第27話 よりによってこの二人
氾濫を止める方法は、ひとつしかなかった。
最下層で変質した“主”を、直接討つ。地上の防衛線はグスタフさんたちに任せ、俺たち《腐れ縁》は、魔物の逆流する迷宮を下っていた。
そして四層への階段を降りた、その瞬間だった。
足元の床が、光った。
古い魔法陣。暴走した魔素に炙られて、迷宮の仕掛けが誤作動を起こしたのだと、後から沙耶は分析した。だがその時の俺たちに分かったのは、ひとつだけ。
視界が、白に呑まれた。
「「「「転移罠ァァァ!?」」」」
——気がつくと、俺は知らない通路に転がっていた。
薄暗い。魔素が濃い。そして、隣でうめき声。
「いった……何よもう……って、え」
沙耶だった。眼鏡を直しながら起き上がり、周囲を見回し、俺を見た。お互いの顔から、同時に血の気が引いた。
「……なあ、沙耶。落ち着いて聞いてくれ」
「聞きたくない」
「この場に居るのは、俺とお前だけだ。つまり」
「聞きたくないって言ってるでしょ」
「パーティの“戦力”が、一人もいない」
「「…………」」
俺、出力零点。沙耶、出力零点。武器は中古のナイフと黒パン三個。パーティの火力(隼人)と最終兵器は、白い光の向こう。
よりによって、この二人が余った。
「お、落ち着きましょう。まず状況の整理を。私たちにできることを数え上げれば」
ずしん、と通路の奥で足音がした。
暗がりから、オークが三体、のっそりと現れた。
「「うわあああああああああ!!」」
数え上げる前に、俺たちは走り出していた。
ここからの数分間を、俺は正確に記述する自信がない。
覚えているのは、通路。角。角。また角。背後の足音。そして、俺と沙耶の、人語の限界だった。
「なんで!?なんでこっちに来るのよォォォ!!」
「知らん!!走れ!!曲がれ!!右だ右!!ちがう俺から見て右ィィ!!」
「どっちの右よォォ!!あんたの右は信用できないのよォォォ!!」
「傷つくことを言うな!!加護の右は本物だ!!うわっ、前からも来た!!戻れ戻れ戻れ!!」
「いやあああああぁぁあ!!もうやだこの迷宮ゥゥゥ!!」
叫びながら走る俺たちの足元に、ふわ、と光が灯った。
【売り言葉に買い言葉】。二人ぶんの応酬でも、絆スキルは律儀に発動した。体が軽くなる。よし。
だが、冷静に考えてほしい。
出力零点が二人。そこに身体強化。何が起こるか。
「速っ……俺たち、足だけ速い!!」
「足“だけ”ね!!逃げ足だけ一人前になったわね私たち!!」
「それでいい!!今この瞬間、世界で一番要る能力だ!!」
「弾!黒パン投げなさいよ!!」
「残弾三の、貴重な一発だ。ええい!我が最終供物よ、砕けろッ!!」
投げた。外れた。壁に当たって、砕けもせずに転がった。さすがの硬度である。
「外したァァァ!!人類の武器がァァ!!」
「拾いなさい拾いなさい拾いなさい!!もったいないでしょォォ!!」
「この状況で経理をするなァァ!!ふぎゃっ」
拾う時に、転んだ。転んだまま転がって、結果的にオークの一撃を避けた。紙一重という言葉の意味を、全身で学んだ。
強化された俺たちは、オークを引き離した。勝ってはいない。一ミリも勝ってはいないが、負けてもいない。生きている。素晴らしい。
角を曲がって、物陰に滑り込み、二人で息を殺した。足音が、遠ざかっていく。
「はっ……はっ……し、死ぬかと思った……」
「泣いてる?沙耶さん、泣いてます?」
「泣いてないわよ!!……ちょっと目から水が出てるだけよ!!」
「それを世間では泣くと言うんだが」
「あんたこそ、さっき角を曲がるたびに変な悲鳴上げてたでしょ!!『ふぎゃ』って!!漆黒の存在が『ふぎゃ』って!!」
「あれは、その、闇の……古代語で……」
「古代語に『ふぎゃ』があるの!?」
——さて。一方その頃。
隼人とひなたは、別の通路を歩いていた。
「おなかすいた」
