第26話 経理、涙の発射許可
本波は、これまでの全部を前座に変えた。
穴から溢れ出したのは、もう“群れ”ではなかった。オーク、コボルト、見たこともない甲殻の魔物。ありとあらゆる迷宮の住人が、押し出されるように、一枚の壁となって雪崩れてくる。
「壁ィ!!構えろォォ!!」
暁の隊列が、正面から受け止めた。鋼の壁が軋む。二列目が支える。ヘクトルさんの剣が、こぼれた魔物を片端から刈る。
そして、俺たちの“風”は、吹いていなかった。
「左だ沙耶!……回れ!」
「……分かってる!」
指示は通る。連携も動く。だが、それだけだ。罵倒がない。軽口がない。足元の光は細いまま、体は鉛みたいに重い。
「おい、風ァ!!いつもの馬鹿騒ぎはどうした!!貴様らが静かだと、陣まで重いぞ!!」
ヘクトルさんの怒号が飛ぶ。分かっている。分かっているが、出ないものは出ないのだ。
「圭吾ォ!二時の方向、抜けた!三匹!」
隼人の声に反応して走る。斬る、のは隼人。俺は転がる魔物を看破して、急所を叫ぶだけ。それすら、いつもより一拍遅い。
「……ちっ。なあ、圭吾。お前ら、いつまでやってんだ」
「うるさい。……今は、目の前に集中しろ」
「してるよ。してるけどな。このままだと、へたばるのはお前らが先だぞ」
分かっている。
分かっているんだ、そんなことは。
——戦況は、じわじわと悪化した。
本波は、途切れなかった。壁の消耗が見え始め、二列目の治癒師が走り回り、補給の犬耳の青年(例の大食い自慢である)が、荷を抱えて何往復もする。
「ミアさん、魔力は!」
「まだ、いけます!……でも、この数は、いつか」
誰もが、同じことを考え始めていた。削り合いでは、負ける。数が、違いすぎる。
「沙耶」
俺は、走りながら、隣の背中に声をかけた。
「なに」
「予算会議だ。……あれを、撃つしかない」
「……分かってる。条件は、揃ってる。屋外、遮蔽なし、そして本波」
沙耶は、帳面を胸元から出して、ぐ、と握った。
「でも、あんたに言っておくことがある」
「なんだ」
「撃ったら、ひなたは終わり。そのあとの戦線に、最終兵器はいない。……それでも撃つなら、撃った後の“あんたの無茶”を、私は絶対に許さない。陣から一歩も出るな。……約束しなさい」
俺は、すぐには答えなかった。
「約束しなさい!!圭吾!!」
初めて、名前で怒鳴られた。
罵倒じゃなかった。喧嘩の続きでもなかった。それは多分、こいつが十年ずっと言いそびれてきた、本音の芯のところだった。
「あんたが勝手に飛び出して、勝手に死ぬのが、私は、この世界で一番、嫌なのよ!!」
どくん、と。
足元の光が、脈打った。
「……なんだ。そういうことなら、早く言え」
「は?」
「俺が飛び出すのはな、沙耶。“お前らを信じてる”からだ。俺の背中のオーク六匹、お前が数えてくれてる。隼人が斬ってくれる。ひなたが撃ってくれる。だから俺は、前だけ見て走れる。それを止められる方が、よっぽど死ぬ」
「な」
「だが、約束はしよう。今日はもう、飛び出さん。……お前が横で走ってくれるなら、な」
「〜〜〜〜っっ、この、この……口だけは達者な、変態紳士ゥゥ!!」
「その罵倒、待ってたぞォ!!」
ぶわり、と。
足元から、光が爆発した。
【売り言葉に買い言葉】が、全開。いや、全開の、さらに上。喧嘩で細った分を取り返すみたいに、光が俺たち四人の足元で爆ぜた。体が、羽根になる。
そしてスキルとは無関係に、久々に聞こえた馬鹿騒ぎへ、陣全体の威勢が釣られて上がった。
「「「うおおお!!いつものが帰ってきたぞ!!」」」
「風が戻ったぞォォ!!」
「私たちの痴話喧嘩が長引いて、すみませんでしたァ!!」
「痴話喧嘩じゃない!!予算会議よ!!」
走る。罵る。軽い。視界が冴える。世界の全部が、看破できる。
——そして、視えた。
本波の、奥。穴の直上に渦巻く魔素の中に、ひときわ濃い“芯”がある。魔物の密度が最も高く、湧きの流れが集まる、一点。
