第29話 残弾、一
作戦名は、圭吾案≪漆黒の——≫が却下され、隼人案「ボスに悪口」が採用された。ひどい名前だが、内容は名前の通りである。
「整理するわよ。①あいつを怒らせて、咆えさせる。②咆えた瞬間、口の奥の“芯”に、黒パンを撃ち込む。③芯が砕けたら、隼人がとどめ。……穴だらけの作戦ね」
「穴は勢いで埋める!いつものことだ!」
「その台詞、帳面に“いつもの”って項目作るわよ」
「ひなた、残弾は」
「ん。いち」
「……待て。二個あったはずだ」
「ん。ひじょうしょくのぶんは、たべた」
「そりゃ食べるわよ。……“弾が減る未来”だけ、ちゃんと来たわね」
「当たってほしくない方の予言だぞ、それは!!」
最後の一個の黒パンを、ひなたは両手で握った。石より硬い、我らが人類の武器。ボアの主の眉間と、試験官の足元と、数々の戦場を渡ってきた、俺たちの正式装備の最後の一発である。
「距離は?届くのか、口の奥まで」
「とどく。……でも、“ながれ”がある」
「魔素の気流ね。この空洞、縦穴に向かって風が渦巻いてる。まっすぐは飛ばない、と」
「そこで、だ。沙耶、お前のそよ風の出番だ」
「……なるほど。“風見鶏”ね。投げる瞬間の気流を、私のそよ風で読む」
「頼めるか」
「任せなさい。そよ風歴なら、この世界の誰にも負けないわ」
「誇るところなのよね、そこ」
配置についた。ひなたと沙耶は、口の正面が狙える岩場へ。隼人は、とどめ役として主の側面へ。
そして俺は、主の、真正面に立った。
怒らせ役。挑発役。つまり、口の悪さの、代表である。
「……なあ、圭吾。大丈夫か、一番危ない役だぞ」
「フッ。適役だろう。何せ俺は、口だけは達者な、変態紳士だからな」
「あんた、それ根に持ってたの」
「行くぞ」
俺は、岩陰から出て、死んだ主の眼窩を、正面から見上げた。
すう、と息を吸う。
「聞け、迷宮の主よ!!」
声が、空洞に反響した。眼窩の虚が、ゆっくりと俺に向く。
「千年この迷宮を守った主とお見受けする!!その甲羅の年輪、その巨躯、まこと見事!!だが!!」
指を、突きつけた。
「今のお前は何だ!!淀みに呑まれ、腐った糸に吊られて動く、ただの操り人形!!醜いぞ、その黒いもや!!点数をつけてやろうか!!甲羅は90点、もやは“マイナス300点”だ!!」
ず、と主が一歩踏み出した。地面が揺れる。怒ったか。いや、まだだ。まだ足りない。
「効いてる効いてる!追い撃ちよ、変態!」
「言われずとも!!おいデカブツ!!お前、自分の迷宮の魔物が全員逃げ出したの、気づいてるか!!主のくせに、部下に逃げられてやんの!!千年の統率力、ゼロ点!!」
「あと甲羅にコケ生えてる!!掃除しろ!!」
「隼人、お前のは悪口が小学生なんだよ!!」
「うるさいな、悪口の英才教育はお前らで受けたんだよ!!」
「……ちなみに、まずそう」
「ひなたの一言が一番ひどい!!」
罵倒の四重奏が、空洞に響き渡った。
主の巨体が、小刻みに震え始めた。もやが、逆立つ。眼窩の奥に、赤黒い光が渦を巻く。
怒っている。死んでいるのに、怒っている。
いや……本当に、怒っているのは、どっちだ?