「だよなあ。そろそろ昼だもんな」
のんびり歩く二人の前に、オークの群れが現れた。五体。
隼人が、剣を一振りした。三体が沈んだ。残る二体は、ひなたの拾い石が鼻面を撃ち抜き、まとめて転がった。投擲の名手に、弾の種類は関係ないのである。
「なあ、ひなた。今の俺、たぶん人生で二番目に調子いい」
「ん。はやとくん、つよいね」
「この深さで、この魔素だからな。……で、だ」
隼人は、通路の奥、魔素の濃い方角を見て、頭を掻いた。
「圭吾と沙耶、大丈夫かな」
「ん。……だいじょうぶじゃないと、おもう」
「だよなあ」
二人の意見は、完全に一致した。
「撃って道を開けるか?ほら、お前の、どーんってやつ」
「沙耶ちゃんの、はっしゃきょか、ない」
「俺が許可を出す。いや、やめとこう。あとで怒られる」
「ん。おこられる」
最強コンビは、経理の不在により、通常火力で進むことにした。それでも、散歩だった。
と、ひなたが、ふと立ち止まった。すん、と鼻を利かせる。正確には、加護を。
「……くろパンの、におい。あっち」
「パン?……ああ、弾薬か。三発、あっちのペアが持ってたな」
「ん。あたしの、しゅしょく。だから、とおくても、わかる」
「探知の基準が仲間じゃなくてパンなの、お前らしいよ」
「パンのそばに、けーごたちも、いる」
「……ま、それもそうだ」
隼人は、少しだけ黙って、それから笑った。
「じゃ、迎えに行きますか。私たちの主食と、ついでの二人を」
——再び、地獄の二人。
「そもそも!!なんであんたと私なのよ!!分かれるにしても組み合わせってものがあるでしょ!!」
「俺に言うな!!転移罠に文句を言え!!止まれ、その角はダメだ。……二匹、待ち伏せてる」
「っ……!」
沙耶が、足を止めた。俺の加護は、壁越しでも気配の輪郭を拾う。逃げ回りながら、俺は頭の中に地図を組み上げていた。通った角。オークの巡回。魔素の流れ。
「……こっちだ。この道は、細くてオークが入れない。抜けた先で魔素が薄くなってる。たぶん、上への抜け道に繋がる」
「……あんた、こういう時だけ本当に有能よね」
「こういう時“だけ”は余計だ」
「でも足は零点」
「お前もだろうが」
細い抜け道を、二人で這うように進む。暗くて、狭くて、埃っぽい。前世で押し入れに隠れて怒られた時のことを、なぜか思い出した。
「……ねえ」
先を這う沙耶が、ぽつりと言った。
「隼人とひなたなら、あの二人だけでも平気よね」
「平気だろうな。むしろ心配なのは敵の方だ」
「……そうよね。ふふ。何よそれ」
「だから俺たちは、俺たちの仕事をする。生きて、合流して、道案内だ。あの二人は強いが、最下層への“正しい道”は選べん。地図はここにある」
俺は、自分のこめかみを指で叩いた。沙耶が、少し笑った気配がした。
「……行きましょ、参謀」
「ああ、行こう、経理」
——抜け道の出口は、広い空洞だった。
そして、運は俺たちに厳しかった。
空洞の中央。オークが、十。いや、十二。全員が、一斉にこちらを見た。
「「…………」」
「さ、沙耶さん。作戦は」
「に、逃げ——」
言い終わる前に、群れが動いた。
「「うわああああああああ!!誰か助けてえええええ!!」」
俺たちは叫んだ。人生で一番大きな声だったと思う。恥も外聞も、漆黒も優等生も、全部投げ捨てた叫びだった。
その、直後である。
空洞の壁が——爆ぜた。
砕けた石材の向こうから、剣を担いだ男と、小柄な少女が、のんびり歩いて現れた。
「お。居た居た」
「ん。あたしたちの、ざこふたり、はっけん」
「「隼人ォォォ!!ひなたあああ!!」」
「はいはい。……つーかお前ら、声でかすぎ。三層先まで聞こえてたぞ、その絶叫」
「「うるさい!!(わよ!!)」」
四人が、揃った。
足元の絆スキルの光が、二人ぶんから四人ぶんへ、ぶわり、と膨れ上がった。