「中心、視えたぞ!!穴の真上、高さ十、密度最大!!」
「聞いた!!ひなた!!」
沙耶が、叫んだ。
広場の中央で、俺たちの最終兵器が、とてとてと前に出る。朝飯抜きの腹が、くう、と鳴った。
「総員、耳を塞げェ!!《腐れ縁》の大砲が火を噴くぞォ!!」
グスタフさんの声で、防衛線がざっと屈む。ドワーフの野次馬が「待ってました!!」と叫ぶ。帰れ。
「発射許可」
沙耶は、帳面を抱きしめた。目尻に、涙が浮いていた。
「私たちの、全財産と、特別報酬の前借りと、今月の食費に懸けて!!撃ちなさい、ひなたァァ!!」
「ん」
ひなたの小さな手のひらが、本波の中心に向いた。
世界の魔素が、光の粒になって、少女に吸い込まれていく。
「——いただきます」
“白”。
音より先に、光が来た。
閃光は本波の中心を貫き、渦巻く魔素ごと、魔物の壁を——縦に、割った。
風が止む。土煙が晴れる。
広場の前に広がっていたのは、途切れた本波と、湯気の立つ更地と、ぽかんと口を開けた防衛線だった。
一拍おいて、歓声が、爆発した。
「「「「うおおおおおおお!!!」」」」
「勝ったのか!?勝ったんだよな!?」
「賭けの配当ォォ!!」
「だから帰れって言ってるだろ!!」
——ただし、俺たちだけは、祝勝の空気ではなかった。
「…………おなか、すいた」
ひなたが、ゆらり、と揺れた。目から光が消えている。倒れ込む先に、間一髪、荷物の山を抱えた犬耳の青年が滑り込んだ。
「ひなたさん!!補給です!!干し肉と、パンと、芋と、俺の全財産で買った串焼き四十本!!」
「……たべる」
「よかった!!食べてください!!いくらでも!!」
「(あの青年、いい奴すぎない?)」
「(恋の力って、すごいわね)」
「(そして全財産が、串焼きに)」
かくして最終兵器は、青年の献身と防衛線の補給食を、災害のように平らげ始めた。査定が怖い。
だが。
歓声の中で、俺と、そしてヘクトルさんの耳だけが、同じものを拾っていた。
穴の奥。遠く、深く、まだ、鳴っている。
「……止まって、いないな」
「はい。本波は割りました。でも、湧きの“元栓”は生きてる。……底で、まだ掻き回してる」
ごう、と穴が、また息を吐いた。さっきより弱い。だが、確実に、次を溜めている。
グスタフさんが、俺たちと壁の主力を呼び集めた。急造の軍議である。
「状況を言う。本波は砕いた。だが源が健在だ。この削り合いを続ければ、先に倒れるのは街の方だ。選択肢は、ひとつしかない」
「……最下層の主を、直接討つ」
「そうだ」
軍議が、静まった。誰が行くのか。全員が、それを考えていた。
「大部隊は無理です」
口を開いたのは、意外にも沙耶だった。帳面を開いて、淡々と数字を並べる。
「湧きの中を最下層まで、補給線なしの強行軍。人数が多いほど、足が遅くなって、消耗で死にます。……行けるとしたら、少数で、看破持ちで、疲れない足があって、喧嘩しながら強くなる、変な連中だけ」
「……つまり」
「私たちです」
沙耶は、帳面をぱたんと閉じた。
「地上の防衛は、壁と教官と支部長で持ちます。持たせてください。その代わり、元栓は私たちが閉めてきます。それが一番、勘定が合う」
「……ガハハ。経理に戦略を説かれる日が来るとはな」
グスタフさんは、笑って、それから、深く、頭を下げた。
「頼む。《腐れ縁》」
——出発は、一時間後と決まった。
装備を検める。中古のナイフ、四本。水袋。そして、弾薬。
「黒パン、残り……三個」
三十個買った弾薬を、俺たちは氾濫の間に、ほとんど撃ち尽くしていた。
「三発、か。……心細いな」
「大丈夫よ。私たちの主砲は、さっき撃ち終わったし」
「その主砲は今、串焼き四十本目だがな」
穴の縁に立つ。下から、生ぬるい魔素の風が吹き上げてくる。
「往くぞ、お前ら。腐れ縁、初の“ダンジョンアタック”だ」
四人で、暗闇への階段を、降り始めた。