主か。それとも、主を操っている“芯”の方か。
「来るぞ!!溜めの姿勢だ!!」
主が、大きく身を反らした。胸の甲羅が軋む。喉の奥に光が集まる。来る。咆哮が、来る。
「ひなた!!構えェ!!」
「ん」
ひなたが、投擲の姿勢に入った。訓練場の丸太を砕き続けた、百発百中の腕が、静かに引き絞られる。
「沙耶ァ!!風は!!」
沙耶が、詠唱した。教本通りの、完璧な詠唱。放たれた世界最弱のそよ風が、ふわりと戦場を渡っていく。
「気流、右に強く巻いてる!!狙いは“左耳の付け根”!!流されて、口の奥に届く!!」
「聞いたか、ひなた!!」
「ん。だいじょうぶ」
ひなたは、とろんとした目のまま、言った。
「“いちばんまずそうなところ”めがけて、なげるだけ」
主の口が、開いた。
咆哮が、空洞を殴った。
その、音の壁の真ん中へ——
「いっけええええええッッ!!」
最後の黒パンが、放たれた。
石より硬い焼成の塊は、咆哮の奔流に軋みながら、渦巻く気流に乗って、大きく左へ流れた。そして吸い込まれるように、開いた口の、奥の奥へ。
ゴッッ!!!と。
聞き慣れた、鈍い音がした。
——世界が、止まった。
咆哮が、途切れた。主の巨体が、硬直する。口の奥で、粘つく色の“芯”が、真っ二つに、砕けていた。
「今だァァ!!隼人ンンッッ!!」
「おおおおおおおッッ!!」
人生最高値の加護を乗せた一閃が、閃いた。
芯の砕けた黒いもやは、もう傷を埋めなかった。隼人の剣は、甲羅の継ぎ目を走り抜けた。黒いもやが、糸の切れた繭みたいに、ずるり、と主の体から剥がれ落ちた。
もやは床に落ちて、霧散した。
あとに残ったのは、ただの、大きな大きな、亀の亡骸だった。
眼窩に光はない。もう、動かない。今度こそ、ただ静かに、死んでいた。
「「「「…………」」」」
誰も、勝ち鬨を上げなかった。
空洞は、静かだった。あれほど渦巻いていた淀みの霧が、潮が引くみたいに薄れていく。床下から噴き上げていた魔素の風が、少しずつ、少しずつ、凪いでいく。
「……終わった、の?」
「ああ。元栓、閉まったよ」
俺は、亡骸を見上げた。千年、この迷宮の底で生きてきた主。淀みに呑まれ、死んでなお、腐った糸に吊られて暴れさせられた。被害者だ。
「……なあ。こいつってさ、悪いやつだったのかな」
隼人が、剣を収めながら、ぽつりと言った。
「魔物が上に逃げたのはさ、こいつが暴れたからだろ。けど、こいつを暴れさせたのは……なんなんだろうな」
口の奥にあった、あの芯。粘つく色の、小さな結び目みたいな塊。もやの糸が、全部あそこから出ていた。
“もや”の奥を視ろ。あれの“中心”に何があるか。
ヴィクの言葉が、頭をよぎった。あいつは、知りたがっていた。あれの正体を。……あるいは、心当たりが、あるのか。
「けーご」
ひなたが、俺の袖を引いた。
「かえろ。……おなかすいた」
「……ああ。そうだな。帰ろう」
見上げると、縦穴の遥か先の小さな光が、さっきより明るい。夜が明けたのだ。地上では、氾濫の引き潮に、みんなが気づき始めている頃だろう。
「最後に、だ」
俺は、主の亡骸に向き直り、風呂敷マントの裾をさばいて、一礼した。
「千年の任、ご苦労だった、先代の主よ。この穴の上の街は、当分、我ら《腐れ縁》が預かる。安んじて眠るがいい」
「あんたのそういうとこ、たまに様になるのが腹立つのよね」
「たまに、は余計だ」
——帰りの階段は、長かった。
長かったが、足取りは軽かった。罵倒バフではなく、ただの、勝った日の軽さだった。
地上に出ると、朝日と、歓声が、いっぺんに降ってきた。
「出てきたぞ!!《腐れ縁》だ!!」
「湧きが止まった!!穴が静かになった!!」
「英雄だ!!英雄の凱旋だぞ!!」
広場を埋めた冒険者と住民が、雪崩を打って押し寄せてくる。グスタフさんが真っ先に駆け寄り、無言で俺たちの肩を、順番に、痛いほど叩いた。ヘクトルさんは何か言いかけて、言葉にならず、結局「……無事で、何よりだ」だけ絞り出した。素直になれない男である。
「胴上げだ!!英雄様を胴上げしろ!!」
「「「「それはやめろ(て)!!」」」」
もみくちゃにされながら、俺は、視界の隅に、それを見つけた。
治癒テントの前に、フードの小柄な影が立っていた。
ヴィクは、騒ぎには加わらず、ただじっと、こちらを見ていた。そして俺と目が合うと、口の形だけで、何かを言った。
芯は。
俺は、頷いて、口の形だけで返した。
あった。砕いた。
ヴィクは、しばらく動かなかった。それから、フードの奥で、泣き笑いみたいな、複雑な顔をした、ように見えた。
「おい、英雄ども!!ギルドで祝勝だ!!樽を開けるぞ!!」
「ちなみに支部長ォ!!報酬の話は!!」
「ガハハ!!心配するな、たっぷり弾む!!ついでに、ひとつ面白い話もあるしな」
「面白い話?」
グスタフさんは、にやりと笑った。
「——お前ら、“家”は要らんか」




