っちゃったな」
「買っちゃったわねえ」
「野宿から、ひと月半でな」
窓の外から、夜風に乗って、子供たちの歌が聞こえてきた。近所の路地で、寝る前の遊びをしているらしい。
むすんで、むすんで、なないろのいと。
からまりしものは、といてはならぬ。
「……あの歌、ここでも歌ってるのな」
「この辺りの子は、みんなあれで育つらしいわよ」
絡まったままで在れ。ふと、あの雑な神様の呟きが、また頭の隅をよぎった。教会の遊び歌と、神様の呟き。偶然にしては、と考えかけて。
「めいふのふちよりはいいでしー、かげよー」
「くちじょうずのざこー!」
歌が、あれに変わった。
「「「「ぶっ」」」」
「おい!!なんでその歌が西区画まで流行ってるんだ!!教会の子たちの歌だろ、それは!!」
「あんたの布教活動の成果よ」
「英雄の凱旋の歌より、口上手の雑魚の歌の方が流行ってるの、私たちらしいわね」
考え事は、吹き飛んだ。まあ、いい。謎は逃げない。
新居の天井の下、五つの寝息が揃うまで、そう時間はかからなかった。
——腐れ縁、四人。プラス、監視者(俺の中では眷属)が一人。
当分は、そういうことにしておく。




